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青村春文について

noteとやらを始めてみることにした。
アプローチを変えてみるとか、理由は色々とある。
が、何より一番は、報われるためにだ。

プロフィールにも書いているが、
40までに作家になる。今、37歳。
青村春文です。
5年くらい前から小説を書き始めた。
その時は35までに作家になる!と決めていた。
実際、なれると思った。
だから、挫折は酷いもんだった。
純文学の定義は様々だけど、一言で言えば深いものだと思っている。そして心を削るような行為とも似ていると思う。
その意味で、酷く落ち込んだ。

『檸檬』じゃないが、
先ほど【小説】赤 を投稿した。


これは、5年前に書いた。
深夜、部屋を暗くしたまま、パソコンの光だけが眩しかった。
僕は、何かに憑りつかれたように書いた。
傍らに赤ワインがあったのも面白い。
気分を上げたんだと思う。

出来不出来は置いておいて、これは僕の、ひとつの青春だ。
気に入っている。それは今も同じだ。投稿にあたって読み返したが、
やはり僕の小説だった。
少し、手直しした。ほんの少しだ。

はじめての賞レースは新潮新人賞に応募した。
この『赤』を含むオムニバスのような小説だった。
僕はこの時、当然新人賞をとって、そのまま芥川賞すらとるんだ!
と、恥ずかしげもなく思っていたし、なんどもその時のスピーチの想像に耽った。これは大マジだ。

「僕にとっての小説とは、
村上春樹さんが門で、中村文則さんが鍵でした。」

なんてことだ。それは今だってそう思っている。最近は2人の小説も読んでいないが、僕の大事な・大好きな作家であることには間違いない。
2人のデビュー作、
『風の歌を聴け』と『銃』は僕の宝だ。

小説のすばらしさを知り、小説の解き方を学んだ。
おこがましいかもしれないが、言わせてもらおう。

話を戻す。
結果はさきにふれたとおり、落選だ。
今の今までそれに変わりはない。
中間報告にも名前ものらない、側にいた。
さすがにこの結果には驚いた。全否定だ。人格さえ否定された気になった。
たぶん、純文学を書けば、それは分かると思う。

笑ってくれてもいい。僕はずっと最終選考の連絡を待っていた。
携帯が振るえるたびに、期待で胸が高鳴った。
しかし、一向に連絡はやってこなかった。
僕は、今回は諦めた。
だけど、きっとあと少しだった。
そうに違いない、絶対にそうだ!
と、信じて疑わなかった。
少なくても雑誌に名前が載るくらいには善戦した。
それを確かめよう。

名前はなかった。
応募総数2000、
うち1900の側にいるのが僕だった。

しかし僕は諦めなかった。信じ続けた。
僕は書き続けた。それは今も進行形だ。
だいぶ書けるようにはなった。が、同時に読書量も比例的に増すことで自分の力量の無さを痛感することにもなった。とんでもない小説は山ほどある。
そういうことも分かるようにはなった。

脈絡はない。
今日を皮切りに、これからここに色々と書く。
出来ることは全部する!
言い訳はしない。僕は、青村春文を信じる。
彼なら、きっとできる。
いつかそんな日がくる。
彼も、そろそろ報われなければならない。
あえて、ここに彼の青春『赤』をのせる。

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