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070shake『You Can't Kill Me』

 Danielle Balbuena(070shake)、25歳。私が今一番大好きな人。アメリカはノースバーゲン育ち、いまどこで暮らしているかわからないが、日本からかなり遠くで暮らしているであろう彼女と、1歳違いの私は(同い年ということにしている)距離こそ遠いけれど、街を歩く誰かに自分の姿を重ねるように、彼女の姿に自分を投影したくなるほど近くに感じる。
 実際に「近い」はその歳の差と、うちはイタチが好きなところ(出典:彼女の右腕)、若干浮き出た前歯くらいだと思う。
彼女が話す言語の多くは英語で、私が使えるのは日本語。彼女は歌詞に多くの感情を込めるけど、私は彼女が綴るの歌詞のその意味を知らない。彼女の歌から読み取れる悲しさや葛藤や痛み、喜び?や感激?もそのストリーがどうであるか、この今ですら知ることができないのが辛い。

 彼女について。彼女の過去のツイートは学校が嫌で嫌でしかないみたいなツイートが多い。過去にPichforkの特集で触れられていたように、彼女のもつ特性もあって、別教室で授業を受けていたり、停学を食らったり、学校?から処方された薬により薬物中毒になったりとかなり重い影を落とす。だけど、学校での写真を見るとどれもどれも笑っていたり、放課後や休日はバスケのクラブ活動や友人と連んだり、その姿だけを切り取れば、音楽を始めるまでは、そこまで珍しくもない高校生の一人だったように映った。さらに、070shakeというネームは、学校で演劇をやったときにクラスメイトから「Dshake」というあだ名をつけられShakeを、ニュージャージーの市外局番から070をつけている。また、授業中に先生の話を聞くふりをしてひたすら詩を書いてたらしく、彼女の根源には地元や学校生活からの影響は大きく、今の音楽活動に広く根を張っている。
 音楽的なキャリアでいえば、2020年1月17日にリリースした1st『Modus Vivendi』(直訳すると「生き方」)や、Kenye Westの『Ye』に収録されている”Gost Town"、Pusha T『Daytona』の”Santeria”が彼女のキャリアが大きく動いたという意見が多い。だけど私は、070project(NJのダチで作ったグループ)でマイクエイレーする”Honey"や、ソロデビューを飾った”Trust Nobady"、2017年のリリース1stEP『Glitter』で、10代から地道に今のステージを整えたアーティストだと思っている。売れる!売れる!と言われ続けて、はや5年くらい経っており、悪くいえば「Billie Eilish現象」に若干乗り切れていないアーティストだが、かなり独自のポジションを確立していて、オーディエンスから忘れられることない。

 今年7月、2nd『You Can't Kill Me』をリリースした。一応この日記でも『You Can't Kill Me』と表題についけているし、それについて書こうと思う。書こうと思い立ったのは、どうしても日本で彼女に会いたく、できれば極東の一角にあるこの国にもリスナーがいることを、届くはずもない彼女の頭の中に残したいとおもたっから、彼女のアルバムと、彼女についてのいくつかを私こそがここに残しておこうと思った。上段にも書いたように私は英語話者でもなければ、彼女が精通するHIPHOPやR&Bに詳しいわけではないため、多くが想像(もしくは幻想?)であるし、持ち合わせているのはただ彼女に対する愛、ただそれだけである。だからこの文章もほんの恋文。。

 本作がリリースされたその日の私は月に1度の出社日で、忙しない山手線内回り車内にいた。代々木を過ぎ、1曲目の”web”を聴き始めた。2曲目3曲目と進めているうちに恵比寿についてしまって一度アルバムを止める。なんとも言葉に表現し難いアルバムだった。そのことを今でも思い出す。それこそが、この文章を書くまで半年も要した理由だ。
 でも今でも、このアルバムが洗練され超越的な音楽作品群であり、大傑作だとは正直思わない。アルバムを通してみれば、どの曲も孤高に連なっていて、アルバムとしてのまとまりはあるが、完成度という点では歌と音がアンバランスで、賛否が目立つ。具体的にビートはテンポもゆっくりで重いベースとドラムパターンがただただ重なっている、と思えば急に派手なシンセが出てきていたりしているのだけれど、何せShakeの歌も持ち味ではある”Web”に代表されるような「語り」と「歌」との間の単調なボーカルが重なり合うから、その歩みがただただ重い。
 おそらく現在も依然として『You can't kill me』をあまり評価していない一定層には、『Modus Vivendi』にある音の重さと軽さのバランスだったり、アップテンポ(主にトラック)と落ち着き(ヴォーカル)の調和的なカタルシスを期待して、はずれじゃんとなったリスナーも多いのではないかと思う。(何よりModus Vivendiはビートとヴォーカルのバランスが本当に良い、マジで良い)私もどちらかといえば、本作のリリース前にアップされたフィーチャリング曲"Neo Surf"や"Perfect Weapom"にあるトラックのテンポが早めなのに、ゆとりを感じさせて壮大な音楽(簡単にいえば力を込めずにオーバードライブするような感覚)を期待していたので、極論を言えばリズムに活力がない本作にとっかかりがなかった。ただYCKMも”Vibration”以降はそういった意味で成功に近づく展開を見せる。さらに言えば、HIPHOP文脈に”いる”彼女として受け取るのであれば、捉えがたいアルバムなのかなと思う。『Modus Vivendi』はHIPHOP作品としても評価されうるが、『You Can't Kill Me』はいわゆる「ビート」と「ラップ」からの脱却を感じさせるようなジャンルのない作品だ。多くの配信サービスでも「オルタナティブ」(ディストリビューターは仕事しろと思う)として紹介されている。
 
 話が若干それた気がする。いや、そう、最初聞いたときは釈然としなかったけど、リード曲”Skin and Bones"は、歌のらしさとトラックの新しさが見事に融合して好きだった。改めてアルバム全体を振り返るとYCKMはかなりShakeの声や歌が前にある。それが成功した曲もあれば若干あれ?な曲もあるけど、”Skin and Bones"は歌と音が一心同体だ。歌詞に注目すると、今はない愛だったり、あと一歩が届かなった愛を供養しているようにきこる。大半が過去形であったり、Skin And Bone(皮と骨)だし、弱っていく感じ。ただ、過ぎ去ったあの日のこと悲しく想い、惨めな後悔として憂いて見せかけて、結果、愛した相手はクソだったという手のレトリックではない。(勝手な印象だが、現行で支持を多く集めている女性シンガーソングライターはこの手の反撃的なレトリックが多い)”Skin and Bones"では2:50くらいから、散々過去の思い出に浸って、Let's Next!と閉じるかと思いきや、「来世も、絶対に私はあなたのものになるから」(Maybeになっているけど多分これはMaybeじゃない)的なことを言って去っていく。かなり唐突な捨てゼリフにも、音はその言葉にシンセの揺れで応える。次の曲がBlue Velvetでこれまたかなりスローで怖い曲だからかもしれないけど、この終わり方は非常に怖いし、音の終わり方も本当に怖い。言うなれば、皮と骨だけになっていくミイラ化の途中にもずっと祈り続けているような、執着ではないし、、なんというか、エゴイスティックな狂気を感じた。代表曲の一つ、”Guilty Conscience"も”Skin and Bones"同様に交際相手の浮気現場を見て、自分が行ってきた過去の浮気を思い出し、自責の念にかられると思いきや、あんたのこと許さんからみたいなズコッツなストーリーを描く。070shakeの音楽作りは、事前にビートが渡されることはないと語っていたことから自身でビートメイクや音作りはしていないので、多分書き溜めたポエトリーをエディットしたりして作曲しているのだろうと思うけど、いざビートが渡されたときどんなふうに融合させていくのか気になる。彼女は直帰の自身のツイートで、アルバムやその楽曲の中で歌声や歌詞だけにフォーカスされることを嘆きつつ、一つの作品であるのだから分けずに聴いてほしいとツイートし、その後当該のツイートを削除していたけど、彼女にクリエイティブな質問ができるならその部分を一番に訊いてみたい。
 
 当の本人から直々に分けるなと言われつつ、もう少し彼女のクリエイション(=歌詞)に注目する。”Skin and Bones"にあるような揺さぶりをかける言語感覚や感情はどう生まれるのか。性別や趣向を超えて、男性性でも女性性でもない、彼女のもつ中立的なバランスなのか?”I am Shake"という動画で、私は男でもない、女でもない、オールカラーであるし、人間だと言っていた。過去のインタビューでは「女性に惹かれる」と語っていたが、かなり前のツイートには「私はレズビアンではないし、バイセクシャルにもならない」と語っており、自身のアイデンティティに代名詞をつけることや「クィアミュージシャン」としてラベリングされることにかなり否定的である。ここはかなり重要で、日本のアーティストの多くは自身のセクシャリティや趣向について語ることを避けるが、それとはまた違う否定の仕方だ。
 曲の多くも男性的な目線で書かれたものか、女性的な目線で書かれたものか、かなりぼかされているように思う。私はDaniのことを「彼女」と呼んでいるけれど、それは多分「私」だからであるし、俺であったならば「彼」と呼んでいると思う。まぁ本当に、女性であるとか、男性であるとか、異性が好きでるとか、同性が好きであるとかなんてことは、ナプキンの刺繍がハート型から星型になるくらい、全く無意味なことなのだろから男性的か女性的か、どっちかなんて議論はこのくらいにしておくけど、例えば私がBillie Eilishを見るとき、それは友達のような親近感だけど、Daniを見るときは私の恋人のような距離の近さを感じる。私は男性に惹かれることが多いけど、その時私は「女性に惹かれる」という気持ちはこんなものなのだろうかと思い出していた。

 視点をぐっとリスナー側に移してみる。私の肌感では海外のリスナーの多くが女の子で、本当に女の子からモテてる。みんな、「私の可愛いDani」と語るし、新しいガールフレンドができるだけで、Daniの横はあんたじゃなくて私のはずだったみたいな会話が多い。私も実際に会ったことはないのに、ちょっと嫉妬した。
 これまで文章を書いて居て、それは言うなれば、彼女がものすごくかっこいいのに内面的に弱さを秘めきれず、その自分のありのままを見せることにたけた表現であるからではないかと思った。これこそが、”Skin and Bones"や”Guilty Conscience"、YCKMでいえば”Body"や”Medicinee”、”Stay”にあるあの表現の彼女のギリギリの状態なのだろうと思う。この弱さと強さは音楽だけじゃなくて、彼女のポートレートや映像表現も、かっこよくあろうとする自分と弱い自分、鬱な状態と躁状態、その両方に引っ張られて今にも壊れてしまいそうな危うさをまとい、途方もなく美しい。(このバランス感がラッパーぽいとればそうかも)YCKMで挙げた曲単位でもそうだけど、過去作と違い彼女の「感情」それ自体をアルバム『You can't kill me』全体で表現しようとしたところに本作の挑戦や葛藤を感じ、それを私は美しいと感じた。
「あなたに私は殺せない」と表題につけているけど、自身の弱さに向き合いつつも殺し切れないその儚さと向き合う私が、他人の手でなんか私を殺される訳にはいかないという気魄からくるように思う。だからこそこの先、貴方がどんな曲を書くのか本当に気になる。ジャンルを超えてどんな挑戦をしていくかもそうだけど、何よりあなた自身が幸せであってほしいと、月に向かって願う他ない。
 
 
 



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