見出し画像

OUT OF NOISE

坂本龍一の死後に出たライブアルバムを、定価39万円()もするイヤホンの中古をびっくりするぐらいの破格で手に入れ聴いていると、その臨場感の中に作者がもはや存在しないという不在性が作品に迫力を与えていることに気づく。

コントラバスのうねりが胸を締め付ける。ふと、いつからか坂本龍一はやがて来る死を意識してピアノを奏でていただろうと理解する。もしかしたら、聴き手のこちらの思い込みかもしれないが、ピアノのタッチや抑揚に幽玄ささえ感じる。

筑紫哲也やレイハラカミなどの愛着さえあった著名人の死を偲んできたが、何故この音楽家・坂本龍一氏の死は特別なテーマのように未だ解釈も出来ないまま意識の片隅にある。
特にハイレゾ再生されたのはAMOREが流れた時。坂本龍一の不在もHi-Fiな解像度で再生される。作者が存命だった時と、PASSED AWAYした後ではまさかこんなにも作品の質が変化するなんてことがあるのだと驚いた。

僕自身も自分の死後に再生されるアーカイブを作ってしまっている。どちらかというと、作者抜きの世界観でむしろ楽しんでもらえそうなので、無論そのことも意識してアーカイブとして作成したけれど、それを体感できるのは作者である自分自身以外なのでした。そういえば、楽天かアマゾンかの自著のレビューに「こいつの人間性は最悪なので買う必要は無い」とか書かれていたし、作者不在になってこそ価値が僅かに出るはずです。
(因みに、いつか暇ができたらSNSなんとか法に則って書いたやつを名誉毀損で訴えてやるから楽しみにしてろよ😋)

バッハ、ベートーベン、ドビュッシー、スクリャービン、坂本龍一… 慣れていくんだろうな不在について。龍一氏の親友という作家の村上龍が自身のとある文学作品の中で、作品が自分の墓標になっていることに気づいた、と書いてあった。だからなのか、坂本龍一のASYNCは生々しくてつい聴きそびれてしまう。
非同期。もうこの頃にはGATEを見据えていたのですね。きっと。オーケストラ版のシェルタリングスカイを再生してみる。元ドラマーでタトゥーの入れ方が尋常じゃない社長率いる米ガレージメーカーの最上級インイヤーモニターで堪能する。

絶句。

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,142件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?