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砂丘のはなし。



2018年 秋

もしこの世ではない時空だったら
螢石の浮かぶ砂の星を旅したいね、と
そんな絵を描いて友人に贈ったことがある。

絵画鑑賞が多かったけれど、この日は砂丘の約束だった。


どのカフェで渡したんだったかな。京都土産のアンモナイトを贈ったんだよね。
こんな太古のものを、と随分おどろいてくれて、なんだか幼少期から石や化石に興味を持って親しんできた自分には反応が新鮮だった。

そのアンモナイトを持って砂丘へ来てくれた。
べつに約束なんかしていなかったのに
こちらもアンモナイトを用意していたから
並べて写真を撮った。



流木に座る背中を撮ったのは、初めて逢った時からその背中が好きだったから。

表にたくさんの事を出さない、片付けられて静謐な、無駄のなさが背中や歩き方に出ているといつも思ってた。その分そこに押し潰しているいろいろな重苦しさがきっとあるのだと感じているけれど。


海へ太陽が落ちていくのを眺めていて
その時たぶんたくさんの音楽が下地にあった。
実際に流して聴いていなくても、その時に浮かんでいなくても。

太陽や砂丘に重ねる音楽が、自分達にはたくさんあった。
だからそれはただの砂浜と夕日ではなかった。

これで天国で海の話が出来ると、言ってくれた。
Knockin' on heaven's doorはお互い好きな映画だった。 

陽が落ちて翳ってしまう前に、友人が立ち上がった。

「行こうか。メランコリーになりすぎる」


いつも挨拶に名残を残さない背の向け方が綺麗だから
あんなにカフェでも話をしたのに、君の記憶は背中ばかりだよ。
一緒に見た絵や風景は、いつも同じ方角を向いていたんだから、当たり前かも。


これは言ったことがなかったけれど、君が感傷を断ち切るように別れるその一瞬を取り逃したことはないよ。 

だからいつも、これが最後になっても綺麗な記憶になるように君が思っていてくれた事はわかってる。

君からの手紙がもうトランクいっぱい地層になっているから、きっともうすぐ薔薇が咲くよ。



朝日をRと見て、真冬の青い海をあの人と見た。
春の海は空と同じ色をした人と、落日の海はこの友人と。
そして一緒に行けなかった約束の海も。

noteをぜんぶ読んでくれた人とはその記憶の一部を共有してるなんて、すこし不思議だね。


この記事から、もう2年。

海には大好きな音楽がたくさん流れていて
大好きな映画や本の場面がたくさん思い浮かぶ。

最後に残ったのはアルチュールランボーの永遠。

「空と海とが、溶けるよ」というLucifer Luscious Violenoueの声と一緒に思い出す。
 

ぜんぶの海が重なって、もう見る必要がないくらい焼き付いて、今は心象風景に変わっている。



これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!