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四季折々のチェーホフの短編集

『かわいい女・犬を連れた奥さん』 チェーホフ (著), 小笠原 豊樹 (翻訳)(新潮文庫)

ロシアを代表する劇作家・チェーホフ円熟期の中短編7作。

演出家の妻になると、夫と共に芝居について語り、材木商と結婚すれば会う人ごとに材木の話ばかり。獣医を恋人にもった魅力的なオーレンカは、恋人との別れと共に自分の意見までなくしてしまう。一人ぼっちになった彼女が見つけた最後の生きがいとは――。
一人のかわいい女の姿を生き生きと描き、トルストイも絶賛した表題作をはじめ、作者が作家として最も円熟した晩年の中・短編7編を収録。

チェーホフの作品に出てくる女たち。それぞれ個性を持っているが田舎の家に縛られ、いつしか都会で自由な生活をしてみたいと願う。ただ、そこはけっして楽園でもない。この短編は重層構造的な連作集としても読め、それぞれのヒロインの咲き方もいろいろあるが、不幸な結末の中に信仰という光を灯しているように思える。

『中二階のある家』から最後の『いいなずけ』までは直線的な時間ではなく、四季の繰り返しのように、一旦枯れてしまう花もまた咲き始めようとする。

中二階のある家

「中二病」の元になった話だと思ったら、『三人姉妹』の小説版だった。でも次女の存在がない。姉は教師で実務家、一番下の妹が中二階の部屋で本を読んでいるお嬢さん。モラトリアム。語り手が画家で偶然この屋敷の人たちと知り合って、お茶に呼ばれる。妹に恋する。


姉と絶えず口論となるのは、実務生活に忙しくては、本当のことはわからないとする。画家は芸術家だから、宗教や芸術や自然と触れ合うことが大切で、農民に教育させて欲望を持たせて労働者となって生きるのも価値のないものとする。そのことで実務化の姉と喧嘩になる。

『三人姉妹』で三女が「ポエジーも思想もない労働なんて.........」と言わせたのは、この画家の影響だろうか?ある日、妹にキスをしたことを妹が姉に話して画家と離されてしまう。教育上に良くないこととされ、母親と共に他所にやられる。『三人姉妹』でモスクワに行く話と繋がる。そして、画家もこの家と離れていき、噂で長女の活躍ぶりは聞くが妹の噂は聞かないと空になった「中二階のある家」を眺めるのだった。

イオーヌイチ

「中二階のある家」の別ヴァージョン。語り手は群医で、その村では教養もあり立派な貴族に客として招待され、母親はアマチュア小説家で朗読を客たちに聞かせて満足している。娘はピアノの家庭教師について、難曲を客に披露する。一種のサロン的な文化貴族。

ある日、語り手の医者が娘に告白するも、待ち合わせ場所には来なかった。娘が担いだのだ。そして、娘は医者のプロポーズも撥ねつけて、音楽の為にモスクワに出ていく。

医者は娘のことは若かりし頃の出来事として、実務に励んで歳を重ねる。館の夫人も年老いて病気がちになり、疎遠だったが再び招かれる。そこで娘に出会うのだが、かつての魅力は感じられずに娘からのアプローチもなおざりになる。娘がかつての幸福を思い出すのだが、それは医者にとっては過去の感傷にすぎない。娘はピアニストでは通用しないことがわかって、かつての母親のように館で披露するだけだった。その家庭を観て、かつて憧れていたロシアの家庭がこんなものだったと嘆くのだが、医者もあの頃の夢など持ちようもなかった。医者は太って、怒りっぽくなっていた。

往診中の出来事

語り手は医者。工場の経営者の娘が病気だと往診に駆けつける。モスクワから二駅の郊外の村。五棟の工場の暗い場所で不気味な音、後にそれを悪魔と感じるようになる。産業革命以降の資本主義社会の暗部。娘の病気はその象徴のような神経症だった。父は亡くなって母とオールドミス風の家庭教師(悪魔の従者と感じる)。娘は、不安は工場に対するものだと判断する。夜中に娘と会話して、朝には往診を終えて工場を出る。

かわいい女

原題は「Дущечка」で「ダーリン」と同じ意味。つまりオーレンカが呼びかける主人だった。三人称だが、オーレンカ視点の小説ということになる。

最初は遊園地経営者、次が材木商、そして、獣医、最後が獣医の息子(十歳から大学進学まで)はそれぞれ主体性を持つ存在だが、オーレンカは従順な「可愛い女(人)」で通そうとする。自分の考えをもつ主体性がないのだ。それをうざいと思って、ダーリンたちが離れて行く。最後の離婚した獣医の息子は、可愛がるけど、学校の教えをそのまま自分の意見として息子に繰り返す。こういうおばさんは子供にしてみればうざくて仕方がない。

大学に進学して、別れた母親の元に行くのだが、オーレンカは生活の柱を失う動揺を隠しきれない。そして、自分の判断で息子は母親の元には行きたくないと思っているのだが、夢を見ている息子は、「あっちへ行け!」。なんともシビアなチェーホフ。

犬を連れた奥さん

チェーホフのこれまでの女性は不幸になるものだと思いながら読んでいたらちょっと違った。この短編はグローフという女性蔑視の女たらしの男が浮気をして「犬を連れた若奥さん」に言い寄るのだ。世間知らずの奥さんは手篭めにされて不幸になる、というのがそれまでのチェーホフだった。

しかしちょっと違うのだ。遊びで近づいたグローフは奥さんを忘れられずに劇場で出会う。奥さんもそれが浮気だと罪の意識がありながら忘れられない。二人の間に本気の愛が芽生える。フランス映画みたいなラブ・ストーリーだった。でも不幸になるのは目に見えているけど、二人の恋が盛り上がって終わるチェーホフも珍しい。

谷間

これは今までの短編の中で一番酷い話だ。鬼嫁登場!長男は警察官で大人しい奥さんを貰うのだが、次男は耳が悪くその女房が美人で働き者で文句ない嫁なんで、工場主の父親は長男の嫁だったら最高なのにと思うのだった。父親もそんな嫁をみて妻を娶りたくなり金持ちのお嬢さんの妻が来て平和に暮らしていた。

そして事件が起きた。長男が結婚式した後に、長男が持ってきた金が贋金だったのだ。その訳がわからない。長男がはめられたのか(泥棒をひと目見て見つけ出す有能な警察だった)?長男の出来心だったのか?そして長男は逮捕された。その事件以降、大人しい長男の嫁に子供が出来て、工場の切り盛りで働いていた次男の嫁がキレた!無能な犯罪者の妻と子供の為に働いているのではないと。そして、お湯を子供にぶっかけ殺してしまう。

それでも鬼嫁は工場を切り盛りしているから出ていけと言われたのは長男の嫁だった。貧しい母の元に出ていくのだが、そこで古くからこの家を知る松葉杖大工と一緒に歩きながら「悪いことも良いこともある。母なるロシアは広いんだ!」と慰められる。

悪事の工場(チェーホフが工場に持たせる資本主義社会の悪)という感じなのだが。油売りの商人(マホメットを暗示?)と大工がどっちが偉いという話になって、大工はキリストの父親だ、ということも言えなかったが、松葉杖の大工の爺さんが世の中を知っている高僧みたいな言葉にもっとも不幸な女性が救われる。キリスト教的救いがある短編なのか?

再度、読みたくなる短編。

いいなずけ

三世代の女系家族。有吉佐和子『紀の川』と比べるてもわずか20ページほどの短編だが、テーマは同じだろうか?ただ母は嫁なのかな。家に押しつぶされそうになる女たち。

娘のナージャは婚約者がいるのだが、いまいち婚約者が阿呆なんじゃないかと思ってしまう。女性の自立を煽るのは神父であるサージャ。名前が似ているから志向的には同じような気がする。神父だけどオカルト(ナージャの家では降臨術をやっている)を信じない敬虔さがある。そんなサージャがナージャを家出させ、一緒に住むことになるのだが、田舎では敬虔な神父に見えた彼も都会のモスクワでは貧弱な汚れた部屋の住人だった。

それでホームシックにかかり再び家に戻る。そこで母と話すと母は最近では哲学に凝っていると。7つのプリズムの世界があるとかわからないことを言い出す。母は本当はこの家をナージャのように出たかったのだが、出ることができずに、降霊術や哲学に凝ってしまうのだった。祖母が大黒柱でその女中のようだと泣き出す。そして、サージャの死亡通知が来る。

ナージャは再びこの家を出ようとする。今度は一人で。そこに希望があるような。チェーホフの短編は、連続して読むことによって重層的な意味を持つ。『中二階のある家』で亡くなった三女ミシュスは、ナージャとなって旅立つ。


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