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エネルギー的世界観

 化学熱力学は原子・分子ではなくエネルギーから見た物質についての学問です。今日はエネルギーという名の「世界観」についてお話します。

エネルギーに実体はない

 中学校の理科では,エネルギーは「仕事をする能力」と定義されます。ですが,そう言われても,わかった気は全然しませんね。

 エネルギーという言葉は,現代の私たちにとっては日常語になっています。人間社会における「エネルギー問題」という言葉は,石油や太陽光などの燃料や資源といった言葉と結びついています。

 また,中学校の理科以来,様々な種類のエネルギーを教わっています。力学的エネルギー,電気エネルギー,熱エネルギー,化学エネルギー,光エネルギー,核エネルギーは,物体の運動,放電現象,電球の灯,熱さや冷たさ,核燃料格納容器などといった感覚を通して知ることができるイメージと結びついた言葉です。

 そうすると,エネルギーとは物体や物質の中に存在する「実体」のある何かモヤモヤしたものなんじゃないのか?とも思えてきます。ところが,その考え方は実は間違っているのです。

時々,【物体の中に「エネルギー」という名前の”実体あるもの”が充填されている。】のようなイメージを持ってしまっている人がいるが,それは全く正しくない。

前野昌弘著,「よくわかる初等力学」東京書籍 p.203

 ファインマンも,こんなことを言っています。

 エネルギーとは何だろうか。それについては,現代の物理学では何もいえない。このことは頭に入れておく必要がある。エネルギーは決まった分量のつぶになっているということはない。そのようなものではないのである。しかし、ある数量を計算する式があって、それをみんな加えると"28"というーーいつも同じ数になるというのである。いろいろな式のからくりや理由にはふれないという点で、エネルギーというのは抽象的なものなのである。

坪井忠二訳,「ファインマン物理学Ⅰ 力学」岩波書店 p. 50

 とりあえず,エネルギーは実体がないけれど,その量は計算できるものなのだ,と考えておきましょう。

 実体がないのに,その量を計算できるもの。別な身近な例は「お金」です。1万円札はただの紙切れに過ぎないのですから,1万円という「商品と交換できる能力」には実体がありません。しかし,お金の量は計算ができます。エネルギーもまた,そのような人間の都合で作られたものと捉えられます。

エネルギーは保存する量

 エネルギーは人間が作ったものである。では,どんなふうに作られているのかというと,保存するように定義された量なのです。

 保存とは,物体が外からエネルギーを与えられたら,与えられた分だけエネルギーが増加するし,逆にエネルギーを外に与えたら,その分だけ物体のエネルギーは減少する,ということです。これは一つの解釈,あるいは,世界観のことなのだと,私は理解しています。

 例えば,中学校理科でも学ぶ,1次元の物体の運動を考えてみましょう。宇宙空間に静止した物体に一定の力を加え続けると,物体は加速していきます。時間と共に,物体の速度は一様に増加するので,これは等加速度直線運動と呼ばれます。力を加えるのを止めると,物体はある速度$${v}$$で運動する等速直線運動になります。力が働いていなくても,物体は一定の速度で運動できる。これが慣性の法則で,直感に反するために理解が難しいところですね。このような見方を力学的な世界観と呼んでおきましょう。

力学的世界観で見た等加速度運動

 ここで,この物体の加速現象に対して別の解釈をしてみます。色眼鏡をかけるように,現象を全く別の見方で捉え直してみるのです。そうすると,物体に力$${F}$$を加えて距離$${\varDelta x = x_f - x_i}$$だけ移動することを仕事$${W = F \varDelta x}$$と呼びますが,これは外部から物体へのエネルギーの移動と解釈できます。その結果,物体は初期状態(Initial state)では運動エネルギーを持たない状態だったけれど,外部から物体に仕事がなされることによって,終状態(Final state)では物体に運動エネルギー(Kinetic Energy, $${K = \frac 1 2 mv^2}$$)が貯まった,と考えることができます。これがエネルギー的世界観です。

エネルギー的世界観で見た加速度運動

 エネルギー的世界観のメリットは,物体の始状態と終状態だけを考えればよく,その途中の過程を気にする必要がなくなる,ということです。エネルギー的世界観では”等加速度”である必要がありません。どのような加速の仕方でも,結果は同じになります。時間変化の情報が消えてしまっています。

状態量と移動量

 理科では普通,物体に加える力$${F}$$の大きさは一定になる場合しか考えないことが多いので,$${W = F \varDelta x}$$というふうに単なる掛け算で仕事を計算できます。

 しかし一般的には,加える力の大きさ$${F}$$は自由に変更できます。例えば,自宅から職場まで車で移動するような場合は,途中に幾つか信号があるし,道もカーブしてますからアクセルとブレーキを踏んだり離したりします。このような場合,車にした仕事を計算するには瞬間ごとの力の大きさをいちいち記録して,その全ての情報を足し合わせなければなりません。

 ところがエネルギーの考え方を使うと,始状態の運動エネルギー$${K_i}$$と終状態の運動エネルギー$${K_f}$$という2点の情報だけを使えば,以下の式から仕事量を計算することができます。

$$
W = \varDelta K
$$

 右辺は運動エネルギーの変化量$${\varDelta K = K_f - K_i}$$で,物体の状態のみで決まる「状態量」と呼ばれます。一方,左辺は仕事$${W}$$で,外から流入したエネルギーの量を表しているので「移動量」と呼ばれます。お金の世界ではストック(貯蓄量)とフロー(流入出量)という金融用語がこれに相当します。

 物体運動の場合,物体の状態は状態量である質量$${m}$$と速度$${v}$$で表されますし,それらを使って表される運動エネルギー$${K}$$も状態量です。外部からの仕事によって物体が獲得する運動エネルギーの変化量は,それまでどのような力が加わったとしても経路には無関係で,ただ始状態と終状態の情報だけで計算できます。 

位置エネルギーとエネルギー図

 質量$${m}$$の物体を外力$${F}$$によって持ち上げる場合も同様に考えられます。

 まず力学的世界観では次のように解釈されます。重力加速度を$${g}$$として,重力$${-mg}$$が作用する物体に対して,重力と反対方向に重力よりも少し大きな外力$${F}$$を加えると,物体は上方向に加速します。次に物体に加える力を重力より少し小さくすると物体は減速します。物体の高さが$${h}$$になったときに重力と外力の大きさを等しくすると,物体は停止します。

 次にエネルギー的世界観で同じことを見てみましょう。外力によって物体に仕事$${W}$$をしたとき,物体が持つ位置エネルギー(Potential Energy, $${P}$$)は$${mgh}$$だけ増加して,物体に蓄えられます。位置エネルギーはどのような経路をたどっても(いったん高さ$${h}$$よりも上に持ち上げてから,再び高さ$${h}$$まで下げたとしても),今の高さ$${h}$$の情報だけがわかれば,位置エネルギーも一つに決まります。その結果,物体にした仕事は位置エネルギー変化$${\varDelta P = P_f - P_i}$$から求めることができます。

$$
W = \varDelta P
$$

 位置エネルギーはその高さ$${h}$$に比例するので,視覚的にもわかりやすいです。エネルギー図は重力場中の物体の高さをアナロジーとしてエネルギーの変化量を表現したものです。多くの人は,高いところにある物体のエネルギーは床にある物体よりも大きいことを経験的によく知っています。したがってエネルギー図を使えば,他の種類のエネルギーについても「ストック」と「フロー」をわかりやすく表現できます。エネルギー図は力学的世界観をエネルギー的世界観で捉え直したものと言えます。

力学的世界観とエネルギー的世界観で見た物体を持ち上げる動作

まとめ

  • エネルギーには実体はない。保存するように作られた量である。

  • 保存するためにはエネルギーを状態量と移動量の2つに分けて考える必要がある。

  • 物体に貯まっているエネルギーは状態量,物体の外部とのエネルギーの移動量が仕事である。

  • 物体と外部との間のエネルギーの移動量を,始状態と終状態の2点間のエネルギー変化で表現したものがエネルギー図である。

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