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中2理科の化学反応式を【理解】する(3) 原子論的世界観

 中2理科の教科書を読んでいるところです。

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理科教科書の内容

物質をつくっているもの

 教科書は実験から一旦離れて,少々長い講義っぽい部分が続きます。この部分は退屈で,興味がない人にとっては眠たくなるような話が始まります。それが「原子・分子」です。以下には原子の部分だけ,箇条書きでまとめました。

A 原子

  • 物質は原子でできている。

  • 原子の種類が元素であり,元素は118種類ある。

  • 原子の大きさは大変小さい。

  • 原子の性質は以下の3つ。
    (1) 原子は分割できない。
    (2) 原子は消滅・生成しない。
    (3) 原子の質量は種類ごとに決まっている。

  • 元素記号と周期表
    主要な元素を記号で表す。


原子は現実か,それとも概念か?

 「物体を半分に分けるという操作を無限に繰り返すことは可能か?」と問いかけ,その限界が原子である,という言い方はよくなされるのですが,よく考えると分割に限界がある理由はよくわかりません。数学的に考えると,つまり頭の中だけ・概念の世界だけで考えた場合は無限に分割が可能です。

 ある単純な作業は概念の世界であれば無限に行うことができます。分割ではないですが,例えばフラクタルの世界は無限に拡大できます。いくら拡大しても,決して原子は現れません。数学の世界は現実ではなく,あくまでも概念の世界ですね。

 ところが現実世界では無限分割が不可能であり,分割の限界点があるはずだと断定して,そこに原子が位置付けられます。

 原子は現実に存在するのか,それとも概念なのか。最近は電子顕微鏡で撮影した「原子」の画像が出回っていますが,もしかしたら,あれは探針の運動の軌跡を記録した,単なるグラフじゃないんでしょうか?

 私は,原子を見ることも触ることもできない以上,やはり概念の世界に属すると思います。少なくとも,子供達の立場,教育的立場ではそうです。

 小学生の時から,実験結果を観察することによって何かを受け身的に学ぶ,ということを行ってきました。しかし原子は実験から得られる知識ではありません。そうではなく,遙かギリシャの時代から検討された結果得られた人類の知的共有財産であり,人間が社会を形成するために必要な,共通の世界観なのです。

 この「原子論的世界観」は中1の「状態変化」や「水溶液」を学ぶ中で粒子概念として導入されます。ここで行う実験そのものは,小4の「すがたをかえる水」や小5の「ものの溶け方」で行ったこととほとんど同じです。違うのは実験を「粒子概念で解釈する」ことです。観察は,どちらかというと受け身の姿勢ですが,解釈は自分で主体的に「イメージを創る」という創造的な思考活動です。

結果と考察の区別

 中学生・高校生が自由研究などで化学実験を行って,それをレポートとしてまとめるときがあります。レポートや論文は緒言・方法・結果と考察・結論という章立てで書くのがルールです。この中で書くのが難しいのが「結果と考察」の部分で,感想のようになってしまうことが多いです。

 結果とは何か,考察とは何か,その違いは何か?それを教えてくれる人はなかなかいません。なぜ難しいかというと,理科は単なる「現実世界に関する知識」であると思っているからではないでしょうか。

 実は,私たちは現実世界を自分なりの見方や考え方で解釈して,自分で自分の世界観を創り出し,その世界観で現実を捉え直しているのです。ですから,理科は世界を「理科の見方・考え方」によって捉え直す方法,そのような世界観を教えている。ここに気づけるかどうかが,結果と考察を区別して書けるかどうかのポイントにもなります。

現実世界を概念で捉え直す

 例えば床にに細長いものが落ちていたとします。これを蛇だと解釈して飛び上がって逃げる人もいれば,これを縄と解釈して平然としている人もいる。このときの蛇も縄も,その時点では人間の解釈によって作り出された概念であって,どちらが正しいのかはわかりません。

 この概念が現実と合っているかどうかを確かめるのが実験です。例えば,対象物の表面を触ってみるとか,木の枝で突いてみるとかします。

 もし実験をした結果,この細長いものの特徴が蛇と言われるものと一致していれば,蛇と断定できますし,縄の特徴と一致していれば縄と言えます。結果には「見ているもの」を書き,考察には「それが意味すると思うもの」を書きます。

 結果は,細長いものの表面には凹凸がたくさん確認された,といった書き方になりますし,考察には,この凹凸の特徴は蛇の鱗の凹凸と一致する,などと書くのです。

 ところが自然は不思議なもので,その細長いものが蛇と縄の両方の特徴を同時に示すことがたまにあるのです。そうすると,私たちはそれをどちらの概念にも当てはめることができなくなります。そうしたとき私たちは,自分の中の概念を変更せざるを得ません。蛇であり,かつ縄である,とはいったいどういうことか,考えを深めなければならなくなるのです。これが概念の深化であり,新しいものの見方の発見でもあります。

化学における世界観

 化学において,その基礎となる世界観は「原子論」です。物質は,あるいは物質でできている私たち人間や地球や宇宙を含めた万物は,全て原子と真空でできている。不生不滅であり,かつ分割不可能な原子が,何もない空間=真空で運動することが変化なのだ,というデモクリトスの原子論的世界観を中1で導入し,その世界観で物質を捉え直すという訓練が始まります。

 この世界観は決して実験から帰納的に得られるものではなく,いくら観察をしてもわかりません。そうではなく,物質を見る私たちの心の中で,物質観を変えていかなければならない。

 原子論的世界観とは世代を超えて人類が伝えなければならない現代社会の前提知識です。ですから,教科書では実験を楽しむのを一旦停止して,原子という概念・すなわち物質の捉え方に関するルール説明が書かれているのだと思われるのです。


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