クレマチスの丘
2019.10.24の日記。
クレマチスの丘は以前から友人の一人と行きたいと思っていたところで、その人がとても似合う場所だとずっと思っていた。
歩き方や姿勢とか、すごく好きな背中をしてる。持っているもの、ぜんぶ整理して頭に仕舞っているような、そんな勝手な印象を持ってる。この真っ白で、四角い建物の美術館がある場所で撮れたことが嬉しかった。
それにこれは同世代のバンギャにしか解らないことだけど、丘というのはとても意味のある響きをもった場所だから。
これは友人が撮ってくれていたやつ。
クレマチスの丘は、アート作品、植物や建物、ベンチや鉄塔に至るまで、全て計算されて配置されている作為的な印象。
とても人工的な美しさで、好きな場所。空間の使い方に楠本まきの整然としたコマ割り配置を思い出す。
ここにはミニシアター系の映画に出てきそうな無機質な灰色の美術館があって、展示物を並べる間隔や照明の配置が完璧だった。無駄な物が無い。
整然とした庭を眺めながら歩いて、睡蓮の咲く池で写真を撮った。
睡蓮といえば、やっぱりモネの白昼夢のような幻想美を連想しがちで、けどこの庭で見る睡蓮は、深緑に浮かぶ紫やピンクがサイケデリック。
以前ここへ来た時は、丁度この睡蓮の池の前で、三脚を使った撮影をしているカメラマンの姿を見かけた。まるでカメラ・オブスキュラだな、と連想して、その時に楠本まきを思い出した。
風と木の詩に出てきそうな鳥籠の形をしたベンチがあって、ジルベールが微睡んでいそうな、静かな場所だった。
二人で立ち寄ってこの緑を見上げた時、パズルみたいだね、と思ったのが多分同時。同じバンドが好きで、同じ場面で同じ曲を感じられるのは幸せなことだと思った。(Plastic Treeの蒼い鳥)
クレマチスの他にもいろんな植物があって、札を見たりしながら歩いた。
大根草というのがあって、大根の匂いでもするのかな?と思って葉を擦ってみたけど解らなくて、というかどれが大根草なのかもよく解らなかった。
その時、大根の匂いなんかするかな? と訊くと、大根の匂いを知らないと言われて、大根切るとするじゃん、と言ったら、大根を切らない。ときっぱり言われて笑ってしまった。大根を切らない人生もあるんだなと思った。笑
好きな会話だから書いておく。
途中、地中への階段があったりして、下がって、登る時には空を見る。
美術館での展示や、園内に設置されたオブジェ、全てが外部の事象と内部の精神を意識されている構造のように感じた。
用意された場所から自分の中へ向かっていけるような、人間の中身を見つめる切欠を用意してあるみたいな。美術館というより、心象風景に近く感じた。
庭はいろんな場所にふたつのベンチが用意されていて、友人があの椅子で話したいな、と丘のベンチを指した。
ベンチで話そうと言ってくれる人が居るってことが、どれだけ幸せな事か自分はもう知ってたから、この時の事は一生忘れないと思う。
ベンチがふたつなのは、ただの景観によるものかもしれないけれど、この場所は数人で連れ立って来て楽しく騒ぐよりも、一対一で来て感じたことや思った事を風の中で対話する方がずっといいと思う。
丘で話したのは、音楽で頭をいっぱいにしながら過ごした学生時代のことが大半だった。過去の話をしてみたいという友人の提案だった。
幼少期の話は、感情を抑え込んで話すことが、まだ不可能だから、その時には話せなかったけれど、出会っていなかった過去を話したいと言ってくれる人、そう思える相手に恵まれたのだと気付いて、一言で表現できないような思いがあった。友人はいつも大切なことを気付かせてくれる。本当にいろんなことを、見つけてくれる。
関西の元気な年配の方々が乗り込んできた、騒がしく愉快な園内バスで移動して、ツリーハウスという名前の森のカフェで、タルトとブレンドティーのティータイムを過ごした。
たしかバスの中ではピアノ曲が流れていて、ドビュッシーだった気がするけど記憶違いかもしれない。友人は覚えてるかな…?
好きな曲が流れていて嬉しかったのだけは覚えているのにな。
それから吊り橋で秋の森の空気を吸い込んで、他愛もない話をした。もしこんな事が日常だったら素敵だったろうなと、今も思う。
小雨の降る湿った冷たい空気まで秋の色をしていたような時間だった。
風の強い一日はそうして過ぎて、駅のカフェで林檎ジュースを飲みながら、最近あったばかりの即位礼正殿の儀の話をした。
天叢雲剣が祀られていた熱田神宮が晴れて、天叢雲剣がやってきた皇居が雨模様に。儀が始まると晴れて大きな虹がかかり、終わると再び雨へ。
そんな流れの美しさもあったけど、国民の意識が集中するなか天皇陛下が仰った「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」の言葉に、本当に胃が痛くなるほどの重みを感じた。
感動というより恐ろしかった。
たった一人の人間に国の象徴を果たしてもらうという事の重みを手放しで賛辞できなかった。あの場に立って、あんな風に読み上げて儀式を執り行う事の緊張を思うと、人間のできることではないと思った。
その印象を友人も持っていた事に、すこし安心した。お祭りのように騒ぐことに否定的な思いはないけれど、そこに温度差を感じているのが自分だけではないと思えた。
こうやって長い歴史の中で、時代の象徴を務めてきた人達に国の全ての責任を押しつけて何度も殺してきたんだなと思った。もちろん今は日本はそんな時代ではないけど、これまでの世界史の中で、という意味で。
歴史は現実だけど、それでも過去の歴史でしかなかったから、同じ時代にこういう節目の場面に出会うと、感じることは色々あるんだなと知った。本当に印象深かった。
なんだか違う話になってしまったけど、そんな事も含めていろんな話が出来て、友人の過去のことも知れて、大切な一日が過ごせた。
また違う季節にも行ってみたいな。きっと会うたびにまた、変わらない事と新しく知った事を話せると思う。
クレマチスの丘は美しい場所だから、とてもお勧めのスポット。冬は寒そうだけど、どの季節もきっと独特の空気に触れられる場所だと思う。
機会があれば是非、足を運んでみてください。
三島駅からバスで行けるよ。
これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!