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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・二十三)

(三・二十三)ラヴ子十五歳(その4)・サルビアの花
 真弓のような未成年の悲劇、事件は、この時代決して珍しいものではなかった。しかも被害者、加害者共に旧人類ばかりである。
 なぜか?背景には旧人類の少女、少年による援助交際即ち違法な売春がある。それ程までに旧人類の生活と人心は、貧しくかつ荒れていたと言えるのである。加えて人類(クローン人間)の方は決して売買春などしないし、その必要性もなかった、そういう点もある。そもそも人類である彼、彼女らには性欲というものが有るのか?それすら疑問であるのだが、こればかりは本人たちに聞いてみないと分からない……。

 さて、かなしみのどん底に突き落とされたラヴ子である。真弓を失ったかなしみは余りにも深く、そしてその喪失感は余りにも大きいものであった。親友であり、貧しさに負けず必死に生きていた真弓。まだ若くて真面目で、やさしかった真弓。家族を守る為にあんな事までして、どんなに辛く苦しく、また苦痛だったであろう?そしてあの夜は、どれ程怖かったであろうか……。それを想う時ラヴ子の胸は、張り裂けんばかりのかなしみに打ちのめされるのであった。それは祖父保雄を失った時以上のかなしみであり、かつ絶望的ですらあった。
 ラヴ子は放課後、真弓の家に通うようになった。真弓の代わりになって、幼い弟妹たちの面倒をみ、真弓の母を手伝った。真弓の家は真弓の事件のこともあって、その後生活保護の申請が受理され、何とか最低限の生活は保障された。真弓の母親は、ラヴ子を気遣った。
「ゆきちゃん、いつもありがとう。でも無理しなくて良いよ。真弓のことは早く忘れて、元気なゆきちゃんに戻って」
 確かに真弓の家に行けば、いつまでも真弓の死のショックを忘れる事は出来ない。深いかなしみに暮れるそんなラヴ子を支えたのは、何と言っても矢張り義夫であった。

 気が紛れるようにと、義夫はいつもラヴ子をミナトミライの波止場に連れていった。そしていつもラヴ子の為に、海に向かって『サルビアの花』を歌って上げるのだった。それはそれは感情を込めて。
 ラヴ子はそんな義夫に、ひとつの難題をせがんだ。それが今のラヴ子の、唯一の願いでもあったのである。
「義夫さん。わたしをラヴホテル『エデン』に連れてって……」
 真弓が殺された、あの伊勢佐木町のラヴホテル『エデン』である。義夫への以前からの注文が、具体的に『エデン』となった訳である。今までならあっさりと断っていた義夫も、これでは無下に出来ない。
 そこで義夫は流石にホテル内には入らなかったが、ラヴ子を『エデン』の在る伊勢佐木町のラヴホテル街へと連れていった。そしてラヴ子の気の済むまで、通りを一緒に歩き回った。ラヴ子は街角に立ち止まってはいつも、ラヴホテル『エデン』の看板を、いつまでもじっと眺めていた。
 伊勢佐木町のラヴホテル『エデン』の外観は、隣接する他のラヴホテルとさしたる違いはなかった。何処にもある庶民的なラヴホである。にも関わらずなぜかその看板の『エデン』という三つの文字が、ラヴ子の心を捉えて離さなかった。派手派手ピンクの眩しきネオンライトの『エデン』の瞬き。それを見上げる度、なぜかラヴ子は不思議に心が安らぐのだった。たとえそこが親友の真弓が殺された場所であったとしても、である……。

 そして年が明け、新春。ラヴ子はかなしみを引き摺りながらも、何とか高校受験に臨んだ。死んだ真弓の為にも、旧人類にとって住み良い世の中にしたい、もっと良い世界に変えたい!その志しがラヴ子を支えたのである。
 結果ラヴ子は、旧人類の高校では県でトップの県立横浜第二高等学校に合格した。ちなみに横浜第一高校は、人類専用の学校である。
 卒業の日ラヴ子は、義夫と山下公園でデート。その場で義夫は、ラヴ子にひとつの提案をするのであった。
「卒業おめでとう!良くがんばったね、流石ラヴ子ちゃん」
「ありがとう、義夫さん」
 そこで義夫は待ってましたと、切り出した。
「ねえ、もう高校生だし……お互い、呼び方変えない?」
「えっ、どんなふうに?」
「例えば、ラヴ子と義夫、とか!」
「えっ、まじい……」
 まっ赤に頬を染めるラヴ子と、照れ臭そうに笑う義夫。そしてふたりは、黙って見つめ合った。義夫はきょろきょろ周りを見回し、誰もいないことを確かめた。今ふたりを見ているのは、夕暮れの空と海だけ……。義夫は意を決すると、深呼吸。そしてラヴ子の額に、そっと自分の唇を当てた。ほんの一瞬の出来事であった。
 どきどき、どきどき……。
 どきどき、どきどき……。
 けれどそれだけで、ラヴ子の胸は高鳴った。初めての経験である。ラヴ子の瞳から涙が溢れ出し、頬を伝った。吃驚した義夫は、慌てて謝った。
「ごめん、ごめん……」
 けれどラヴ子は直ぐに、微笑んでみせた。
「いいの、謝らないで!これって、幸せの涙だから。ね、義夫!」
「そっか、そだね。良かった、ラヴ子!」
 見つめ合い、微笑み合うふたりは、幸福そのもの。若きふたりの前途には、眩しき未来しか無いようにすら思えた。
 しかし時は既に運命の、二〇九六年、春であった。

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