見出し画像

ジレンマ (短編小説)


誰もが腹を空かせる時間のファミリーレストランなど、くるべきではなかった。少なくとも僕のような一人客は。
入口近くのドリンクバーは列ができているし、その列にはぼーっとした会計客なんかも混ざっていて、とにかく混雑している。

ようやく案内された二名がけ席の隣には、同じく二名がけの席に座る一人客の女性がいた。
その女性を見て、一度は目を逸らしたが、やはり声をかけるべきだと思い直した。
僕は店員を呼び止めると言った。
「この人と同席するから、僕を案内する予定だった席には、あそこで待ちくたびれている小さな女の子とお母さんを通してあげて」
店員は訝しげに僕を見て「言われなくとも」と言った。

僕は一人で座っている彼女を改めて見た。そして、少々面倒なことになるかもしれないと思ったが、それを選んだのは自分なのだ。

「ここは泣きにくるようなところじゃない」
彼女の正面の椅子に腰掛けながら、僕は彼女に言った。
彼女は僕を無視して泣き続ける。
彼女の前には既に3品の料理が運ばれていたが、どれも手付かずだった。

「出された料理は、熱いうちに食べろと言われなかった?」
僕は冷めたピザを口に運びながら彼女に言った。
「言われたわ。お母さんに。歯を矯正しろと」
「歯の矯正?」
「そう。歯並びは大事だからって」
彼女はハンカチで涙を拭い、ティシュで洟をかんだ。
「矯正は終わったのかい?」
僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「終わっているなら、目の前の料理をその美しい歯で存分に味わったらいい」
僕が言うと、彼女は大きく首を振った。
「綺麗な歯ね、と誰もが言った」
僕はタバスコを取りに行きたかった。
「歯を直して良かったわね、と誰もが言った」
僕はタバスコを諦めて、サラダに手を伸ばした。
「だけどね、歯を直して綺麗にしたら、今度は他の部分が気になりだしたの」
「他の部分とは?」
彼女はこの時、僕が彼女の注文した料理を食べていることにようやく気づいたようだったが、特に何も言わなかった。
「目よ」
彼女は悲しそうに目を伏せた。
「目?」
「そう。整った歯に不釣り合いなこの腫れぼったい目」
僕は何も言わない。
「それから鼻。整った歯に似合わない、ぺしゃんこな鼻」
そうだろうか。彼女は気にしすぎている。

「だけどお母さんは、歯は直させてくれたのに、目や鼻を直すことを許してくれないの」
僕は彼女を見て、何となく事情を察した。
「お母さんは、まだ考える余地はある、と思ったんだろうね」
彼女は泣きそうな顔で、半分に減ったピザを見ている。
「僕が思うに、これから君はもう少し顔が変わっていくだろうし」
彼女はキッズケータイを取り出して確認した。
「お母さんが駐車場に着いたって。もう行くわ」
彼女は涙を拭い、洟をかんだ。

「大人になったら」
僕は彼女が掴んだ伝票を、彼女の手から優しく取った。
「もう一度考えるといいよ」

彼女は「ふん」といった顔で、僕の横をすり抜けて言った。
「やれやれ」
僕は冷めた料理を前に、ため息をついた。



[完]


#短編小説






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?