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空間を共有することが人間にとって大事なプログラミングっぽい【身体性と心理学】

昨日ですね、Zoom飲み会をしてたんですよね。未だにZoom飲み会するんかいっていうツッコミの声は置いといて、僕は結構Zoom飲み会が未だに好きです。家で手軽にできるので、結構いいなと思って未だにやってるんですけど。

Zoom飲み会してて、一緒にいた人が言ってたんですけど、Zoomで会話してるとずっと会話しなきゃならないみたいな感じになるって言ったんですね。ただ、実際にその物理的に空間を共有していると、話さなくてもいいみたいな感じになるよねという話をしていて、これが結構面白い考えだなと思ったんですよね。

確かにZoom飲み会とかしてると、黙々作業する会みたいなのじゃない限りは、話さないとなみたいな感じになるものですよね。YouTubeでライブ配信とかしてても、配信する人の方がやっぱり話さないといけない、みたいな感じにはなります。Zoom会議でも、例えば2人で1対1でいると、会話しないといけないみたいな感じの時間共有には確かになるなと思いましたね。

友達と2人で遊びに行ったりして、居酒屋とかにいたりすることとかもあるじゃないですか。岩野さんとかと居酒屋行って、確かにその時って別に話さない時間があってもいいって感じになるなと思ったんですよね。もしかすると、身体性みたいなものって人間が感じ取る部分があって、時間とか空間を共有すること自体に人間的なプログラミングされた意味がある可能性があるなと思いましたね。

Zoomだけじゃなくて、普通の電話、音声通話、映像がないパターンでも、確かに電話って沈黙が流れる瞬間ってあんまりないよなと思って。長電話したとしても、要件を伝える機能が電話にはあって、それが終わったら話終えるみたいな感じのところもあるっぽいなと思いましたね。

もしかすると、この遠隔カウンセリングとかAIカウンセリングみたいなものも、結局その身体的に時間を共有してその場にいるってこと自体に意味があるのかなって思いました。身体ベースで人と時間を共有しているだけで、それで良いみたいな感覚が得られる可能性もありそうだなと思って。電話だと空間的なものは共有してないので、一緒にいるみたいな感覚が薄らぐのかなとは思いましたね。

これを超える可能性があるのが、VR空間、メタバースと言われるものですけど、そういうのももしかするとそこにいるっていう感覚になる可能性もあるなと思っていて。VRだと、話を聞いてる感じだと、そこにアバターがいて、他の人もいるんですけど、ずっとそこで会話を共有する必要性はなくて、そこに存在しているっていうだけでもいいみたいな部分もあるっぽいんですよね。

考えると、物理的な形で時間とか空間を共有していることが必要で、もしかすると自分の代わりになるものが空間にいるとしたら、それでも繋がり的な反応が人間には生じる可能性があるっぽいなと思いました。

その中間っぽいなと思ったのが、LINEとかなんですよね。僕は結構LINEでなんとなくの雑談をずっとすることが多いんですよね。テキストベースのやり取りで。それを投げて誰かが反応してくれるっていうのにも、結構繋がりを感じるので、なんとなくダラダラとずっと話すみたいなことはしますけど、岩野さんの話を聞いてると、なんでダラダラそういうふうにテキストコミュニケーションを続けるのかが分からないって言うんですよね。

ああ、そうかと思って。確かに電話の代替がLINEだって考えると、やり取りが終わった時点でもうそれで終わりみたいな感じになるので、確かにそういう発想もあるよなと思いました。僕はテキストベースの反応でも、そこにいるみたいな感覚を得られたりするので、だからZoomとかも僕にとっては最初の話とは反しますけど、それはそれでいいみたいな反応の一つだったりすることがあるんですよね。

身体性っていうのは、物理空間を共有していることと、人間の何らかのプログラミングで紐づいていて、それを超えられる場合は、VRとかLINEとかZoomとかでもOKっていう人もいれば、そうじゃない人もいるっぽいなっていうのが今日の結論ですね。

もしかしたらそれがAIのカウンセリングとかと関係してくるかなと思います。

それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


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