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失敗を語れるか /ファシリテーション一日一話

岐阜にオークビレッジという国産材・家具職人集団を立ち上げた稲本正さんのお話しをオンラインで伺った。御年79才になる先人は「自分が失敗した時の話なんだけど、、」とこんなことを語ってくれた。

日本語があまり上手じゃない人が連絡してきて「あなたと交流したい、自分の本の書評を書いてほしい」という類の連絡をしてきた。指定された本を読んでも、自分がイヤイヤ読んでいるせいか、あまり面白いとも思わず、とりあわないことにした。すると後日、ノーベル文学賞の受賞インタビュー映像が流れ、その方は、カズオ・イシグロさんであることが判明した。驚くと同時に大いに反省をした。頂いた本は、ちゃんと読まなきゃな、と。その後、稲本さんの著書「脳と森」の話や、今やっているクラウド・ファウンディングの展望などを伺った。

それらもかなり感銘を受けたのだが、この冒頭の失敗の話がとくに印象に残った。長い人生を積み重ねて、地位も名声もある方が、失敗を語るのだ。姿勢を正して聞きたい。

失敗は話したくない

人間は失敗をする生きものだ。それ自体は仕方ない。でも、ちょっと恥ずかしいので、自分の失敗を人に言いたくないことがほとんど。会議の場でも「心配ありません、うまくいっています」と報告しつづけ、自分がおかしたミスや失敗を語ろうとしない、場合によっては隠し続け、後に大ごとになったりもする。実際のところ、もしも何か失敗をしたのであれば、それらをオープンに語ったほうが、次に同じ失敗をする人が減って全体としてはいいのだけど、なかなかそれが出来ない。ミスを責めるくせのある集団や、隠蔽体質が強い組織の場合はとくに難しい。

会議のファシリテーションをお引き受けする仕事のなかで、ときどき「あの失敗から、ウチは何を学ぶべきか」という切り口の依頼がある。自分たちだけで会議してしまうと、つい責任のなすりつけあいや、あいつのせいだといった犯人探しになったり、粛正の嵐みたいになってしまうのを、避けるために僕のような外部者に頼むのだと思っている。

事実と感情を少しわけて語り合う

これら失敗を振り返る会議をする場合、まずは起きた失敗やトラブルを正面から捉え、何が起きたのか、きちんと事実を共有することが肝心となる。そして、なぜそれが起きたのか、起きた時それぞれが何を感じていたのか、を共有することも大事。起きた<事実>と、そのことによって引き起こされる<感情>をすこし分けて話し合うようにしている。「そうか、あの時にはもうおかしいなと感じていたんですね」「こう言われた時にカチンと来て、つい売り言葉に買い言葉が出てトラブルが大きくなったんですね」と、起きた失敗を丁寧に観ていく。大抵のトラブルや失敗は、きちんと話を聞いてみると「まぁ、そういう状況が重なったのであれば、仕方ないよな」というものだったりもする。関連する方々のお話を一通り聞いて、それぞれの角度から見えている景色を共有したら「じゃあ、そこから学べることは何でしょうか? 今後はどうしましょうか」と、過去から未来の話に転換するようにしている。「今後、似たようなシチュエーションが起きたらどうしましょうか」「そういう状況にならないために、あらかじめできることは何ですか?」「仕組みとしてはどうしておくといいでしょう?」などと聞いてゆき、次に同じ失敗に至らないよう、互いに学んでゆくのだ。

今だから話せる失敗談

ただ、失敗が起きた直後や、火消しの真っ最中は、なかなかそういう話ができなかったりする。なので、大きな失敗が起きる前に、失敗を語るのが、なおよい。社員研修の場面などで「今だから語れる失敗談」を募集すると、けっこう面白い話が聞ける。「実はあのとき、こんなことをやらかして、、、」という話は皆の興味を引く。他人の不幸は蜜の味。

そして、直近の失敗より、すでに乗り越えた過去の失敗のほうが語るほうも話しやすい。「あのベテランの社員さんも、そんな時代があったのか」と親近感が湧いたりもする。互いに失敗を語るのは、それをねぎらい、共に乗り越えてゆくうえでとても大切なプロセスだと僕は思う。

まぁ、かくいう自分も失敗を語るのが苦手なタイプと思う。「今だから話せるファシリテーターの失敗談トーク」でも企画して、数ある愚行を紐解くとするか。


稲本正さんとは南方熊楠ツアーでご一緒した。熊楠も研究した那智の森を歩き光合成を辞めてしまった不思議な植物に出会う。


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