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(小説)おおかみ少女・マザー編(四・七)

(四・七)初コンタクト
 701号室。真弓が殺された室である。義夫がドアを開け、中に入った。続いて恐る恐るラヴ子も、足を踏み入れた。静寂、そこはしーんと静まり返っていた。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 その中でなぜかラヴ子は突如、鼓動の高鳴りを覚えた。珍しく緊張もしていた。義夫はそんなラヴ子には気付かず、閉じられたカーテンを開け、磨りガラスの窓も開け放った。ひんやりとした潮風が吹き込み、繁華街のざわめきが微かに耳に届いた。まだ青い空が広がっている。眼下には、伊勢佐木町の商店街と行き交う人々の波も見渡せた。義夫は室の隅で沈黙し、ラヴ子を見守った。
「真弓……」
 室内をゆっくりと見回した後、ラヴ子は囁くように呼び掛けた。もういない友へと……。
「滅茶滅茶、辛かったね。きみひとりで、一杯苦しみを背負って。何の力にもなれなくて、ごめん……」
「ラヴ子?」
 黙り込むラヴ子を心配して、義夫が声を掛ける。かぶりを振って、ラヴ子は微笑んでみせた。
「大丈夫!ごめんね、義夫」
 頷いた義夫から目を離し、再びラヴ子は真弓へと囁き掛けた。
「ラヴ子たち、もうすぐ火星に行くんだよ。真弓も一緒に行けたら、良かったんだけど……。きみの分まで火星で頑張るから、ラヴ子たちのこと見守っててね。お願い、真弓……」
 そしてラヴ子の瞳から、涙の雫がすーっと零れ落ちた。義夫は黙って見守り続けた。
 ラヴ子は今でも真弓の家族のことを気に掛け、時々家に顔を出していた。ラヴ子たちとは日にちも場所も異なるけれど、真弓の母親たちも何とか宇宙飛行訓練の予約が取れたらしい。
「火星での再会が、楽しみだね」
 そう言って、真弓の家族とも再会の約束を交わした。
「それじゃラヴ子、もう行くから……。じゃね、真弓!」
 真弓への最後の言葉を呟くと、涙を拭いながらラヴ子は義夫に笑い掛けた。義夫は室の窓を閉める。ラヴ子はそしてもう一度、今いる室を見回した。ゆっくりと深呼吸……。

 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 心臓の鼓動すら聴こえるかと思う程の静寂の中、ダブルベットと大画面TVが置かれている。綺麗に整えられたベットの白いシーツは、ひっそりと客の訪れを待っているかのよう……。ありふれたそんな空間に、されど不思議に胸が締め付けられるラヴ子であった。そしてそれを言葉で言い表わせば、紛れもなく郷愁と呼べるものであった。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 なつかしい……。どうしてなのかは分からないけど。懐かしいにおい、見覚えが有るような無いような佇まいと空間……。やっぱりラヴ子、こんな場所が好き!ラヴホテルが、大好き!
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 目を瞑って、何故かは分からねど胸に迫り来る郷愁に、身を任せるラヴ子であった。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
「………、………」
 ???
 ところが、その時である。目を閉じ沈黙するラヴ子の、耳になのか?それとも心に向かってなのか?定かではなかったが、不思議なノイズとしか言いようのない何かが、ラヴ子には聴こえた気がした。そしてそれは自分を呼んでいるのではないか?と、ラヴ子にはそう思えてならなかったのである。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 ラヴ子は動揺した。
 えっ、何?何だったの、今の?
 ラヴ子は慌てて目を開き、室の中を見回した。しかしそこにはさっきから黙って自分を見守る、義夫しかいないのである。
「義夫!今なんか、言った?」
「ううん」
 しかし義夫はかぶりを振るばかりである。やっぱし……じゃ本当に何だったの、あれ?単なる錯覚?戸惑うラヴ子に、今度は紛れもなく義夫の声。
「そろそろ、行く?」
「うん。でも……」
 頷きながらもけれどラヴ子は、躊躇いがちに答えた。
「もうちょっとだけ、待って?」
「いいよ。じゃ俺、外で待ってるから」
「うん、ありがとう」
 義夫の好意に甘え、ラヴ子はひとり切りで室の中に身を置いた。ひとりになったラヴ子はもう一度、目を瞑った。さっきの不思議なノイズを、確かめる為に。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 すると確かにラヴ子は、何かを感じ取った。ノイズ或いは雑念?否、それは確かな言葉として……。今ラヴ子はそれを、確かに言葉として認識したのであった。そしてそれはラヴ子に向かって、こう語り掛けたのである。
「……わたしは、マザーだ……」

 マザー?
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 驚いたラヴ子は、はっとして目を開けた。が誰も近くにいる筈などない。
 何だったの、今の?
 誰、マザーって?
 ラヴ子はパニック寸前。
 それに何なの、今の?
 確かに言葉ではあったけれど、それだけではない何か……。丸でわたしに向かって囁き掛けて来るような、それはひとつの、誰かの、想いのようなもの……。誰かの想いって……だから、マザーっていう人の想い?でも、だからマザーって誰よ?誰なの、マザーって?
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 もしかして、真弓?死んだ真弓の魂とか霊?
 しかしラヴ子は直ぐにかぶりを振った。
 違う、真弓じゃない!だってマザーって言ったし。それにマザーって、とっても力強い感じがしたもん!だから真弓じゃない。じゃ、でも本当に誰?
 誰なんだろう、一体マザーって?そしてどうしてわたしに向かって、囁き掛けて来たの、マザーさん?あなたは一体、誰ですか……?
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 でも何だか、なつかしい!マザー、この人も、なつかしい。
 ラヴ子はその懐かしさが、ラヴホテルに感じるそれと同じもののように思えてならなかった。即ち郷愁……。でも、もしかしてわたしって、ちょっと変じゃない?
 ふとラヴ子は我に返って思った。真弓の事とか、火星の事とか、そんな事ばかり考え過ぎて、ちょっと混乱してるのかも、わたし……。そう思いつつも矢張り、マザーという人物の事が気になってならない。
 この人わたしにとって、とても大事な大事な、掛け替えのない人のような気がして来た。やばい!一体誰なんだろう?
 そこでラヴ子は思い切って、自分も相手に囁き返してみる事にした。そのマザーという人物に。声で良いのか?それとも心で念じれば良いのか?それは分からなかったが、兎に角ラヴ子は呼び掛けてみたのである。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
「マザーさん、わたしはラヴ子。あなたは誰?どうしてわたしに、話し掛けて来たの?」
 すると驚くことに、相手から直ぐに反応が返って来たのである。
「………、………。………?」
 ところがその瞬間、邪魔が入った。室のドアを開け、義夫が話し掛けて来たのである。
「ラヴ子!ホテルの人がまだかって。どうする?」
「あっ、分かった。もう出る出る!」
 仕方なくラヴ子は、701号室を後にした。後ろ髪引かれる想いで……。

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