最高存在の祭典を現出させようとしているリベラルというのもおこがましいし、左翼と呼ぶのさえはばかられる連中ー被害体験と承認欲求と詐話師

北朝鮮脱北者からみた、最高存在の祭典準備を実行中のアメリカ。

日本に来たイエズス会士やら、玉姫もこのたぐいではあった。玉姫もオペラかなんかになってたんだっけ

学術論文で、ソンは「蛮人―犠牲者―救済者」のモデルについて書いている。金正恩のような「蛮人」が、パクのような清純でよるべない犠牲者に数々の悪行を働き、結果的にこの犠牲者は外部の救済者(多くは白人、たいていはキリスト教徒)のおかげでそのひどい状況から逃れる、というモデルだ。ソンは、私にはもっとあけすけな表現した。「彼らには、デブでブサイクな独裁者に虐待された、よるべない、清純そうな難民を憐れみたいという欲求があるのです」

いつもの。流れとして。
どんな人間も善を求める
→深いことを考えないが善意で発動されればすべて善
→地獄への道は善意で舗装されている
→この世は地獄にまっしぐら

で、現実は善意をうまく使ってマネーをもらおうとか権威をもらおうとか承認欲求満たそうとかで更にひどい。

民族の歴史の形成過程に必要だったりはするが‥

だがこうした北朝鮮をめぐる物語の多くは、慎重な精査を受けると破綻する。この手のストーリーを語る人々は、政治的・金銭的需要をそこに見出しているのであって、すべての事実を確認するという途方もなく大変な作業はしないからだ。

事実確認は不要。広義の強制広義の強制で日本の人狩り!とかやってたのも、あちら側で政治的金銭的需要があったことは間違いない。

朝日新聞がそうだった。

 慰安婦については、今も実態がはっきりしない点が多くあります。現在までの研究成果や知見を踏まえると、このメモには誤りや不正確な表現があります。90年代から疑問を指摘されていた点もありました。長期間にわたり読者の誤解を招く表現を放置し、対応を怠ったことをおわびし、訂正します。誤りは、慰安婦と挺身隊を混同したことです。女子挺身隊とは軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、兵士らの性の相手をさせられた慰安婦とはまったく別のものです。また、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした。日本人を含めた慰安婦の総数を示す公式記録は見つかっておらず、国内の研究者の推計も変化しています。民族ごとの比率も明確な資料は見つかっていません。現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人とし、99年には2万人前後と修正しました。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上としています。日本人や他の民族の慰安婦が全体に占める比率も諸説あり、確定していません。第三者委の報告書はこのメモについて、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しました。また、「集積された先行記事や関連記事等から抜き出した情報をそのまま利用したものと考えられる」と述べ、「当時は必ずしも慰安婦と挺身隊の区別が明確になされていない状況であったと解されることを考慮しても、まとめ方として正確性を欠く」としています

まさにこの事例である

しかし、パクの話に食い違いがあるのにはもうひとつ理由がある。それは後になって口にするようになった話で、いわく、中国の人身売買業者の手中に落ち、2年間性的に搾取されていた事実を隠したかったからだという。「私が13歳から15歳まで性奴隷だったと話したら、韓国では、まともな男性は私と結婚してくれません」と彼女は私に語った。

これを見ると思い出すのは、慰安婦証言の変遷である。

それは痛ましい話だ。だが、だからといって、彼女の北朝鮮時代の話にひどく食い違う部分があることの説明にはならない。私がこれらの矛盾について聞くと、こんな説明が返ってきた──聞いてくれる相手が望み、期待することに基づいて、自分の生活のどの部分に光をあてるか選ぶのだ、

韓国の左翼が運営してたナヌムの家で韓国の左翼に搾取されながら依存して暮らしてたら、その要望に沿った話をやっていくだろう

韓国社会で元慰安婦のハルモニ(おばあさん)を支えてきた車の両輪が両方外れ、迷走する事態になっている。運動団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連、旧・挺対協<ていたいきょう>)の寄付金不正流用疑惑で5月から検察が捜査に入ったのに続き、今度はハルモニが暮らす施設「ナヌムの家」(京畿道広州市=キョンギド・クァンジュシ)への寄付金のほとんどを、施設を運営する福祉法人が蓄財していた疑惑が浮上したのだ。

こういう連中がまさに政治的、経済的利益、需要を求めて、お涙頂戴、敵を殺せな物語を作って日本叩きに使ってきた

聞く方も

聴衆は歓声をあげた。彼らは、この話が正確な事実かどうかは気にしていないようだった。広い意味で、なんとなく本当だと感じられればいいのだ。

1984の二分間憎悪かテレスクリーン。いつもこういう物語に騙されるのはネトウヨ、日本人だけ!リベラルはきれいな心と知性があるから騙されない!というのは寝言である。

伝統的価値観を放り捨てて理性を礼賛して出来上がるのは、最高存在の祭典である。

左翼のいう反知性主義はバカの言い換えだが、知性万能もバカである。

フランス革命が絶頂に達しロベスピエールの独裁が確立した時期で、恐怖政治がフランス全土を覆っていた。彼は人間の理性を絶対視し、キリスト教を迫害しカトリック教会制度を破壊した。同時に恐怖政治は美徳に基づくべきという理想を持っており、キリスト教に代わる道徳を求めていた。また、国内は不安定さを増し革命政府は祖国愛に訴えて革命の危機を乗り越える必要があった

因習には長年の知恵が隠れていることがある(隠れてないクソ迷惑なのがないとはいわない

人間を過去から切り離すと雀に指を指したり、おばあちゃんがポル・ポト焼きされたりする。

そして詐話師は自分の過去の惨めさを塗りつぶせて、承認欲求も金も満たせるから道徳的な詐話をする。

この場合正義のためだからと、話がエスカレーションする。
gpなんかもこんな感じだろう。 

わしがこの話から得た教訓

  1. 公平な観察者

  2. 中庸

  3. 善意三段論法

  4. 個別最適をめざすしかない

  5. トクヴィルでいいかな


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