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読書履歴 5

私の人生に色濃く存在している作品、印象に残った作品を3作ずつ挙げていく。
小説、画集、教科書、雑誌など、本の形になっていれば対象とし、ジャンルを限定しない。



途中、割と重めなトピックになっているのでご注意いただきたい。


13. プロジェクト・ヘイル・メアリー/ANDY WEIR

当時、あっちでもこっちでも本作と三体をおすすめされたので、三体を読むよりは(ボリューム的に)ハードルが低いか……と思って選んだ本。

こういう本に出会った時、つい「これを森博嗣が和訳したらどうなるんだろう」と思ってしまう。

小野田和子さんの訳に不満など全くなく、単純に森博嗣訳が気になるなあというだけの話だが、結構ぴったりの題材じゃないだろうか。相性良さそうじゃないか?

表紙で分かるとおり本作は宇宙を舞台にしている。
読んでいる最中、何年も前に元彼と映画館でゼロ・グラビティ(原題:Gravity)を観たことを思い出したが、二人とも映画に入り込みすぎてまるで自分まで酸素が薄くなったみたいに苦しくなったことも一緒に思い出した。

そのせいで本作の船外作業のシーンでも毎回うっすら息苦しさが蘇り、大変臨場感のある読書体験をすることができたのは……まあよかったのかもしれない。

地球滅亡の危機に直面して地球全体で協力し合う様子や、言葉も文化も全く違う、敵意の有無も定かでない相手と手探りで交流していく様子がとても興味深いのだが、私だったらもうミッションもなにもできないまま餓死して終わってるっすね、という過酷な状況だ。

賢い人たちは本当にすごいな……切り開く力というのを持っているんだな……地頭がいいっていうのはこういうことを言うよな……

本作の著者アンディ・ウィアーの作品にThe Martianという、これも宇宙を舞台にした小説があり、邦題を「オデッセイ」として映画化されている。

WIREDで元宇宙飛行士のクリス・ハドフィールドが褒めていたのを観てからずっと気になっているが、私がサブスクしているVODでは追加料金なしで観れるのがなく、ずっと未鑑賞のままだ。



14. “It”と呼ばれた子 幼年期/Dave Pelzer

中学の頃、友人に勧められて読んだ本。確かその子に貸してもらったはずだ。
凄惨な虐待から生き残った子どもの壮絶な体験記。

再読していないので本文は断片的にしか覚えていないが、タイトルも、表紙の子供の写真も、一生忘れられないのではと思う。

とにかく悲惨で、絶望的で、信じては裏切られ、望みを抱いては叩き落とされ、無力な子供が地獄に放り込まれたまま耐えて耐えて耐えて耐える物語。

私の地元に、親からの虐待で殺されてしまった子がいる。
この本を読んでから何年も後の話。

年代も離れていたしその家の誰とも関わりはなかったけど、ご飯を食べさせてもらえなくて、自分で歩くこともできなくなっていて、そんな状態だったのに親から引き離すことができなかったという。

目に見えて衰弱しているのに引き離せないって何?と思うけど、それくらい親の権利や支配が強いのが現実で、それくらい虐待に対する態勢というのが整っていなくて、結局その子は死んでしまった。
みんな「おかしい」って知ってたのに。

著者のデイヴは1960年12月29日生まれ、助け出されたのが1973年3月5日。
虐待の始まった時期は忘れてしまったが、かなり小さい頃から始まっていたはずで、やっと救出されたのが12歳の時だ。

本国アメリカでは一部描写の不自然さから「ホンマかいな」みたいな意見も多いらしく、親族からも誇張だの歪曲だのフィクションだのとコメントがあったそう。

受けた苦しみは本人にしか分からないし、半ば共犯のようになっていた(とされる)親族の証言なんて当てにならないが、本作も被害者視点から描かれているだけなのですべて真実とも限らない。

私は真実を知る由もないのでどっちに肩入れするわけでもないけれど、小さな子が大人から暴力を受けた時の主観と客観に乖離があっても何もおかしくないと思う。

それに「家庭から救出された事実があるかどうか」は調べれば分かることで、捏造しようがないと思うんだけど。
ちょっとデイヴに肩入れしちゃうかもな。

NY Timesの取材に応えた著者の弟が「虐待は全部デイヴの嘘。ナイフで刺されたのは見てたけど偶然ナイフがチクっと胸に当たっただけ。一滴の血も出てなかった。里親に出されたのもデイヴの放火や万引きがひどかったから」のような旨を語ったらしい。

「虐待は全部嘘」なのに「ナイフで刺されたのは見てた」ってすごく矛盾を感じるけど、原文を読めていないから憶測に留まる。

仮に親族のコメントどおり誇張・歪曲しているのだとして、それは裏を返せば「火のあるところに立った煙」ってことじゃないんだろうか。

本作は誇張されていて、10を100にして描写されているんだとして、ではあの本に書いてあったことの1/10程度の扱いだったら虐待じゃないのか?
そんなわけないじゃん。
(単純に乗除できるような話ではないのであくまで比喩だが)あれを1/10にしてみたところで、虐待なことに変わりはない。

私は一部の(しかも和訳された)コメントを見ただけで取材内容の前後の流れも分からない。そんな状態での無責任な放言だが、親族側も親族側で、デイヴの扱いがおかしいと思う。

デイヴ以外が「家族」、デイヴは「厄介者」みたいな印象だ。

わずかでもデイヴに肩入れしているのだからバイアスはあるだろうが、親族からはデイヴに対する情や気遣いみたいなものが全然感じられない。

そうなってくると、虐待の程度の違いこそあれ、結局あなたたちってデイヴが苦しめられてるのを知ってて、それを見て見ぬふりしてきたことを正当化したいんじゃない?なんて考えがよぎる。

自分たちの心を守るために「頭のおかしいデイヴが悪いだけ。悪いやつはひどい扱いを受けても仕方ない。デイヴを助けなかった自分たちは間違ってない。あれはおかしなことをしたデイヴへの正当な罰で理不尽な暴力じゃないし、そもそも暴力があったこと自体、頭のおかしいデイヴの作り話だ」って思い込もうとしてる?とか邪推しちゃう。

私の地元で殺された子もきょうだいがいた。
死んだ子だけが虐待されていて、他の子は無事だった。
家の中に味方になってくれる人が1人でもいたら死なずに済んだかもしれないけど、他の子も、怖くて何もできなかったのかもしれない。

閉ざされた家庭という空間で何があったかなんて外部の人からは分からないし、同じ家庭内にいても分からないものは分からない。

もしかしたらデイヴにパーソナリティ障害のようなものがあって、当時はアメリカでも理解が進んでおらず、頭がおかしいとか性格が悪いとか虚言癖や妄想癖があると一括りにして迫害される要因になってしまったって可能性もある。

どっちかが嘘つきなのかもしれないし、どっちも真実を言ってるつもりなのかもしれないし、どっちも半分嘘で半分本当のことを言ってるのかもしれないが、本の中身が全部作り話だった方がよっぽどいい。
「あんな地獄の日々を過ごした小さな子はいなかった」ってことなんだから。



15. [絵本]注文の多い料理店/宮沢賢治

重めの話題になっていたのでここで絵本を1冊。
なんて懐かしい表紙だろう。

小さい頃に宮沢賢治の絵本はいくつか買ってもらっていたが、注文の多い料理店、猫の事務所、風の又三郎、どんぐりと山猫、だったと思う。

以前、母親に「宮沢賢治作品の中では注文の多い料理店が一番好き」と言ったら「わかる〜私も〜」と返された。母親とは年々趣味がかぶるようになってきていて、敷かれたレールの上を走ってるみたいな気分になるのが癪である。

猫好きとしては猫の事務所も推したいところだけれど、かまねこがあまりにもあまりにも不憫で推すに推しきれない。
可哀想すぎる。全員まとめてお迎えして適切に分離したい。

宮沢賢治は猫嫌いを公言していたらしいのに、猫が登場する作品がたくさんあるというのは興味深いところだと思う。
たしかにあんまり可愛らしい役どころで描かれてはいないので、猫嫌いと相反しない登用理由だったのかもしれないが。

その点、エドワード・ゴーリーは幼気な子供たちを次々と死なせ、様々な不幸を描いてきた作家であるが、猫だけは作中でひどい目に遭わせなかったというから猫好きの鑑である。



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