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なぜぽんこつでいいと思えないんだろう?【心理学】

福島県の医学部で学生教育をしながら、心理カウンセラーをしたり、研究をしたり、YouTubeの運営をしたりしてるあおきしゅんたろうです。

昨日の話の続きです。

ポンコツでもいいかって思えないのは、これまでの人生で経験してきたことに依拠してます。

やっぱり大きいのはほかの人と比べられることです。日本だと特によくあるのが成績だったり、どういう大学を出ただとか。

そうやって評価され続けてきたというのがあるので、そこそこできる自分でいないといけないというようなスキーマができます。

あるいは教育でよく学ぶのが、努力根性モデル、頑張ろう!とか努力しよう!とか何とかしようとか、そういうようなモデルがあります。

あるいは決まり事はきっちりと守らなければいけないみたいな道徳的さを教えられて、え?なんでこんなルールを設定してるんだっけ?と考えるまでもなく、決まりだから守りなさいと教えられてきます。

日本人は基本的に努力根性モデルでずっとやってきているところがあって、いまだに努力根性モデルでやろうとし続けるから、うまく回らない社会になっているというところもきっとあるんでしょう。

そうして、努力根性がないやつはダメだ、周りと比べてじぶんはどれぐらいできているか、を重要視するようなマインドセットが鍛えられてしまっているのだろうなと思います。

僕の時代は5教科7科目とか、そういう発想で、誰しもが満遍なく、どの教科もいい成績を取らなければいけない、同質性の高い集団を作ろうみたいな価値基準が出来上がっていました。

ただ、人間って多様性があるので、何でもかんでも誰でも全部できるわけがないんですよ。なにか得意なことがあるで本来十分なはずなんです。

それなのに何でもかんでもやらないといけないみたいな感じで、「すべてができない=ポンコツとか無能」とか、そういうようなレッテル、セルフスティグマを自分ではってしまうところもあったりします。

周囲の大人がそれを求めてしまうというところもどうしてもあるんです。

過去から現在まで振り返ってみると、この時点でこういうことがあったりしたという経験が、今の自分を作っているみたいなこととかも、もちろん出てきたりします。

もちろん、これからの経験で変えることはできるし、どこかで考えを切り替えてポンコツでもいいよとか、無能でもいいわみたいな感じになれるとすごいよく暮らせるようになるのかもしれない。

少なくとも自分ができない、ダメだ、落ち込むみたいなループは少なくなるので、そこで断ち切れるといいのだろうなと僕は思います。

私見も交えての話しでしたが、ベックのうつ病のスキーマ理論とか、そういう理論にも根拠があります。その理論では、今の自分の考え方をうまく拡げていくことで、その根本にある考え方の傾向、「ポンコツはダメだ」とか、「こんなこともできないなんて無能だ」というような根底にあるスキーマというのをちょっとずつ変えていくというようなことをします。

アクセプタンス&コミットメント・セラピーの理論だと、そういう自分を受け容れる、そういう自分でもいいわみたいに思えると、その自分を肯定できるようになるというのがあります。

これが恐らく巷で言う、承認欲求で苦しむ自分をうまく変えていくことだと思いますし、アドラー心理学を元にした自己啓発本の嫌われる勇気で書いてあるのってこういうことを言ってるんだろうなと思います。

僕も昔は人の評価をめっちゃ気にしてましたし、承認欲求もあると思います。

そこそこ成績もとれたし、周りの大人も友人も僕のことを受け入れてくれていましたが、それでも

きっちり何でもちゃんとしたいとか、周りから評価されたいとか、目立ちたいとか、そういう思いはその当時はもっと強かったです。

失恋とかじいちゃんばあちゃんが亡くなったり、いろいろ失う体験はしたし、バンドしていたけどうまくいかなくて心理学の方に来たという背景もあるし、そこそこ自己承認が傷つくような体験はしてきました。

もともとレジリエンス性もってる部分はあるんでしょうが、ダメだった瞬間も、自分ですごく感じる、うまくいかなかったなって思うこともあります。

そんなぽんこつっぷりがあっても、失敗は成功のもと、失敗したことで、次どううまくやればいいかもわかるわけで、ぽんこつだからこそ、周りの人と共同して作業することも学べたりします。

何よりもぽんこつでいて良かった、ぽんこつだからこそわかることもあるよなと思ったりとか、自分たちは本当に全然何も知らないから、お互いにディスカッションして話し合ってやっていこうぜという気持ちにもなれるでしょう。

そもそも僕はどっちかというと、こいつ変なやつだなと思われていたいので、一般的な価値基準の中のことを「お前できていないな」とか「ポンコツだ」と言われても特に何も思わないです。

むしろ、そういう真面目系のガチのルートに乗ってしまった方が自分としてはヤダなと思ったりするので、変な方向に動ける自分でいたいなと思います。

そういう価値みたいなもののほうが大事で、その手前にある一般的な承認とか受容の源になる行動、例えば勉強ができるとか、論文いっぱい書いてるとかって自分にとってそんなに気になることじゃないのかなって思います。

それよりもどちらかというと変わったことをしていたり、トリッキーなことをしていたい、その上で社会の役に立つことができたらいいな、というのが多分自分のしたいことなんだなと思います。

そういうのは一般的じゃない形かもしれないけれど、それもそれでいいのかな?と僕は考えています。

みなさんはどうでしょう?どういうことを大事にしたいですか?

そういうことを考える日がたまに来てもいいのかなと思います。考え過ぎるとちょっと大変になるのでほどほどにしてくださいね。

それでは、最後までお付き合いいただいてありがとうございました!

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筆者 あおきしゅんたろうは福島県立医科大学で大学教員をしています。大学では医療コミュニケーションについての医学教育を担当しており、臨床心理士・公認心理師として認知行動療法を専門に活動しています。この記事は、所属機関を代表する意見ではなく、あくまで僕自身の考えや研究エビデンスを基に書いています。

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