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【note紹介】「反省」するのは大切な人がいるから.より


親子の謝罪と反省

漫画「しょせん他人事ですから」には、子どもが引き起こした問題に対して親子で謝りに行くシーンがある。しかし、子どもは本心から反省しておらず、被害者は激怒する。父親が土下座して謝罪するが、息子は事態を理解していない。父親と風呂に入りながら、その場面を思い出した息子は、父親の言葉に初めて強く後悔し、「ごめんなさい」と反省の気持ちを抱く。

反省の心理

反省させると犯罪者になります」という本によると、反省とは心から悔い、被害者に申し訳ないという感情を抱くことである。しかし、他人に対してこの感情を持つのは難しい。反省は、大好きな人に迷惑をかけたときに生まれる感情であり、見知らぬ他人に対して反省するのは無理な要求かもしれない。

犯罪者に反省させるな──。「そんなバカな」と思うだろう。しかし、犯罪者に即時に「反省」を求めると、彼らは「世間向けの偽善」ばかりを身に付けてしまう。犯罪者を本当に反省に導くのならば、まずは「被害者の心情を考えさせない」「反省は求めない」「加害者の視点で考えさせる」方が、実はずっと効果的なのである。「厳罰主義」の視点では欠落している「不都合な真実」を、更生の現場の豊富な実例とともに語る。

心機妙変と反省

北村透谷撰集」に登場する坊主は、多くの犯罪を犯しながらも反省しない人物である。しかし、大切にしたい人ができ、その人を悲しませたくないと思ったとき、自分の行いの重大さに気づき、初めて反省の感情が生まれる。

反省の条件

反省とは、自分の大切な人を悲しませたくないという感情から生まれるものであり、大切な人がいない場合には反省することが難しい。子どもが何かをしでかしたときに親が一緒に謝るのは、子どもに反省の気持ちを生じさせるためのチャンスである。

「家栽の人」に見る反省

家栽の人」では、父親が息子を殴り土下座するシーンがあるが、息子にとって父親が大切な人でないため反省の気持ちは生まれない。子どもは親の作品ではなく、親にとって大切な人であることが重要である。

「家栽の人」では、子どものしでかしたことに腹を立てた父親が、裁判官の目の前で息子を殴り、その上で土下座し、「これからは私がしっかり指導します!どうか寛大なご処置を!」と頭を下げた。構図としては冒頭の話に似てる。しかし桑田判事は「何か勘違いしていませんか?」と冷たい声。
桑田判事は、父親の支配にうんざりした息子が、父親に迷惑をかけるために、父親の「世間体のよい面の皮」を汚すために犯罪を行っていたことを見抜いていた。だから父親が土下座してもそれは子どもに響かないことも見抜いていた。子どもにとって父親が「大切な人」でないことにこそ問題がある、と。
子どもは父親の作品ではない。粘土細工ではない。子どもが親の拘束に窒息しそうになって、その拘束を破壊するために犯罪行為を繰り返す少年が「家栽の人」には数多く描かれる。子どもにとって「大切な人」になれていない親が意外にもいる。それも教育熱心な親に。

https://note.com/shinshinohara/n/na7b3367b5247

教育熱心な親の落とし穴

教育熱心な親の中には、子どもにとって大切な人になれていない親がいる。例として、売春を繰り返す優等生の少女がいるが、その理由は母親が初めての生理に対して冷たい態度を取ったことが原因であった。

犯罪を未然に防ぐために

子どもにとって「大切な人」がいることが、非行に走るか否かの大きな分岐点である。私たち一人一人が、大切な人との関係を大事にし、子どもたちが反省の気持ちを持つような社会を築くことが重要である。


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青樹謙慈(アオキケンヂ)
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