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デジタルではなくそこに存在することの意味について。

今日は心理学やメンタルヘルスの話ではなく、わたしが感じたことについて書きます(エビデンスや所属の意見ではなく個人の見解です)。先日のメンタルヘルス系のYouTube仲間で集まって行っている番組メンタルヘルスを配信しました。

今回は喪失と悲しみというテーマでお坊さんYouTubeの武田さん(こちら)とメンタルヘルスリサーチャー竹林さん(こちら)が、仏教の視点×研究の視点でお話していただきました。喪失と悲しみについては、YouTubeのほうをご覧ください(おもしろいよ!)。

さて、わたしが考えたいのは、オンラインとオフラインについてです。配信でも話に上がりましたが、最期の時に直接たち会えるか?

コロナ禍で、病院での面会ができなかったり、お葬式に集まれない代わりに、少しでもできることをということで、リモート面会やオンライン法要など、デジタルの力を駆使して、対面の代替をしてくれています。

わたしは家族が入院していて、先日オンライン面会をしてきました。こんな中でオンラインでも面会させてもらえてありがたいやと思いましたが、オンラインでも、の「でも」の部分をどうしても思ってしまいます。代替するとうのはなにを代替しているのだろうか?

どこまでいってもデジタル画面上とリアルなフィジカル空間は違うなぁと認識してしまうのが人間なようです。それが最期の瞬間となると、余計に直接会えなかったことに後悔し、気持ちの整理がつかなくなるのかもしれません。

落合陽一さんやチームラボの猪子さんの対談を聞くと、質量があるものとないものの境界の話をよく聞きます。リアルなものとリアルではないもの?のボーダーがいずれなくなったとしたら、あるいは、ないとひとが認識できたとしたら、きっとそれはデジタルであったとしても、リアルと同様にひとと会えたと思えるのかもしれません。

しかし、現状ではやはり感染予防も重要だが、不要不急(死に直面する状況もそうだし、死に向かうという時間もそうかもしれない)ではリアルで会うことの必要性も扱っていかないと、あとで大きい後悔や悲しみを生むこともありそうだなとも考えました。

もちろん、いたしかたないことがたくさんあります。これまで、COVID-19の実態がわかるまで時間もかかりましたし、状況は変わっていきます。そのような中でなにが最善かを考えてきました。しかし、そういう状況で生まれた悲しみもあります。心理学もそうですし、いろいろな力を駆使して、そのような悲しみを癒していくことが大切だなと思います。

ここからは、ある程度わかってきたことを駆使して、不要不急の部分は、死にまつわる様々なこと、しっかりと直接に会って、気持ちを整理する時間に広げていくことも必要なことのように思います。もちろん、かなりの部分はもうすでに配慮していただいているとも感じています。

感染症をなんとかすることも、メンタルヘルスの問題を予防することも、どちらも大切なことです。もちろん、感染症予防策は最重要ではあります。必要な時には対面してフィジカルで会えるような方法を使うことで、のちに気持ちの整理をしっかりとすることができて、悲しみや苦しみを少しやわらげることができるのかもしれないです。

お別れに関連して、新しくメンタルヘルスの問題で苦しむ方々が、少しでもすくなくなるような世界であってほしいなと願うばかりです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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筆者 あおきしゅんたろうは福島県立医科大学で大学教員をしています。大学では医療コミュニケーションについての医学教育を担当しており、臨床心理士・公認心理師として認知行動療法を専門に活動しています。この記事は、所属機関を代表する意見ではなく、あくまで僕自身の考えや研究エビデンスを基に書いています。

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