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未知への憧れ

 2011年、おれが19歳の時だ。あてもなく外国でフラフラしていた頃である。世界地図を見る度に気になる場所が2ヵ所あった。

 1ヵ所はグリーンランド。世界の果て感漂う異質で巨大な空白地帯のイメージ。勝手にロマンを抱いていた。どうやったらそこに行けるのかも想像できない。荒涼として、極北という言葉がよく似合う。なんとなく最後にたどり着く場所に相応しいと思っていた。

 そしてもう1ヵ所が、西アフリカだ。西アフリカというと漠然としているが、マリとかギニアから、ガボンやコンゴなどのあの辺の地域。大学の授業で扱ったコンラッドの「闇の奥」の舞台であったからかもしれないが、ダークで危険な香り漂うアフリカの奥地というイメージ。




 おれが外国で泊まる宿は、安さを求めるが故に、大概はドミトリーと呼ばれる大部屋で、他の放浪者と同じ部屋で寝ることになる。年齢も国籍も色々な人がいて、おれよりも若そうなフレッシュな欧米のバックパッカーもいれば、現地の学生もいたりするし、いつからここにいるの?って感じの長老ヒッピーのおじいちゃんもいる。

 近くのベッドの人には軽く挨拶して立ち話が始まるが、こういう出会いは、1つの情報交換の場になる。

 あそこは険しいけどビューティフルで行く価値がある場所だとか、あの町のあの宿は安いが泥棒宿だから気をつけろ、とか。もっと広く、あの国の人は親切だとか、あの国の飯はまずいとか。

 そんな生の情報が絶えず入る中で、ほとんど情報が入ってこないのが、西アフリカであった。ケニアやタンザニアなどのアフリカ東部や、ナミビア、南アフリカ共和国などのアフリカ南部は、意外かもしれないが、割と観光地は多く、訪れる人もそこそこいるため、話はたまに聞くのだが、なぜか西アフリカの話は聞かない。


 全くないというわけではないが、聞いたことのある情報では、あの国境を越えた旅行者が毎年数人行方不明になっている、とか、あの国では旅行者はもれなく牢屋に入れられ、賄賂を払うまで出られないとか、尾鰭がつき、どこまでが本当かわからないような如何わしい噂ばかりであった。そして何よりその噂は全て又聞きしたもので、西アフリカへ行ったことのある張本人には会ったことがなかった。


 未開とか、未踏とか、未知とか、そんな言葉にただならぬ好奇心を持っていた時分である。フラフラと歩みを進めるにつれ膨れる西アフリカへの興味は、そのような言葉に対する怖さを上回るくらい高まっていた。

 これが冒険心というやつなのかわからないが、多少危険なことでも、自分なら大丈夫という謎の自信と自惚れに突き動かされることがある。時々おれは他の人より、怖いものや危ないものに対してのブレーキがゆるくなるようである。かの有名な冒険家、植村直己さんは、冒険家に必要な資質を問われた際、「臆病であること」と答えたというが、その点だけでいえば、おれは冒険家失格である。



 上海からポルトガルのロカ岬までゆるくユーラシア大陸を横断した後、深く考えずにモロッコへ渡り、衝動に駆られるまま、陸路で西アフリカを下った。モロッコから西サハラ、モーリタニアを経てセネガルへ。ムーア人、ベルベル人などのアラブ系の人々が住む地域から、ウォロフ族など、ネグロイド系のいわゆる黒人が住む、ブラックアフリカへの移動であった。

 結果セネガルまではたどり着いたが、隣のマリの情勢が不安定で国境が閉ざされていた。そのもっと奥のアフリカが見たくてここまで来たのだが、それを突破しようというジャーナリズム精神は持ち合わせておらず、当時はそこで前進を諦めた。しかし西アフリカへの想いは消えることなく、心のどこか隅っこの方でずっと燻っていた。

 
 そして6年後の2017年、おれは西アフリカへ戻り、自転車で7ヶ月、1万5千kmを走った。本当に様々なイベントに見舞われ、アフリカに染まった濃厚な時間であった。その中でも印象に残っているエピソードをこれからいくつか綴っていきたいと思う。

↓7ヶ月を15分にまとめたもの。家族や友人からは長いと酷評の嵐ですが、お時間のある方は是非。西アフリカ自転車旅のハイライト。


続く

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