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後輩書記とセンパイ会計、異郷の槍術に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば日本三名橋の一つに数えられる山口県岩国市の『錦帯橋(きんたいきょう)』の木造部設計者、児玉九郎右衛門の片腕にだってなれただろう。ふみちゃんは小学生時代、割り箸の寄せ木細工で法隆寺を大中小
「数井、違うぞ。橋の設計は理系の領域だ」
「えっ?」
 水を差したのは生徒会長の屋城世界さんだった。
 そんな数学が得意な理屈屋の僕は、生徒会所属二年、会計である。

 六月半ば、学校の視聴覚室。天気は薄暗い霧雨だが、黒いカーテンで締め切っていて外の様子はわからない。前方スクリーンでは『錦帯橋』を撮影したビデオ上映が終わったところだ。撮影日は六月六日。映像の中身は、止め釘を使わない「組み木の技法」で建造された立派な橋を渡り終え、槍倒しという札が立つ大木の彼方にきれいな虹が輝き、【錦帯橋編・完】のテロップで結ばれた。観客は僕とふみちゃんと女子副会長の英淋(えいりん)さんの三人。操作盤の前に世界さんが悠然と立っている。
 世界さんはすごい名前だが、性別は男だ。走り幅跳びで県大会へ行った陸上部の三年生エースであり、暇さえあれば各地の名跡を旅する歴史好きで、自由奔放な考えの持ち主でもあった。
「どうだ? 来年の修学旅行は、日本の三名橋を巡る旅を提案してみたいんだ」
「それで……わざわざロケを?」
 僕は溜め息をつく。この人は来年春には卒業だが、後輩の修学旅行にどこまで本気なんだ。けれど、その溜め息を少し寂しさが包む。
 礼儀正しい英淋さんが挙手して尋ねた。
「日本三名橋ってどこですか?」
 英淋さんは留学経験があり一歳年上だが、学年は僕と一緒だ。留学先で日本文化に興味を持ったそうだが、日本の名所にはあまり詳しくない。と言う僕も日本三名橋は初めて聞いたけれど。世界さんは答える。
「諸説ある。一般的なのは東京の日本橋、山口の錦帯橋、長崎の眼鏡橋だな」
「眼鏡橋? そっちも面白そう!」
 と英淋さんは僕の顔を見る。確かに僕は眼鏡をかけているが、橋に例えられるような真ん丸レンズではない。梅雨だから撥水力の高い眼鏡に新調したけれど。
「でも、すごい移動距離ですね。東京、山口、長崎とか無理ですよ」
 開架中学の生徒会は、修学旅行の案を出せる権利を持っていた。他校では珍しいそうだがここでは学校の伝統だ。噂ではどうも世界さんの姉である銀河さんが女帝……いや、生徒会長時代にその権利を得たのだという伝説がある。
 それより世界さんだ。この人は無理と言っても即座に切り換える天才なのだ。
「諸説あると言っただろ。本州と九州の間、壇ノ浦に架かる関門橋があるよな。修学旅行では、あれを三名橋の一つに仮定する。錦帯橋、関門橋、眼鏡橋なら一直線だ」
「いや、仮定とか通じないでしょ……」
「壇ノ浦は歴史の名所だ。先生たちの根回しはしてある」
 今日の会議で生徒会の案をまとめるのだが、場所が視聴覚室になったのは僕たちに映像を見せて説得するためか。世界さんは三名橋巡りを貫くつもりだ。ビデオには姉の銀河さんがはしゃぐ声も入っていた。銀河さんの運転で行ってきたのか。実に強力なコンビだ。世界さんは自信満々だ。
「日本はいずれ鎖国すべきだから、長崎は若いうちに見ておくべきだぞ」
 謎のひと押しだった。

 僕は首を傾げつつ、さっきから静かなふみちゃんの様子が気になった。ふみちゃんは組み木の技法で作られた錦帯橋に興味津々なのか、一時停止された画面に見入っている。というか書記なのにノートを取っている気配がない。まあ、取るまでもない気もするが。ただ、ふみちゃんが錦帯橋を気に入って世界さんの味方についてしまうのは困る。
 ふみちゃんは小さい手で挙手した。
「屋城センパイ、橋のたもとに八尺の大きな蛙がいますが、大丈夫でしょうか?」
 予想外の質問だった。
「ん? カエル? 八尺ってどれくらいだ?」
「江戸時代以前だと、八尺は約二メートル四十センチです」
 三人一斉に不穏な顔つきになった。世界さんが言葉を選びつつ、一応答える。
「――そんな、でかいの映ってないぞ」
「あ、でも、その『槍倒し松』のそばに立って、口から虹を……」
 やばいこれはあれだこれはあれだ……ふみちゃんがおかしなことを言い始めた。視聴覚室に入った時、ふみちゃんはこの暗さを無邪気に楽しんでいたのだが、映像を見つめる今はただ無表情に、自分の目に映っているらしいものを僕たちに説明しようとしていた。
 ふみちゃんのバッグから愛用の花柄のしおりが飛び出し、スクリーンに張りつくように宙を舞う。ここから見ると、思い通りに動かない狂ったカーソルみたいだ。それを追うようにふみちゃんも席を立ち、スクリーンの前に立って映像内の場所を指差した。ここです、と。
「……なるほど、そんなのがいたか」
 世界さんが頷いてそばに寄る。並ぶと、ふみちゃんの背の小ささが際立った。僕はどうしていいか悩み、強張ったまま動けない。英淋さんと目が合ったが、向こうも混乱状態にあり、
「数井くん、蛙いないよね?」
 と小声で聞いてきた。僕は自分の正常な感覚を確かめるように何度か頷く。前方では世界さんとふみちゃんが何やら話し合っている。いったい何がどうなってるんだ。
 そのとき。
「おい、数井!」
 世界さんが突然僕の名前を呼んだ。心臓が縮みあがるかと思った。
「ちょっと『大島流』ってのを調べてくるから、代わりにふみすけの話を聞いてくれ」
 そう言い残してスタスタと機敏に視聴覚室を出て行った。世界さんはふみちゃんをふみすけと呼ぶ。それより僕は状況が全然理解できないまま、困り果てて命令通り前に行った。話し相手を求めるふみちゃんの純粋な眼差しを受け、僕は腹を決めた。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「その蛙は……何をしてるんだ?」
「槍を構えて、虹を噴き出してます」
 まったくわからない。剣を持って火を噴くパフォーマンスが頭に浮かんだ。そんなもののわけがない。
「槍を持ってるってことは……そいつは立ってるのか?」
「数井センパイ、合ってます。勇ましいほどの仁王立ちです。それが周防(すおう)の士魂のようです」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。周防とは岩国を含む山口県南東部の古い地名で、八尺の大蛙が住み着いているらしい。虹のような気を噴き、これに触れた鳥や虫はみな大蛙の口に入ってしまうという。さらに腹が足りなければ、槍で人を襲うこともあるそうだ。この日は他の地方から大物が来ると聞きつけ、山奥からわざわざ現われ、岩国城前の槍倒し松で待ち構えていたのではないか、とのことだ。


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「さっきから槍倒しって言ってるけど、何なんだ?」
「岩国武士は負けず嫌いなんです。昔、大名が他の藩の城下を通るときは、行列の槍を倒すのが礼儀でした。でも、大きな藩が小さな藩の城下を通るときは槍を立てて堂々と通ります」
 なるほど。
「岩国藩は六万石の小さな藩にされてしまったので、自尊心の高い岩国武士達は怒り、あえて横枝の張った松の木を橋のたもとに植え、槍を倒さなければ通れないようにしたんです」
 それで槍倒しか。僕は藩の大小は正直よくわからない。ふみちゃんが語る地方武士の気概を理解するのは難しい。
「で、他の地方から来た大物って誰なの?」
 ガチャッと視聴覚室のドアが開いた。世界さんが傘を持ち、上気した顔で入ってきた。ふみちゃんは僕の問いに答える。
「それは――屋城センパイです」
 何なんだ……それは。この人が乗り込んだから大蛙が出て来たとか。
「『大島流』ってのは槍の流派だな。教頭が知ってた」
 世界さん、どこに聞きに行ったんだ。職員室か。
「ふみすけ、もし錦帯橋に行くとなれば、そのデカ蛙と槍で戦う必要があるのか? 達人に稽古をつけてもらう必要があるか?」
 傘を槍のように威勢よく構える。この人は長い竿状の物を持つとテンションが上がるのだろうか。ちょっと小学生みたいな可愛げがある。
「屋城センパイ、違います。八尺の蛙の繰り出す槍術に勝てる人間はいません。飛びますし跳ねますし、中学生が束になっても敵いません」
 もうその絵がおかしい。モンスターを狩るゲームか。
「ううむ……なら、蛙の腹を満腹にさせるよう鳥や虫を大量に持参して放つか」
 この人はどんだけ錦帯橋に旅行させたいんだ。というか世界さん自身は行かないじゃないか。なら、大蛙は出ないかもしれないし、いや、そもそもいないだろうし、問題ないけれど、たぶん僕はこのまま黙っておいて錦帯橋を諦めてもらうのが賢明だ。
 と考えたそのとき。
「イヤ! 鳥とか虫を放つのは絶対イヤ!!」
 ずっと黙っていた英淋さんが一言で決着をつけてくれた。英淋さんが一番真っ当な感覚で、一番感情的だった。

 結果的に英淋さんの悲鳴でこの話は消え、生徒会室に戻り、普通に旅行先を検討して案を決めた。夕方に雨は止み、水彩で描いたような美しい虹の橋が空に架かっていた。ただ、ここは周防ではないが、あの元に大蛙がいるのかと想像するといまいち心が晴れなかった。
 帰り道、水たまりを避けつつ、ふみちゃんと並んで歩く。
「大蛙が虹を噴くというのは、雨上がりの例えかもしれません」
 ふみちゃんも虹を見たのだ。そうだねと頷き返す。
「三名橋巡りは消えましたけど、長崎の眼鏡橋は、いつか行ってみたいです」
 なぜか僕に甘える感じだった。
「いつかって、いつ?」
「……数井センパイ、眼鏡の日は十月一日です」
 ちなみに世界さんが撮影した六月六日はカエルの日らしい。ケロケロという鳴き声の語呂らしいが、強引だねと苦笑いした。
「せっかくだし、錦帯橋に寄って、眼鏡橋に行きたいね」
 流れでいつか長崎へ行くという約束はしたけれど、ふみちゃんとは別に進展はない。存在もわからぬ大蛙が噴き出したはずもない虹をまた眺め、心が透くのを感じながら、ふみちゃんと帰るだけだ。

(了)

各話解説

■後輩書記とセンパイ会計シリーズ

 第一巻から第三巻に続き、今回も和やかに楽屋話を交えながら作品解説をしたいと思います。日頃お世話になっている関係各位へのお礼を兼ねて、つらつらと気ままに記したいと思います。どうぞお付き合いください。
 第四巻は、後輩書記シリーズの進化として、いつも通りのゆるふわでなく、割と登場人物の内面に踏み込んだ作品を書き上げてみました。そう思い立ったきっかけは、三味線の弾き語りとのコラボレーションだったのですが、それは「長老失格」の解説で語ることにしましょう。
 第一作目「異郷の槍術」は、加楽幽明さんが編集長を務める競作掌編集『シンクロニクル参號』(二○十三年四月十四日発行)に掲載された作品です。合同誌のテーマは、「水彩ノスタルジア」というものだったので、何か水彩的な郷愁を感じる物語を書こうと思い、いろいろ考えた結果、『周防の大蝦蟇(すおうのおおがま)』という巨大蛙の妖怪を選びました。竹原春泉画『絵本百物語』で描かれた、槍を持ち、虹を吐き出して鳥や虫を落とすという姿と、岩国藩の武士の逸話を重ねたのですが、錦帯橋の「槍倒しの松」は実際に今も残っており、作中で語られるエピソードの通りです。なお、中学生を山口県まで行かせるのは大変なので、世界さんが視聴覚室のスクリーンに映像を映して説明するという構成になりました。
 また、第四巻の冒頭作でもあるので、このシリーズで定番にしている書き出しの形を、「橋の設計は理系の領域だ」と崩しました。定形を少し崩すのは、なかなか楽しい作業でした。冒頭にふさわしい一作になったと思います。
 葛城アトリさんによる世界さんと大蝦蟇のイラストは、十分すぎるほどのインパクトとユーモアがあり、世界さんの快活な雄姿を待っていた方には、きっとご満足いただけるものだと思います。

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