見出し画像

妹よ (#シロクマ文芸部)

「『読む時間を持てなくなった妹へ』って、これ私への嫌味?」
妹は笑っている。弱々しいが、今日は気分が良さそうに見える。だけど『元気そうだね』とは言葉にしない。それは妹に接する時の暗黙のルールなのだ。
「だって本とか読めないって言ってたから。葉書読むのも辛いのかなって。嫌味じゃなくて、気遣いよ」
妹が手にしているのは、私が先月旅先から送った絵葉書だった。妹は久しく外出していないから、少しでも旅の気分を味わって欲しかった。
「症状が出ている時は文字を見るのも辛いの。全く頭に入ってこないし、そもそも何をすることもできないのに、読書なんて出来るわけない。たまに本をプレゼントしてくれる人がいるけど、かえって辛いのよ」
そうだろうな、と思う。
目の下に大きなくまを作って、死人のような顔色でベッドに一日中寝ているだけの妹には声をかけられなかった。

「そういえばさ、めいくんが3歳の時、たつ兄が文字を覚えさせようとしていたのを、お姉ちゃんてば全力で阻止してたよね」
「あぁ、そうだったね。兄さんには悪いことしたわ。人の家の教育方針に口なんて出してさ」
甥のめいに、兄が文字を教えようとするのを止めた過去にばつの悪い思いがした。
「でもすごく印象的なこと言ってたよね。
文字を読めない時期はとても尊いんだって。
文字を知らない時間を無理にめいから奪わないでって」
「そうそう。だってさ、文字を知らない世界って、子供の時のほんの僅かな期間しかないじゃない。その世界を今想像しろったって大人の私たちには無理でしょう?」
ロマンを感じた、ということを私は力説する。まるで自分の趣味の押しつけであることはわかっているつもりだ。
「お姉ちゃん、そういうとこあるよね」
二人して笑った。

「私も、文字を知らなかった時代に戻りたいなぁ」
妹が大きなため息をつく。そして大きく息を吸った。自分を落ち着かせようとしているのだ。
息を吐いて、また吸って。やがて声をあげて泣き出した。
「戻れたら良いよね」
私は無力だから、かける言葉もない。
どうして妹だけがこんなに苦しんで生きなければならないのだろう。
同じ親から生まれて、同じように生活してきたはずなのに、まるで違う世界に生きているように思えた。変わってあげることはできないならせめて…。
「もし本当に初めからやり直せるなら、私があんたを生み直してあげたいよ」
私もいつの間にか泣いている。
「やだよ、お姉ちゃんの子供なんて」
妹は少し笑った。
そうだね、私たちはどこまでも血の繋がった姉妹で、その他の関係には望んでもなれないのだから。
私は妹が涙を拭うのを見ながら、いつの日かまた、彼女が大好きな本を夢中で読む姿を想像していた。



[完]


#シロクマ文芸部
に参加させていただきます。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?