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ぶんぶんキラキラ

先に言っておくと、私は蜂が嫌いだ。
スズメバチを含む大型の蜂達に6年連続で刺されている過去があるからだ。

嫌いなんてもんじゃない。
絶滅してほしい程憎んでいる。

そんな蜂の歌と星の歌をタイトルに並べたのは、今日。一つ大きな決心をしたからだ。

SNSや動画、もちろんnoteの記事。
全てに対して個人的なルールがあった。

なるべく他人を巻き込まない。ということだ。

どういうことかと言えば、家族や友人など。身の回りに居る人達の生活は個人のもので自分のものではない。
だから、極力ぼやかして書くように心がけていた。

聞かれれば答えるけど、自らは語らない。
そのせいか、独身だと思われることも多いし
離婚したと思っていたと語る友人もいる。笑
もちろん子供もいない。
仕事と趣味に全ふりした自由人。
こんなイメージを持たれることが多かった。

それはまぁ、個人の狙いとしては正解だったんだけど。

家族であれ子供であれ、とにかく執着するのが嫌いで、奥さんにも彼氏の1人や2人作ったらいいのにと言ったりしているくらいだ。(最初に伝えたときはめちゃくちゃ怒られた。)

子供だって自分の人生を歩いてるわけで
よく見かけるSNSの子供達にも
親から勝手に辱しめられてるなど考えてもいないだろうな。なんて思いながら切ない気持ちになっていた。

きっと誰しもそんなつもりじゃない。
自分の元にやってきてくれた天使を、幸せを、おすそわけしている。そんなイメージで子供の写真をバンバンあげているのだと思う。

が、自分に置き換えたとき。
あらぬ格好で寝ている姿や、泣きべそをかいている姿。
テンション爆上がりでとてつもない変顔をしている姿をネットにあげられるのは嫌だ。
だから、子供のことを書いたり写真をあげたりすることは一切しなかった。
もちろんLINEのアイコンや背景にもしない。


この偏屈な私が、本日。
初めて子供のことを書こうと決心したのだ。
そりゃあ初雪も舞う。

ぶんぶんぶん、きらきら星は息子(先月3歳になった。)が初めて覚えた歌で
機嫌がいい日はお散歩をしながら大きな声で歌っている。
これが、ひじょうに可愛い。

それと同時に、父親としてとても嬉しいことでもある。

うちの息子はとても小さく産まれたので
1ヶ月以上病院の保育器で育った。
仕事を終えるとほぼ毎日のように会いに行き、沐浴させたりあやしたり、とにかく小さくて心配だったから時間があれば病院に通っていたと思う。

そして泣き止まない息子を抱きながら、一体何を思ったのか子守唄のように歌った初めての歌が「ぶんぶんぶん」だったのだ。

大切な息子に初めて聞かせた歌があろうことかこの世で一番憎い蜂の歌。
なんちゅー因果か。

でもね、泣き止むのよ。ぶんぶんぶんで。

これはいけないと思い、ぶんぶんを封印。
きらきら星やらなんやら思い付く限りの童謡であやすのだが、最後まで泣き止まず途方にくれ、仕方なくぶんぶんと歌うと必ず泣き止んだ。

神などはなから信じてないが、神は残酷である。

そんなことは露知らず、3歳になった現在でもぶんぶんは彼のお気に入りの曲なのだ。
父親として、初めて聞かせた歌がお気に入りリストに入っているのはとても喜ばしい。
が、なぜ蜂の歌だったのだと自分を呪っている。

とても複雑な心境である。

と、こんな感じで一応父親だったりする。

なんで急に息子の話を書いたのかと言えば
生活がほぼ息子だからということに気づいたからだ。

昨日は、青春がないからだ。なんて言っていたが
そりゃぁもう子供子供の生活。(それでもわりと自由には生きてますが)
書くことだって曲にしたって、避けて通れないと観念したという訳です。はい。

自分で言うのもなんだけど、うちの子はパパっ子だ。笑

休みで1日家で過ごそうもんなら、四六時中俺の上にいる。離れない。トイレに行くのもタバコを吸いに行くのも、ひっぺがしても絶対に離れない。意地がすごい。

そう言えば子供が産まれる前から、俺は乗られやすい。
猫も幼少はずっと腹の上に乗ったままだったし、人間様にはマウントをとられまくりだし、視える人からすると幽霊にも「のられやすい」みたいだ。
なぜだ。別段乗り心地がいいようには思わないのだが。

話がそれた。
パパっ子と思う理由だったな。笑

毎朝ニー・ドロップで起こされるのは決まっているし、毎朝同じ尋問をうける。
「今日はお仕事行かない?今日はアトリエ行かない?今日はパチンコ行かない?」
この3点は必ず確認される。

仕事で家を出る寸前まで、「行くな」「ダメだ」と罵声と暴力と涙をうけながら、なんとかやりすごす。

仕事が終わっても「あんたがいるとテンションが上がりすぎて全く寝なくなるから、息子が寝るまで帰らないでくれ」という奥さんの命令により、家に帰れない。笑

だからここだけで言わせてもらうが、息子よ。
別に俺はパチンコ狂いじゃない。
帰るあてがない。創作するほどのエネルギーが残っていない。本すら頭に入らない。
だからぼーっとしに行くのだ。笑

雑音にまみれて、生きてるのか死んでるのかわからない目で台とにらみ合い、ときおり「あれ?俺って帰る家ないのかな……」みたいなことを思いながら、必死にあなたの眠りを待っているのだ。

早く帰りたい。お腹空いた。風呂に入りたい。今日は眠い。というか君と寝たい。遊びたい。
こんな時でも俺は家に帰ることが許されないのだよ。

あげく小遣いをパチンコに吸いとられ、個人的な生活が苦しい……って。
もう何のために働いてるのかわからん。
だから、パチンコという言葉はもう忘れて欲しい。

あぁ……また話がそれた。
もういっか。笑

まぁ、そうですね。
こんな感じで、子供まみれの日々ではあるので、それを抜きにして何かを作るのは無理だし、なんか息子に対しても距離を置こうとしてるように感じて嫌だったのがきっかけかな。

必要以上に書くつもりはこれからもないんだけど。

たまには良いかな、なんて思ってる。

けっこう絶対的なルールだったから、個人的には大きな決心をした日。

ようやく夕飯が食べられました。

これからまた、それぞれの作品や日常を学び直す。
そんな気持ちで書きました。

読むことはもちろん学ぶことだけど
書くことだって、学ぶことだ。

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