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【空間論7】デモクリトスの原子論

我々は空間を、均質で無限な拡がりをもつものと考ています。しかし、それは現代の一般的な空間観です。

古代ギリシアのアリステレスから約2千年の長きにわたり、反対に空間は間隙なく有限な物体で充たされているものと考えられていました。

ただし、アリストテレスより前、古代ギリシア初期にまで遡ると、現代の我々と同じように、空間を均質で無限と考える一派がいました。
それがデモクリトスらであり、レウキッポスが創始し、デモクリトスが完成させた古代原子論です。

「空虚」を巡る論争

古代ギリシアにおいて、空間を巡る議論は「空虚」が焦点になっていました。何もない「空虚」は、存在するのか、存在しないのか。

空虚の存在を否定したのは、ギリシア植民地の南イタリアに拠点をおいたパルメニデスらのエレア派です。
空虚とは無であり、無であるものは存在しないとして、彼らは空虚の存在を否定し、世界は等質で連続した物体で満たされていると考えました。

一方、デモクリトスら原子論者たちは、空虚は実在すると考えました。エリア派が主張するように、世界が間断なく物体で詰まっているとすると、物体は身動きがとれず運動できないことになる。したがって空虚は存在すると主張します。

これに対してエレア派は、「空気」の存在を根拠にこの主張を批判します。一見して何もない空虚にも空気という物体が存在している。原子論者が空虚と見なしている空間は、空気で充たされていると批判しました。

再度、原子論者は、その空気が膨張収縮することを理由に、空虚が存在すると反論します。
空気を入れた革袋を水に沈めれば、革袋は萎みます。空気が水圧で収縮する時、空気に空虚が含まれているからこそ、空虚の割合が少なくなり、原子どうしが近接して全体が縮小する。エリア派のように空気を物体の連続体と考えると、このように空気が収縮したり膨張したりする現象を説明できません。

古代原子論とは

改めて、古代原子論を整理します。
アリストテレスは『形而上学』で、古代原子論を以下の様に説明しています。

レウキッポスと彼の仲間デモクリトスは充実体と空虚とが基本要素ですると主張し、一方はあるもの、他方はないものであるが、それらのうち充実していて堅固なものがあるもの、空虚で稀薄なものがないものであると述べた。

アリストテレスは『形而上学』第一巻

充実体とは不生不滅の原子(アトマ atoma)、空虚は(ケノン kenon)であり、宇宙はこの二つの基本要素で構成されます。

原子は無数にあり、それ以上分割できず、一切の変化を受けません。形状と配列、向きが変わることで、原子は様々な種類と大きさを持ちますが、色や臭い、熱などの性格は持ちません。
そして原子が衝突し結合して物体が生まれ、また分解することで物体が消滅するなど、原子の運動によって物体は生成と消滅を繰り返します。

それら運動する原子が於いてある場所が空虚です。空虚があるから原子の運動が可能になり、原子同士を区別することもできます。

空虚は「あらぬもの」や「あらざるもの」と表現されます。
エレア派のパルメニデスは「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」という存在論を提出しましたが、それに対してデモクリトスらは、「あらざるものは あるものにおとらず存在する」として、あるもの(原子)とあらざるもの(空虚)が並存すると考えました。

デモクリトスの唯物的な世界観

このように無数の原子は、空虚の中で盛んに運動し、衝突と分離を繰り返しながら物体を形成します。
求心力が働いて重いものが中心に、軽いものが外に配置されたり、磁力にように目に見えない相互作用が影響したりして、次第に宇宙(kosmos)が形作られていきます。こうして作られる宇宙は、無限の拡がりをもちます。さらに、こうした宇宙は無限個あるといいます。

始まりも終わりもない永遠の時間の流れのもと、無限に拡がる空間において無限個の原子が離合集散を繰り返して宇宙が形成されます。
いっさいの現象は原子の機械的な作用によって起こり、必然的に決定されます。人間の思考も、霊魂の働きも、原子の作用の一つと考えられていました。
このように古代原子論は、極めて唯物(論)的で、無神論的な世界観を示しています。

ちなみに、唯物論者であるカール・マルクスがイエナ大学に提出した博士論文は、「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」であり、元祖・唯物論者たちの業績の検証や評価を試みています。

共和制ローマでの流行

デモクリトスとほぼ同世代を生きたプラトンは、デモクリトスと接点をもつことはなかったといいますが、弟子のアリストテレスは、デモクリトスの業績を評価しています。
しかし、アリストテレスは「空虚」を認めず、原子論を全否定します。アリストテレスは、『自然学』で大枚を裂いて「空虚」を考察していますが、そこでは、たとえ空虚がなくとも、物体が相互に入れ換えれば物体の運動は可能であること、等質で無差別な空虚な空間のなかでは、むしろ物体は静止するなどと古代原子論の主張に反論を加えます。
そして、その後は長い間、空虚の実在を認めないアリストテレスの考え方が指示されていきます。

一方、古代原子論は、デモクリトスの死後、エピクロスが理論的改良を加えて発展させます。デモクリトスが唱えた原子の必然性を排除したことで、原子は直線運動だけでなく、ランダムな衝突を説明できるようになりました。

そして古代原子論は、共和制ローマにおいて大流行します。契機になったのが、ルクレティウスが著した『事物の本性について (De rerum natura)』6巻です。
これは壮大な叙事詩の一つですが、同時に古代原子論の全貌を伝える完全なるテキストです。

原子論の根本原理と原子論的宇宙論から始まり、生理学、性愛論、天文気象論なとを、神話や霊魂の介入を排除してながら、美しい比喩的な説明を駆使して謳い上げています。
そこに示された唯物的な自然哲学や無神論が、共和制ローマに大いに受け入れられました。

1500年を経てルネサンスで再評価

その後、古代原子論はすっかり忘れ去られていましたが、1417年、ドイツの修道院で『事物の本性について』の写本が発見されたことで、古代原子論が復活を遂げます。

ルネサンスが興隆する中で、『事物の本性について』は広く知られるようになります。物理学者のガッサンディやドルトンらは古代原子論を研究対象に取り上げ、近代自然科学を形づくりました。
また、フランシスコ・ベーコンらが唯物的な思想を経験論に再発展させるなど、古代原子論は、ルネサンス期の思想に影響を与えていきます。

De rerum natura in der für Papst Sixtus IV. 1483

空虚論争は続く

古代ギリシアでは、自然に関する関心から「空虚」を巡る論争が起こり、空虚を否定する一派と、肯定する古代原子論者が現れ、それ以来、論争を繰り返していきました。
ルネサンス期以降、原子論は自然科学の発展に大いに寄与して優勢のようでずか、いまだ論争に決着がついているとはいえません。

例えば、物理学で「真空」は空虚と同様、何もない状態を表しますが、実際は真空であるにも関わらず、そこにはエネルギーや質量が生じます。
真空では、物質と反物質が誕生と消滅を繰り返すと同時に、エネルギーが変化することで、真空が揺らぐ「真空の相転移」が起こります。真空の相転移は宇宙の始まりであるビッグバンを引き起こしたといいます。
また、宇宙の7割を占めるダークエネルギーやダークマターは現代物理学で解明の途上にありますが、それらは広い意味で空虚の中に存在するといえます。

古代ギリシアから始まった空虚論争は、これからも続いていくようです。

(丸田一如)

西川亮『デモクリトス研究』理想社、1971年
佐野正博「空間のイメージの変遷」『数理科学』1990 年
納富信留『ギリシア哲学史』筑摩書房、2021年