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属信化

おはようございます。
「薬屋のひとりごと」ぐらい緩いアニメが、刺激が少なくて好きなのかもと、次女と観ながら思うヒミツキチ森学園のあおです。


さて、今日は「属人化」ならぬ「属信化」というお話です。
水曜日は、教育全般や趣味のことを話します!

それではいってみましょう!

「誰にもできるように」が求められる


よく教育現場では、「属人化させないこと」が重視される。
誰でもできること > ある人でしかできないこと という図式だ。

「それはあなたしかできないでしょ」
「それだと次の学年の人が困るでしょ」

そういう声があり、「学級通信が書けない」と愚痴る友人をたくさんみてきた。
自分が磨いてきたスキルが、ある日急に取り上げられることがある。「それはみんなができないから」という理由でだ。

もちろんその気持ちもわかる。
揃えることは揃える方がいい、ある程度一定のルールや線引きは組織でいる上で必要だ。

ただ、ボクは「属人化」してもいいんじゃないかと思ってきた。

誰でもできることは、平均を作られて、自分の強みを削られていくように感じていたからだ。

さらには、退職後に役立ったのは、属人化に走ったものばかり。


しかしながら、こちらの本によると、「属人化はあってはならないもの」とバッサリ切り捨てられている。


「会社は社員に属人化に走らせてはいけない」
「明確なルールと仕組みで属人化を防ごう」

この本を開いて読むと、そのメッセージも正しいように思う。
ボク自身、目から鱗で、なるほどと唸らされることが多かった。


1月にて、今年で一番いい本に出会ったかもしれないと思ったほどだ。


学校という文化は、会社のそれと何が違うのか


だけれども、考えるうちに、正直どうやらそれだけでは片付けられないと思うのが本音だ。

学校においては、学級担任というシステムがある。
平たくいうと、「30人から40人ぐらいは、一人でなんとかせぃ」だ。

このシステム上で、属人化じゃない方向に走らせようとすると次のような文脈になる。

学級っていう担任の属人化に頼って成り立っているシステムの中で、属人化してはいけない。

え、何を武器にして戦えって?
ボクシングリングの上で、でも蹴ったり殴ったりしないで戦ってね。といった感じだろうか。

この構造上の問題が、「リーダーの仮面」や「とにかく仕組み化」でいうような会社の方向性と異なるところなのだろう。
会社だったら、学級担任というシステム自体を一度壊せる。
上司の一存で、チーム担任制にできるし、1年試すことができる。

でも学校ではなかなかそうはいかない。


学級担任というシステムを変え、チーム担任制にしたり、教科別担任にしたりなどの努力は見られる。

実はボクは今から17年前に教科担任制を学校で試していた学年にいたことがある。
教科担任でも十分に回るし、やれる手応えを感じた。

しかし、大枠の「担任至上主義」みたいなものが残ったまでの移行は、なかなか難しく、時間がかかるようにも感じた


子どもの可能性と力を「信」じる


ボクが最初に「属人化しちゃダメよ」に感じた違和感は、次のような発言だ。
「そんなことやって、次の学年で子どもたちが元の学びができなくなったらどうするの?」
というものだ。

確かにカリスマ的先生が持った、次の年、学級崩壊を起こすっていうのはよくあることとして語られることが多い。
#ちなみにボクはカリスマにはなれなかった
#なろうとも思っていなかったけど

でも、本音を言うと、
そんなに子どもって弱いの?
だ。

子どもは翌年には翌年のように適応していたし、自分で考えることを育てる実践をしていれば、形は他の先生と違えど、子どもたちは次の学年は次の学年で学んでいけるという確信があった。

学年に話を通しているのが前提として、「そんなことやって」の「そんなこと」の中身が、ただ与えられている「高級料理」ではなく、皆で肉を焼く「バーベキュー」のような実践だったとしたら、翌年も、子どもたちはちゃんと成長しているのではないだろうか。
#伝わらなかったらごめんなさい

要は子どもの可能性と力を信じているのか、に疑問を持ったのだ。



子どもたちに「属人」できる「信」頼


さらにヒミツキチ森学園で言うと、クラスは毎年解体せず、3学年1クラスとして存在している。3年生が4年生に上がる時にだけクラス替えが起こる。あとは新入生と卒業生だけだ。

たとえば今日ボクが倒れたとしたら、どうだろうか。ヒミツキチはどうなるだろうか。
それでもきっと、やっていけるはずだ。

その理由は、もう一人のグループリーダーやメンバーがいるからであり、子どもたちがいるから。

子どもたちの中に年々積み重なっている学びがあり、それは簡単に消えるものではない。子どもたちの学びの蓄積や成長に属人化していく
学級は大人の属人化じゃなくて、子どもに属人化していくなーんて、考えがあってもいいのではないだろうか。

また、ヒミツキチではグループリーダーも週に1回はリモートを取る。極端な言い方をすれば、「いない日」がある。
この「いない日」の価値は大きくて、普段からこの日があるから、属人化は自然と薄れていくのだ。


子どもたちとの共創や、それを支える仕組みの上では、信頼することによって、人に起因することなく文化が受け継がれていく「属信化」が起きるのだと思う。




そしてこの「属信化」こそ、「みんな揃える論争」に終止符を打ってくれる。
そんな未来を見てみたいと思う。


今日も読んでいただきありがとうございました。
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