自分に価値がないとしか思えない時に

自分の存在を否定されるようなことをされた時、または、自分の存在を否定されたわけではないのに、自分の仕事などの出来がうまくいかなくて、イコール自分が否定されたみたいに感じてしまった時、自分が無価値で、生きてる意味などない、いやむしろ迷惑な存在だくらいに感じてしまうことってありますよね。

そういう私もそうでした。

ひたすら、自分から自分を貶め、蔑み、そうすることで少しだけ心のバランスをとって、でももう心は崖っぷちをさ迷って、横風でも吹こうものなら谷底に落ちていきそうな状態でした。

「自分に価値がない」

どうしてもこの気持ちから逃れられない時、どうすればいいのか。

そもそも、自分に何の価値がないというのでしょう。

生きる価値でしょうか、存在する価値でしょうか、仕事を続ける価値でしょうか、母としてあるいは父としての価値でしょうか。

そんなことはどうでもいいのです。

そもそも、人に「価値」という判断基準を当てはめることが間違いなのですから。

なぜなら、人が存在することに、どんな判断基準を当てはめることそのものが無意味なのですから。

だって、人は、自ずから生まれたくて生まれてきたわけではないし、たまたまこの世界に生まれ落ちてしまったから、子供の頃から社会化教育をされて、その結果、世間の目を気にしながら、世間様の価値観が生きていく価値観のように錯覚して生きているのですから。

たまに、世間様の価値観なんてどうでもいい!と開きなおって生きちゃえる人もいますけれどね。

何が言いたいのかというと、

「人は意識してか無意識か、社会秩序を作り守り、集団生活する術を手に入れ、その社会の中で自分の欲望と代償との間で上手く手をうちながら、大きな流れの中をぷかぷかと浮いている実に頼りない存在」だということです。

仮にこの集団を「人間船」と呼びましょうか。
この人間船は、航海図も持たず、目的地も知らず、ただ嵐が来たなら避けて、とりあえず時間が進むままに何かしらのことを覚え、技術を手にし、とりあえずは発展してるらしいということです。

これは、人間が発展しようという「意思」を持ってそうなってのではなく、誰かが何かに気づき、誰かが何かを発見し、そうして繋がってきた結果でしょう。

そう、人間は、別にどこかへ向かおうとしているわけではないということです。

そこで、「自分に価値がないとしか思えない」という話に戻りますが、こんな人間船に乗っていて、「価値」という言葉を当てはめることは実に馬鹿馬鹿しく思えてきませんか?

誰も何も知らないのですよ。
人間がなぜこの世に存在しているのか、どこへ向かっているのか、どんな状態になればそれがよしとされるものなのか。

だとしたら、自分に価値がないとか考えることがいかに愚かしいことかわかると思います。

ところで、「言葉」というものは、時に諺にもあるように人を殺す剣よりも強い力を持ちます。

その「言葉」を生み出し、それに概念を与えたのは人間です。

「価値」という言葉を生み出し概念を与えたのも人間です。
自分以外のね。

どうしても「価値」という言葉から離れられないのなら、いっそのこと、自分の辞書から、「価値」という言葉を削除してしまいましょう。
もちろん、「人間」に使う時だけのですよ。

考えてみたら、人は、自分達が作り出したものに縛られ過ぎですよね。

それがすべてのように思ってしまう。

所詮、この広大な宇宙からしたら、宇宙時間からしたら、宇宙が瞬きするくらいの時間しか生きられない人間です。

きっと宇宙は愚かな人間を笑っていることでしょう。
でもきっと、もっと自由におなりよ、と微笑んでくれているでしょう。

生きていくのに、自分に価値があるとかないとか考える必要なんてないんですよ。
むしろ、無意味。

それより、自分は本当は何をしたいのか、自分の心が本当に喜ぶことは何なのか。
それを見つけて、そこに生きることが、大きな流れをぷかぷか浮いてることしか出来ない頼りない存在の人間にとってのささやかな幸せなのではないでしょうかね。