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養老孟司さんのお話しが超絶面白かった件

みなさん、こんにちは。淡路島在住のファシリテーター、青木マーキーです。昨日まで福岡出張でした。NPO法人福岡シュタイナー学園さんが主催する「子どもの育ちシンポジウム」のファシリテーターを仰せつかりました。このシンポジウム、基調講演が養老孟司さん、パネルディスカッションが伊勢達郎さん(自然スクールTOEC)、日登美さん(モデル)、田北雅裕さん(九州大学大学院専任講師)という豪華布陣もあって大盛況。会場は約200人で満席、アーカイブ視聴希望に250人もの人が集うという注目ぶりでした。

シンポジウムを企画しモデレーターもつとめる藤田由美さん(くらすこと)から「参加型のシンポジウムにしたいのだけど、どうやって進行したらいい?」と相談を受けているうちに、いつのまにか僕も会の進行をお手伝いさせてもらえることに(うれしい!)。3年ぶりに福岡に行ってきました。


メインの問いが、なかなか深い

ウエルカムが伝わる場づくり


受付を通過するとそこは集いの広場のよう。シュタイナー学園のふだんの様子が伺えるコーナーも


シンポジウムの会場に到着すると、受付があり、名札コーナーがあります。ここでラベルシールに自分の呼ばれたい名前を書くのですが、これがマジックではなく、クレヨンで描くのがステキ。ふだんシュタイナー学園で使用しているクレヨンのようで、皆がやわらかい名前になった感じがあります。

よびかける紙もまた、ステキ

いくつかの出店や飲食出店ブースがあり、スタッフとそのお子さんが整えてくれたステキなウエルカム・ボードがお迎えしてくれました。参加型の場づくりをしますよ、というのは事前の段階でも、当日にも、こうやってお伝えしておくのがよいですね。

左下にマーキーマークも書かせてもらいました

開演の13時の少し前、進行役の青木マーキーが出ていって、まずは「からだをほぐそう」「ご近所さんとこんにちは」の時間をとります。大規模なシンポジウムということもあって、僕もスタッフも、いささか緊張していたのですが、いっしょに肩をまわし、首をまわして、深呼吸。ご近所さんに挨拶をすると、少しほぐれます。さぁ、はじまるぞ。

子ども時代、みなさんは、どんな風に過ごしていましたか?

養老孟司さん登場


基調講演をつとめる養老孟司さんにお話しをお願いしたのは「子ども時代 大切にしなくてはいけないことって何ですか?」というシンポジウムのメインテーマ。ゆっくりと歩いてご登壇する85才の養老孟司さん。控えめで、たんたんと話すのですが、めちゃくちゃ面白い。まずはホワイトボードに「社会」と「自然」とかきました。そして、社会の下に「脳」、自然の下に「身体」と。

元来、子どもというのは、自然側の存在。それを大人が脳で考えて、ああしよう、こうしようと教育しようとする。脳が得意なのは「ああすれば、こうなる」というシミュレーションだが、実際のところ、自然や子どもはそのようには動かない。思うように動かないので、やっきになって、もっと色々と指示をしたり命令をしたりするのが「教育」だと思ってやってしまっているのではないか。

しかし、本来的には、学習のプロセスというのはインプットとアウトプットをまわすこと。インプットは外からの刺激、アウトプットは自分の体を動かすということ。なので、子どもはどんどん動いて、出してゆくことが大事。するとサイクルがぐるぐる回って、勝手に学んで行く。動き回ってサイクルを回すのが大事な存在を、机とイスにしばりつけて、余計なことをたくさん教えて、インプットだけ増やすような教育では、うまくゆくわけがない。だから養老さんのように虫取りでも楽しんでいるほうがいいのではないか、と(会場・笑)。

実は医療の世界でも同じような現象が見られることがあって、Aという集団と、Bという集団がある。Aの集団は医者がついて、あれこれ医療行為を行う。専門家が、よかれと思って、あれやこれやといじるんですね。Bという集団は医者にはかからずに人生を過ごす。それぞれの集団に属する人の死亡年齢を見ていくと、実は医者がいろいろいじったり、こねくり回したAの集団のほうが、早く死んでしまったりする。そういう報告を見ると、医療ってなんなんだろう?と思うのだ、と。(うむ、たしかに)。

さらに農耕の歴史を振り返ると、過去1万年ほど、人類は額に汗して土を耕してきた。どうやったら収量があがるか必死になってあれこれやってきた。最近、養老さんが注目をしているのは土を育てるという本でも知られた「不耕起栽培」。耕さない農業というのがとても面白い。人間が必死に耕して農業するのと、枯れ草でもかけておいて、耕さずに農業するのと、さほど収量が変わらなかったりもする。となると「人類は1万年かけて、額に汗して、何やってきたのか?」と思ったりもする。社会の側、脳の側の私たちは「自分が手をかけて何かしたから、実効があった」と感じたい存在なんだ。そうやって、教育でも医療でも、農耕でも、いじったり、こねくりまわしたり、実は余計なことをしているのかもしれない、と。

もう、この話を聞いただけで、僕は「がーん」とやられた感じがあり。子育てにおいても、仕事においても、自分があれこれよかれと思って、あるいは自分のシミュレーションを試してみたくて、やってきたことを反省したり、思い出したりするのでした。うまく言葉に書けないけれど、とても、とても面白かった。今回のシンポジウムは動画アーカイブ販売もしているようなので、、ぜひお買い求め下さい。

みんなで感想を話そう


で、大事なのは「いい話をきくこと」ではなく、それを受けて、私たちがどう動くか?ということ。はたと、ファシリテーターとしての自分の役目を思い出し、皆さんに投げかけました。同じ話を聞いても、人によって響いた箇所は違うものです。それらを交わし合う時間をとります。

このスライドを出して、会場中で語り合う時間をもった


200人がいっせいに語り出す

養老さんがおっしゃるように、インプットを入れるだけではうまく学習は回らない。聞いた話を、聞いたそばから語ってみる。私に何が響いたのか、気になったことは何なのか? わいわい語り合う時間をたっぷりとりました。

私がしていることで、余計なことは何だろう?

養老さんのお話しを聞いて、僕がガツンと衝撃を受け、自分に問いかけたいなと思ったことは「自分がしていることで、余計なことってなんだろう?」ということです。もしも自然に対しても、社会に対しても、子どもに対しても、参加者にタイしても、余計なことをしているんだったら、それは少し自覚して、本来やるべきことに注力をしたい、と思ったしだい。うん、これ、いろいろありそうだな。

あぁ、もっと養老孟司さんのお話しを聞いてみたいな、と思ったので、著書を読んだり、youtubeを見てみようと思います(友人曰く、超絶面白いとのこと)。

後半のパネルディスカッションも、とても楽しく学び深かったので、後日、またレポートが書けたらと思います。それではまた! よい一日を。

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