めんどうなのに、たのしいこと。
たとえば、朝ごはん。
いつもはコンビニのパンとコーヒーでささっと済ませてしまうけれど、
ときには、 エプロンをつけてキッチンへ。
棚の奥から土鍋を取り出し、ご飯を炊く。
お出汁を丁寧にとって、味噌汁をつくる。
卵をリズミカルにかきまぜ、ふんわりと焼き上げる。
お気に入りの器に盛りつける。
時間もかかるし、ゴミも出るし、洗い物もわんさか増える。
めんどうなこと、このうえない。
でも、そうやってできあがった朝ごはんは、ひと口ごとに食材の滋味や旨味が体中に沁み渡り、気づけば鼻歌を口ずさんでいる。
たとえば、文章の執筆。
テンプレートや生成AIに頼ってしまうのもいいけれど、
ここぞというときには、自分の中にある言葉で表現したい。
書くという作業には、いくつもの壁が立ちはだかる。
たった一つの言葉が見つからず、頭を抱える。
途中まで書いた文章を見直して、伝えたいのはこれじゃないと気づき、また振り出しに戻る。
めんどうなこと、このうえない。
でも、そうしたプロセスの中で、ふと出会った言葉に心が満たされ、気づけば頬がゆるんでいる。
スピード、スマート、効率化、タイパ、コスパ……。
その対極にあるのが「めんどう」。
めんどうなことは、ムダに思えるし、カッコ悪い。
でも、やってみると、けっこうおもしろいし、ワクワクする。
じっくり時間をかけて何かに取り組み、自分だけのこだわりを詰め込む。
失敗しても、やり直せばいい。
その過程で生まれるもの、行動、思考、時間、場所、すべてが自分の延長線上にある。それらはまるで、自分の人生の一部のように、愛おしい。
めんどうなことに向き合うたび、人は自分自身をまるごと抱きしめ、生きている意味をじっくりと味わっているのだ。
だから、めんどうなことは、この上なく楽しい。
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