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想像をやめない世界 ―『新世界より』の感想

この文章について

 この文章は2008年に出版され、第29回日本SF大賞を受賞し、のちにアニメ化もされた『新世界より』(著者:貴志祐介) の個人的な感想と考察 (…と呼べるかは微妙) になります。僕は8年前に小説を読み、2年前にアニメを観ました。アニメを完走したとき、「小説を再読しなければならない」という強い思いに駆られたのですが、なんだかんだで2年も間が空いてしまいました。再読することで、あらためて大作・傑作だと感じたのでこの文章を書いています。

 物語の核心部分にはできるだけ触らない意識で書きますが、結末部分の話をするために、ネタバレになり得る内容に触れることをご了承下さい。


おおまかなあらすじ

 舞台は、今から1000年後の日本。人は「呪力」という超能力を手に入れ、バケネズミという生物を使役しながら生活していた。主人公である渡辺早季は神栖66町で家族や同級生とともに平和に暮らしていたが、同級生と町の外へ夏季キャンプに出たとき自走型図書館の「ミノシロモドキ」と出会い、1000年前の文明の崩壊と血塗られた歴史を知ってしまう。そこから、物語は大きく動き始め、仲間の離散、反旗を翻したバケネズミの奇襲、悪鬼の襲来による町の存亡の危機など、地獄のような日々が待ち受ける。



ここから、感想になります。


呪力=想像力

 この作品の世界では、ある程度成長した人間は「呪力」が使えるという設定がある。作中では、バケネズミの放った矢を空中で止めたり、体力を直接使うことなく船を巧みに操縦したりと、まるで魔法のような力として描かれている。そして、この呪力を発動させる時には決まって何かをイメージすることが必須なのだ。例えば、巨大な穴に落ちそうになったときは、綱と鉤をイメージし穴の縁に鉤を引っ掛けて落下を防いだ。例えば、体を大きく吹き飛ばされたとき、少しでも軟着陸するために地面に衝く架空の腕をイメージして衝撃を和らげた。つまり呪力とは「想像力」でもあるのだ。

 現代では、私たちはさまざまなモノに頼ることで生活を豊かにしたり安全を確保したりする。一方で、この作品の中では、生活や自分の身を守るための手段として、想像力を働かせることが重要な鍵になっている。


想像力で命を守る物語

 この作品で主人公たち (早季や覚たち) は、幾度にもわたって命の危機を迎えるが、そのたびに呪力と知恵を駆使して乗り越えた。そして、さきほど触れたように呪力の源は「想像力」だ。作品を読めば、早季や覚が広く深い知識を持っていることに加え、想像力の高さも卓越してることが分かると思う。その深遠な想像力が咄嗟の好判断や的確な呪力の発動に繋がり、絶体絶命のピンチでもギリギリで命を繋ぎ留めた。

 この作品は大まかに言うと14年間にわたる出来事を描いた壮大な物語で、文庫版は上・中・下巻の3巻の構成だ。その長い間に何度も崖の淵に追い込まれ、それでも想像力で命を守り続けてきた早季が、終盤、ある台詞を口にする。


「何が正解か分からない」

 早季は終盤、人間の滅亡を企て反旗を翻し、町の人からの激しい憎悪の対象となったバケネズミに対する処刑の熱狂の渦からは距離をとり、「わたしには、わからない……何が、正しいのか」と静かにつぶやく。僕は、アニメを観たときにこの台詞がなぜだか強烈に印象に残った。その事は以前にこの note にも書いたことがある。その時は、長い長い物語、いくつもの死線をくぐり抜けた主人公が、それでも「何が正解か分からない」と口にしたのが印象的だった、というようなことを書いた気がする。ただ、今なら、あの台詞が脳に焼き付いた理由をもう少し詳しく説明できそうだ。

 14年の長い長い物語、想像力 (≒呪力、判断力) を働かせ続けることで恐ろしい脅威から命を守り、どうにも見えない解決の糸をなんとか手繰り寄せた早季。その強力な想像力を持ってしても「正解が分からなかった」のだ。


それでも、”だからこそ”

 ただ、「正解が分からないこと」は悪いことでも不幸なことでもない。分からないくらい複雑なものと認識できるからこそ、のちのち見えてくるものがあると思う。早季もその後、物語の最後に自分の正解だと思うことを執り行った。そして、この物語の最後の一文はこう締めくくられる。

想像力こそが、すべてを変える

 たとえ正解が見つからなくても、想像することをやめてはいけないのだ。周りに数多ある”正解”も自分の想像力で想像し直すことが大事なのだ。明日を少しでもいいものにするために……。この作品は、そういうことを教えてくれた気がする。


”新世界”からのメッセージ

 「新世界より」というタイトルは、ドヴォルザークの交響曲からとられていることは明らかだけど、僕はこのタイトルにはもうひとつ意味があるのではないかと勝手な推測をしている。この作品は、主人公の早季が未来へ残す手記という形で書かれているが、それと同時に現代の私たちへ向けた新世界からのメッセージでもあると思っている。もっと言えば、想像力が失われ続けている現代に向けた”新世界からの警告”だと思う。もちろん、『新世界より』は創作だけど、僕は、この”想像上の未来からの警告”が、今とてもリアルで大切なものに思えてならない。

 この作品を書いた貴志祐介先生は、それを伝えるために「新世界」を、想像して、創造したのだと思う。想像力を手放してはいけない。なぜなら、未来を少しでもよくするための着実な一歩の源は「想像力」なのだから、と。




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