ぼくとインターネット④
はじまり:ぼくとインターネット①
2個目:ぼくとインターネット②
前回:ぼくとインターネット③
③ではゲームから再びインターネットに戻ってくる僕を紹介しました。
いよいよ僕が本格的にインターネットの波に飲まれる重要なフェーズに入ります。
音MADとの出会い
前回ご紹介した、「スマブラXの巨大プリンバグ」から、ほかにどんなバグがあるんだろう!とワクワクしながら、ニコ動を検索していったところ、ある2つの動画に出会うのだった。
これが全ての始まりだった。
①『スマブラXは大変なものを盗んでいきました』
(スマブラX×魔理沙は大変なものを盗んでいきました)
当時の私は東方は全く知らなかった。…が、なぜか学校のPCにインストールされていた東方を友達が遊んでいたのを見たことがあった。
それを置いておいても、この動画はあまりにも衝撃的だった。
当時は音MADという単語はなく、MADや音系MADや音声MADなどと呼ばれていた。
「音楽に合わせて、スマブラXの音が鳴るって凄すぎだろ…」
残念ながら、この動画の跡地がどうしても発見できなかった。
※「スマブラは大変な音声を流していきました」という動画が存在するが、これではない。
一体誰が作ったのか。どんな構成だったかもほとんど忘れてしまっている。
唯一覚えているのは、「知らないわ~♪」の後に、トゥーンリンクが「ポロロン♪」というタクトを振っているシーンだけ。
覚えている方、また作者の方いらっしゃいましたら是非ご連絡を!
②『S.P.ダーマはスマブラ参戦したのか?最終乱入英雄スパイ・D』
(スパイダーマッ×スマブラX×最終鬼畜妹フランドール・S)
今でもスパイダーマッネタは正直あんまよく分かっていない。(元ネタを見たことがない)
音声がスパイダーマッで、動画がスマブラXという今では絶対に見ない組み合わせだが、あまりにもよくできている。
特に中盤の「大東京の停電に命を懸ける男」のリズム取りや1分18秒からのキャラ紹介も凄すぎる。
そもそも削除対策にゲーム動画使うという手法は、2021年今見ても面白い。
そして何より「最終鬼畜妹フランドール・S」という曲をここで知ることになる。
なお「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」は正直あまりハマらなかった。それには当時理由があった。
・萌えキャラ(声も含む)耐性がない。
・「鈍痛鈍痛鈍痛」のところ含めて、あまり曲がカッコいいとは思わなかった。
その概念もひっくり返したのが、「最終鬼畜妹フランドール・S」だった。
結局どっちも東方じゃんと知ることになるのはこの後だが。
そして僕は、最終鬼畜の音MADを貪るように見るのであった。
よく見ていた音MADは下記(2008年~2010年付近)。
https://www.nicovideo.jp/mylist/70632735
ちなみに当時はiTunesに音MADを入れるほど好きだった。
下記を見て欲しい。
今改めて見るとヤバすぎるのだが…。
音MAD作者になろうと思ったきっかけの音MADとの出会い
昔更新していたブログを頼りに情報を追っているが、どうやら2009年の5月~6月にかけて音MADを見まくっていたらしい。
前述の通り"音MAD"という言葉が存在しないため、目的の動画を見つけるには原曲や素材名で検索するしかなかった。
どの動画も面白く、iPod touchに音声をダウンロードするレベルで見ていた。
J-POPを聞かず、音MADを聞く男。キモすぎる。
そのため歌える音MADが今もある。病気。
そして色々見ていくうちに気付いたのだった。
「好きな素材と好きな曲の組み合わせの動画見たくね?」
そのきっかけとなった音MADを下記に紹介していく。
①T.M.モノレールの運賃はボッタクリなのか?最終鬼畜多摩M・N
(多摩モノレール×最終鬼畜妹フランドール・S)
205さん(有楽町線の人)が製作した作品。
多摩モノレールなんて乗ったことすらなかったのだが、この作品を見てわざわざ乗りに行った。
今見ても、上北台駅と多摩センター駅の独特なリズムは非常に癖になる。
なぜ、この作品を見て音MADを作ろうと思ったのか?
音程を取らなくても(音痴でも)勢いでいけるじゃん!
これが全てだった。
いわゆるゴリ押しというやつだ。
205さんの作品は不協和音だと言われていたが、それも一つの味(あじ)だったため、「自分が音痴でも許されるのでは?」という発想が生まれたのであった。
②『K.W.S.K.はコックなのか?最終鬼畜電話番フー・M』
(コックカワサキ×最終鬼畜妹フランドール・S)
サビがシュペランカー戦法…とまでは言えないが、ある程度出来上がっているのが凄い。
当時、動画の構成(物語)も含め非常に好きだった。
この作品は、僕が「アニメカービィで音MADを作ろう」と思ったきっかけである。
※アニメカービィは一部リアルタイムで見たことはあったが、残りは当時ニコ動に違法に上がっていたのを見ていた。
そのため素材がすぐ入手しやすかったという側面もあった。
というような感じで、ずるずると音MADの沼に引き込まれていくのだった。
老人っぽく言うと、最初期に使っていたソフトは下記。
・RadioLine Free
⇒BPMはセットできず、最大4トラック制限
・SoundEngine
⇒RadioLineを入れるとなぜか勝手についてきた。音量上げるときとかに使っていた。
・Windows Movie Maker
⇒1トラック制限。切り替え効果は豊富だったが、とにかく音合わせは無理に等しい。
このフリーソフト3個が、当時の私にとっては三種の神器と言っても過言ではない。
その後、「音程をどうにか変更したい!!」と言って登場したのが、
・聞々ハヤえもん
⇒素材のピッチ変更ができるが、1個ずつファイルに書き出さなければいけないため、「叫ぶ」「叫ぶ+1」「叫ぶ+2」とファイルが大量に作られ、フォルダ内が荒れた。
後にREAPERが登場するが、僕が知ったのは2009年ごろだった気がする。
※なお0.999は2006年にリリースされている。
武器が揃えばこっちの物。
色々と動画を作っていったが本当に楽しかった。
もちろん音程はずっと音痴だったが、想像していたものが形になるという達成感は素晴らしかった。
ところで、「wax2.0」というフリーソフトを使っていた形跡があるのだが、なぜこのソフトに行きついたのかが全く分からない。
Vegasではできない3D表現とかが凄かった記憶がある。
なお僕はNIVE、Aviutlは最後まで全く使いこなせなかった。
合作との出会い
音MADは基本1人で作るものだが、何人か集まって長尺の動画を作るものがある。それが合作だ。
簡単にいうと犯罪者集団なのだが、当時どのクラスタにも所属していなかった僕がここに辿り着くのは時間の問題だった。
ちなみに、おそらく初めて見たであろう合作動画が下記。
■熱っぽい
(松岡修造×ニコぽい)
あまりのクオリティの高さに修造MADにハマるきっかけでもあった。
また、この時"ニコニコメドレー"という存在を初めて知った。
しもさんのメドレーも「七色のニコニコ動画」が初めて聞いたメドレーだった。
ニコ動の細かいネタを教えてくれるニコニコメドレーは偉大だった。
おかげでニコ厨になったと言える。
そして僕は思うようになる。
「自己流で作ってるけど、みんなどうやって作ってるのか教えて欲しいし、知りたいなぁ」
そんな時、合作参加者募集をしていた下記合作が更なる運命を変えたのであった。
■三八色のハンマー動画
(ハンマー×七色のニコニコ動画)
当時はハンマーMADの全盛期。
お手軽さも含め、参加は即決だったような気がする。
ただ、何度思い返しても、なぜこの合作の募集を知ったのかが思い出せない。
おそらく、ニコ動内のメッセージが何かで声をかけられたような気がするが定かではない。
(そんな機能あったか…?)
当時はアットウィキとチャットを活用し合作を進めていたが、音MAD作者同士の交流が全くなかったゆえに、このチャットに入り浸ったのは言うまでもなかった。
このチャットの懐かしさは、以前紹介した「ポケモンバトルレボリューション」の記憶があったからだろう。
そして、ハンマー合作が投稿され、すぐさま第2弾も進行していった。
ただ、チャットの参加人数はどんどん減っていった。
そんな時、当時の参加者から「みんな〇〇〇〇〇やってるよ。一緒に〇〇〇〇〇やろうよ!」と言われた。
麻薬か?
ただ、これが今なお続く超SNSへの入り口だとは思うわけがなかった。
麻薬やん
次回:ぼくとインターネット⑤
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