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後輩書記とセンパイ会計、 川底の幻燈に挑む

 開架中学、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば織姫と彦星の伝説を語り継ぐ人にだってなれただろう。ふみちゃんは小学生時代、学芸会のお芝居で織姫の役を演じ、一晩で台本を完璧に記憶するほどの上級者だったらしいが、本番ではあまりに背が小さくて最前列のお客さんしか見ることができなかったそうだ。それは舞台の作り方が悪い。ふみちゃんは悪くない。
 そんなふみちゃんの話によると、織姫と彦星の元の話は中国古代の伝説と言われ、孔子という有名な学者が記したとされる『詩経(しきょう)』から原話が登場し、その後、中国で「牛郎織女(ぎゅうろうしゅくじょ)」の民話として広がり、日本にも伝わったらしい。中国では織姫が彦星に会いに行くけれど、日本では逆に彦星が織姫に会いに行く展開が多いそうで、これは日本の夜這いの風習から伝承が変化したという説もあるんだとか。
 そして、ふみちゃんの口から「夜這い」という言葉が出てハラハラした一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの古代伝承知らずで、数学が得意な理屈屋で、もし好きな女の子と年に一度しか会えなかったとしたら、どの眼鏡をかけていくか、あるいは毎回新調すべきか、と悩むくらいだった。
 七月七日は、織姫彦星伝説に彩られた七夕の日であり、また「川の日」でもあった。川の日である理由は、何でも国が定めているらしく、川なんて一年中流れているのだから決めようがないと思うのだが、七夕伝説の「天の川」のイメージがあることや、七月が河川愛護月間だからとか、水の親しむ季節だからだそうだ。そんな日に、僕は二つの大きな川に挟まれた静かな町の中で、夕暮れが迫るのを気にしながら一人ぽつんと歩いていた。
 道が狭くて、二階建てほどの古びた家が多い、昔ながらの町並みだった。
 経緯を思い返すと少し長いのだが、すごく短く言えば、ラムネを買いに行ったふみちゃんとはぐれてしまい、探しているのだった。運悪く、僕は今日携帯を家に忘れてきてしまった。そのせいでふみちゃんと連絡が取れない。携帯を忘れたのに気づくのが遅くて、ふみちゃんを見失った後だった。こんなことなら一緒にいれば良かった。
 ふみちゃんは黒い髪を両サイドに分けて白いリボンで結び、白いワンピースを着ている。ずっと探しているが、まだ見つからない。「冷たい飲み物買ってきます」といつもと同じ乗りだったので、同じ調子で行かせてしまった。ここは家の近所とは違う、知らない町だ。もっと注意が必要だった……と思う。
 実は――ここへ連れてきてくれた銀河さんともはぐれていた。今日は三人で来て、夕暮れ前に唐突にバラバラになったのだ。銀河さんはスケールの大きい名前だが、性別は女性だ。僕たちの生徒会長のお姉さんであり、大学生である。さっぱりしたショートヘアで、肩出し・ヘソ出し・谷間出しの三拍子揃ったタンクトップ姿で、丈の短いデニムパンツからすらっと長い足が見えていた。男子中学生がうかつに話しかけにくいほど、肌の露出度が高い。
 銀河さんはドライブが好きで、知らない町の探索が好きで、弟の会長が忙しいときは僕に電話が来る。前に番号を教えたからだが、必ず電話口で「いいとこ行くから、ふみすけちゃんも連れてきて」と強引に誘ってくる。ふみちゃんを構いたがりで、呼び方も独特だ。ふみちゃん単独では来ないから僕に電話してるんじゃないか……とさえ思う。
 まあ、いいんだけど。僕も、ふみちゃんとどこか行くにしても自転車かバスの範囲くらいだし、ふみちゃんがたまに遠出を喜んでくれるなら、別にそれでいい。
 それにしても――人がいない不思議な町だった。
 車で橋を渡ってこの町に入ったときは、家もマンションもビルもお店もあって、人通りも多かった。ところが、車を駐車場に置いて歩きはじめると、空気がだんだんしっとり湿っぽくなっていき、人の歩く姿が次第に減っていったのだ。普段はよくしゃべる銀河さんも、
「ん? おやっ……ちょっとおかしいな」
 途中でそうつぶやいたきり、手にした超高性能方位磁針とにらめっこしたまま一言も話さなくなった。
 そのうち、ふみちゃんが「ラムネが飲みたいです」と言い出してふっといなくなり、銀河さんも「ちょっと車を見てくる」と言ってすっといなくなった。
 あれから三十分以上経っている。
 僕は本当に間抜けだった。小さな公園でぽつんと待っていたのだが、携帯を忘れたことに気づいた。二人ともこの公園に戻れず、僕に電話したけど出ないとかの状況を考え、待ち切れずふみちゃんが行った方向を追っていた。
 もう、人の姿は完全に消えていた。何となく家の中には人の気配があるのだが、誰も家から出てこない雰囲気だ。
「なんで誰もいないんだ……」
 言葉にするとさびしさが増した。
 今日の予定は、新しい観光名所になった高い塔を見ながら、大きな川に架かる橋を渡り、歴史の古い露天市や遊園地がある場所へ向かうはずだった。ふみちゃんが乗り気になったのは、そこに江戸時代から伝わる見世物小屋が残っているかららしく、僕は戦前の大震災で猛火に包まれ倒壊したという赤レンガ造りの高層階が建っていたことに興味があったからだ。銀河さんは――歩かないとつながらないところを歩いてみたい、とか運転中に言っていた。
 携帯さえあれば二人とも簡単に連絡が取れるのに、何で今日に限って忘れてしまったのか後悔する。そして、困り果てて公園に戻ろうとしたけれど、今度は僕が迷子になったことに気づいた。
 公園に戻れないのだ。
 方向音痴ではないはずが、やっぱり知らない町は間違えやすいのだと思う。どこかで曲がり方が違ったのだろう。待っていた公園に、僕はもう戻れなくなっていた。そんなに広い町じゃないのに。そんなに広い町じゃないのに。
 これ以上勝手に歩き回ると、もっと道に迷うだろうか。いや、どうせ迷ったのだから、二人のどっちかに出会うまで歩いたほうがいいのではないか。重い足取りで悩むうち、道の向こうからぼんやりと街灯が点きはじめた。
 緑、赤、青。不思議な三色灯だった。

 行くか戻るかも決まらず、あてどなく歩き出すと、眼鏡の少年と行き会った。
 眼鏡をかけていて、たぶん年は同じくらいで、ボーダーのTシャツを着て、腰にレトロな大きいカメラをさげていた。髪はくせっ毛だろうか少しぼさぼさで、表情は――僕よりフレームが太くてしっかりした眼鏡で、そばかすがあり、何となく神経質そうな雰囲気だった。
 第一印象は話しかけやすい人ではないが、とにかく他に頼れるものがなくて、道を聞いてみることにした。
「すいません、あの、ちょっと、道を聞きたいんですが」
「……僕ですか?」
 いや、ここに、この人以外いないのだ。これはやばい反応が来たかな、と不安が高まる。
「はい、すいません、駅に行きたいんです」
「駅というのは……列車ですか?」
 列車という言葉の響きは、何だか非常に古めかしくて違和感があった。駅に行けば電車はあるわけだし、聞き返すこともないと思うんだけど。
 ただ、僕が駅に行きたいのは公衆電話が目当てだった。まず、ふみちゃんに電話をしたかった。銀河さんの電話番号は暗記してないが、ふみちゃんのは覚えてるので、先にそっちを探したい。駅に必ず公衆電話があるとは限らないけど、知らない家で借りるのは恐いので、駅がいいと思ったのだ。
 すると、同い年くらいの少年は言った。
「黒い列車が来ますが、夕方まで待たないとダメです。あと、長い時間は停まってないので、警笛が三回鳴るまでに乗らないと、置いてかれます」
 説明は決して雑ではないが、飲み込むのが難しかった。黒い列車というのは、やたら不吉な感じがする言い方だけれど、まあ電車がその色なのかもしれない。あと、駅に行くだけで電車には乗らないので、出発時刻は関係ないから大丈夫だ。
「わかりました。ありがとうございます。すいません、駅への行き方も教えてほしいんです」
 相手は同い年くらいだけど丁寧に話した。ここで面倒くさがられたり、そっぽを向かれたりすると困るのだ。すると、少年はバッグからキャンパスノートを出し、シャーペンで地図を手描きしはじめた。ずっと無表情だけれど、意外に親切な人だった。同じ眼鏡のよしみだろうか、と僕はくだらないことを頭に浮かべて待った。
 黒い列車は夕方来るよ、警笛が三回鳴るまでに乗らないと乗れないよ――と念押しで言いながらノートをちぎって地図を渡してくれた。ノートの裏表紙に『遠藤』という名前が書いてあるのがチラッと見えた。もちろん、相手の名前を知ってもなれなれしく呼びはしない。
「ありがとうございます」
「三回だからね」
 そんなに警笛のことを繰り返すなんて、よほど電車の本数が少ないのかな、田舎町ではないのに……と思いながら地図を受け取った。きれいな読みやすい字で安心する。
 すると、相手の少年はさっきまで親切だったのに、急に後ろめたそうな顔つきに変わり、「じゃあ、これで」と去ろうとした。僕は、振り向く相手の背中に話しかけようとしたが、こちらに興味を失った雰囲気があったので、口をつぐんだ。
 ところが突然、道で、聞き慣れたお姉さんの大きな声が飛んできた。
「あっ、見つけた! 数井くんだよね! おっ、眼鏡仲間ができたの?」
 銀河さんだった。一人きりだ。遠藤くんは足を止める。いや、眼鏡仲間なんてくくるものではない。もちろん、知らない町で道に迷った孤独を埋めてくれた人だけど。
「カメラ少年、ちょっと待って。嘘みたいにさ、人がいないね。きみ、名前は?」
 遠藤くんは「カメラ少年」が自分のことだと察し、静かに振り返った。表情は少し硬い。いきなり通りがかった謎の年上女性に名前を聞かれて答えるものだろうか。
 銀河さんは僕たちのいる場所へ大股でスタスタ歩いてきた。ふみちゃんと合流してなかったのが残念だ。銀河さんは迷った気配は一切なく、余裕満点の笑顔だ。
「へー、近くで見ると、ほんといいカメラだね。名前は?」
「カメラですか?」
 遠藤くんが口を開いた。婦警さんが生活指導で近づいてきたような感じだ。それにしては肌の露出が高すぎるが。
「カメラじゃなくて、きみの名前だよ。名乗れる名前があるんでしょ?」
 銀河さんは腕組みして、さらに威圧感と谷間の深さが増した。
「遠藤……です」
 かなり物怖じしながら小声で答えた。くせっ毛の前髪と眼鏡で表情を奥に隠している。
「へぇ、『深い河』の眼鏡の遠藤くんか。オッケー。ごめん、実はさぁ、ナビゲーターの女の子とはぐれて困ってたんだ。悪いんだけど、噂に聞く『幻燈市(げんとういち)』をやってる場所に案内してくれない?」
 何もかもが強引だった。遠藤くんはビクッと肩をすぼめ、奇襲された動物みたいに身構えた。銀河さんの言った内容は知り合いの僕すら話が全然見えない。ナビゲーターってふみちゃんのことだと思うけど、ふみちゃんは何を案内する予定だったのか。でも、ラムネを買いに行って行方不明になってしまった。どうしてこうなったんだ。
 それに、『ゲントウイチ』というのも初耳で、車の中でも聞かなかったし、そのとき一瞬、弁当市に聞き違えそうになったくらいだ。
「『幻燈市』――知ってるんですか」
 遠藤くんの顔つきが急に変わる。なぜか、少し僕たちに心を近づけたようにも感じた。
「ナビすけちゃんから聞いたんだ。この辺なんでしょ?」
 ちょっと待て。ナビすけちゃんてのはふみちゃんのことか。もうお菓子のナビスコみたいになっていて、しかもビスケットやオレオの袋が詰まったお徳用袋を抱えているふみちゃんを想像すると異様に似合っていて、僕はここで思わず吹き出しかけたのを我慢した。
 違う、ゲントウイチだ。市ってのは市場だろうか……。ただ、眼鏡市場と瀬戸物市以外に行ったことがない僕はゲントウがよくわからなかった。
「銀河さん、『ゲントウイチ』って何ですか?」
 目的地があるのなら、せめて僕にも教えてほしい。
「幻の燈(あかり)の市。あたしも今日初めて行くんだ。何かね、都合の悪いものを売り買いする、きれいな夜の市なんだって。さっき駅で、若いくせに辛気臭い眼鏡の車掌男にも聞いた。数井くんだっけ、何かさ、この町は暗い眼鏡が多いね」
 えっ、銀河さん、駅に寄ったのか。その若い車掌さんは知らないけれど、遠藤くんや僕も【暗い眼鏡】カテゴリーに数えられているとしたら失礼だし、心外だ。というか、銀河さんに比べると全員暗くなるんじゃないだろうか。僕も遠藤くんもたぶん普通だ。普通が一番だ。
「車掌って……? 銀河さん、駅に行ったんですか?」
 確か銀河さんの車は、駅とは関係ない場所に停めたはずだが、何で駅に行ったんだろう。ふみちゃんを探したのかな。
「いや、それがね――行ったわけじゃなくて、たまたま駅に出たの」
「あ、運が良かったんですね」
 一方、僕は方向感覚がいまいちで、かろうじて遠藤くんに会えて助かった。そして、遠藤くんはこの意味不明なやりとりを黙って聞いている真面目な人だった。
「運じゃないんだよね。この町は、歩いてるうちに道の形が変化している気がする」
「はっ?」
「数井くん、お姉さんを何かと疑うんじゃない。一応、車を停めた場所は正確に覚えてたから、方位磁針を見ながら戻ったんだけど、駐車場はなかった。で、仕方なく引き返したら、やっぱり道の形が変わってるんだよね。若い眼鏡の車掌がいた駅は、いきなり途中で現れただけ」
 銀河さんはいったい何を言ってるんだ? 道の形が変わる……? そんなこと起きるわけないじゃないか。道を正確に覚えてたって言っても記憶が絶対とは限らない。
「要するに、駐車場もわからなくなったんですね?」
 ううむ、と銀河さんは腕組みして首を傾げる。遠藤くんはその間じっと僕たちを見ていた。
「そうね、とにかくもうお手上げ。道がおかしいの。ナビすけちゃんがいないとダメな気がする」
「あっ、ふみちゃんに早く電話しましょう!」
「もうしたよ」
 銀河さんは何を今さら、というあきれ顔をした。まあ、それはそうか。
「してみたけど、あの子は携帯って何で持ち歩くかわかってないのかな? 普段から着信に全然気づかない幸せ者だったりする?」
「うーん……要は出なかったんですね」
 どっかでラムネを飲んでるのかな。銀河さんは携帯をポケットにしまった。
「ちっちゃいんだから、携帯よりさ、ボタン型の探知機のほうが似合うよね」
 いや、ふみちゃんは野鳥や子ぎつねじゃない。
「困りましたね……」
「家に忘れたきみが言う台詞じゃないね」
 それはその通りだった。銀河さんは眼鏡を暗くする僕を一瞬で笑い飛ばしながら、夕暮れが近づき赤みが濃くなってきた空を、すっと見あげた。
「まあ、本来、こんなに視界をさえぎる建物が建ってなければ、近距離で電話なんか要らないんだよ。声で探せばいい。文明ってのは、要らない物を増やすんだ」
 何の映画だったか、焼け野原で、大声で子どもを探す母親のシーンが浮かんだ。いや、何の映画でもないかもしれない。僕の脳裏にあった単なる情景な気もする。
「さて、返信のないナビすけちゃんを探すには――ラムネに頼るしかないかなぁ」
 と銀河さんは遠藤くんの顔を見た。僕もすぐに察して、簡単に状況を説明すると、遠藤くんはちゃんと聞き入れてくれた。何となく幻燈市のことを話した瞬間から、距離が縮まった気がする。
「ラムネの店なら、わかります」
「はああんっ、もう!! 助かるうっ!!」
 銀河さんが僕をボンと押しのけ、遠藤くんの手をぎゅっと握り、目をキラキラ――いや、ギラギラと輝かせて飛び跳ねた。遠藤くんは目の前でぶるんと揺れる大きなものに少し戸惑いながら眼鏡を伏せた。銀河さんに対し、僕たち【暗い眼鏡同盟】の眼鏡は強烈な光をさえぎる楯に近い。
「よし、エンドゥに臨時ナビゲーションを頼もう!」
 エンドゥって誰だ。AND-DOなのかな。遠藤くんも「僕ですか?」という顔をする。そして、銀河さんは完全に仲良し顔でカーナビのボタンを押すくらいお気楽な感覚で、遠藤くんの胸の真ん中をポーンとつついた。
 ラムネの店を探してふみちゃんが見つかるのか根拠は薄いけれど、好き勝手言い出す銀河さんと二人きりより、地元の少年がいるほうが安心できる。ふみちゃんが着信に気づけば、もっと確実に探せるのに。だけど、ふみちゃんは仕方ない。確かに銀河さんの言う通り、保護観察動物のように小型探知機を取り付けておけば良かった。


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