ぼくとインターネット①
note始めました。あおきです。
新型コロネのおかげで振り返ることが多く感じるので、備忘録も兼ねて、これまでのインターネットの関わりを少しずつ思い出して、書いていこうと思います。
何回になるかは知りません。完結するかも知りません。
パソコンとの出会い
Macがいた。ダイヤルアップ接続。
父曰く、ミーハー精神で買ったんだとか。林檎信者じゃではない。
アイコンの顔も怖いし、ダイヤルアップ接続の音も怖かったことはよく覚えている。
おかげでMacは全く使わなかった。
ただ、そんな中でも向き合う時が来た。
小学校のパソコンの授業だ。
「よーっし勉強するぞ!」と、家で親にMacで教えてもらったのだが、当然ながら学校ではWindowsが出てきたのだ。
日本語入力の仕方すら分からず泣いた。
泣いた結果、我が家にWindowsのノートパソコンがやってきた。ちょろい。
それでもしばらくパソコンを使うことはなかった。いや使う必要がなかったのだ。
学校のパソコンの授業も一太郎スマイルで「指定した文字を打ってください」と言われるだけ。
何が面白いのかさっぱり分からなかった。
それよりももっと面白いものがあった。
この時、僕が一番ハマっていたのは「たまごっち」だったのだ。
たまごっちとの出会い
1996年から販売されていたたまごっちだったが、なぜか友達がもらったたまごっちにドはまりし、頑張ってお世話をしていた。
これには2つ理由がある。
①親からゲームを禁止されていた
②生き物のお世話をするのがわりと好きだった
たまごっちはゲームではないらしい。
おかげでのめりこむようにやっていた。
ただ、学校に行っている時間がネックとなり、2代目で死ぬことが多かった。
そんな中、新しいたまごっちが出てきた。
「超じんせーエンジョイたまごっちプラス」というやつだ。
多分誕生日プレゼントでもらったやつだと思う。
僕が持っていたのはフリルぴんく。
やはり昔からピンクは好きだったらしい。
後にビーズほわいと、たねいびーも持つことになるのだが、それはまた別の話。
とにかくめちゃくちゃ嬉しかった。
この時には、既にエンたま含めて3個持っていたと記憶している。
ただ、どうしても2代目付近で死んでしまうのだった。
そんな時、友達もたまごっちを始めたことで、たまごっちの話題が出るようになった。
僕はどうすればたまごっちを死なずに育てられるのかを聞いた。
「時間を止めればいいじゃん」
僕「?」
目から鱗だった。
話を聞けば、「パソコンで調べればわかる」と言われた。
実際、今でも検索をしてみると、しっかり出てくる。
冬眠方法(時間をとめる)
学校や仕事などで、たまごっちのお世話ができないときに、たまごっちの時間を止めることができる。
1:Bボタンを押して、「時計セット画面」にする。
2:Aボタンを押しながらCボタンを押す。
3:「時計セット画面」のままで"冬眠中"(月日の○月のところが点滅状態)
目覚めさせるには、AボタンとBボタンで時計をセットする。
最後にBボタンを押すと目覚める
http://tamago.4th.jp/point/etc.html
学校が一番のネックなのはみんな同じだったんだなと感じる。
そして、これこそがインターネットに触れるきっかけになったと言えるだろう。
たまごっちサークルとの出会い
インターネット便利じゃね?となったのはこの頃だろうか。
Googleなんて知らん。天下のYahoo!きっずがトップページだ。
たまごっちのことをよく調べるようになったと思う。
そして、僕は最初のSNSに出会う。
たまごっちサークルだ。
知らない人もいると思うので、プレスリリースを載せておく。
https://www.bandainamcoent.co.jp/corporate/press/bandainetworks/news/index.php?view=499&ref=200603
簡単に言うと、玩具連動型コミュニティサイト。
育てているたまごっちをインターネット上に呼ぶことができ、その様子や日記を上げることができるといった内容なのだ。
ちなみに同時期にスタートしたデジモンサークルでは、インターネット上でデジモンが育てられるという、たまごっちのさらに一歩先を行っていたが流行ってなかった。
今までオフラインでのやり取りしかできなかったたまごっちユーザーが、オンラインでやり取りができるようになったという画期的なものだった。
育ててるたまごっちが成長したら、インターネット上のたまごっちもいちいち更新させなきゃいけない手間はあったが、部屋を豪華にしたり、友達をインターネット上に呼んだり(これを集合という)、色々な遊び方ができた。
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/sapphiresapphire/diary/201110300000/
機能としては、mixiを彷彿とさせる「あしあと機能」があり、ブログのような「アクセスカウンター」、おまけに自分の「アバター」というものまでも存在した。
人気のユーザーは何十万もアクセスがあり、その数字は結構羨ましかった。
ちなみに僕は8万アクセスぐらいはあったんじゃないかと記憶しているが、定かではない。個人的にはそこそこのユーザーだったのでは?と、勝手に思い込んでいる。
それにしても、なぜたまごっち如きにそんなにアクセスが集まるのか?
実は、各ユーザーが出す日記には、たまごっちのことではない「日常生活のこと」が中心に書かれていたのだった。
バンダイ側は、僕のような子どもの利用かつ、たまごっちの成長日記的な使われ方を想定していたようだが、意外とパパさん、ママさんの利用者が多かったようなのだ。
それを裏付けるかのように先ほどのブログによると、後々、夜間の利用は制限されるようになったらしい。
僕はというと、学校のことや習い事のこと。夕飯のことまで日記に書いてたような気がする。たまごっちのことはほとんど書いてなかったはず。
平和だ。
そして、パパさん、ママさん(と思われる人)との交流をよくしていた。
SNSの基本である「書いたことに対する反応(コメント)」があったのが嬉しいのは今も変わらない。
その後、何年ぐらいやっていたのか正直分からないが、多分1年弱ぐらいはやっていた気がする。
その後、僕はたまごっちに飽き、大勢はブログに移っていき、知らない間にサービスが終了していた。
色々書いていた日記、今だからこそどんなことを書いていたのか非常に気になる。
そして僕は新たなインターネットへ進んでいく。
次回:ぼくとインターネット②
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