見出し画像

夏休みの終わりの思い出と、大人から君への「応援」の存在意義

雨によって甲子園の中止、というニュースを見た。今年はコロナでの中止ではないから、まだ希望はあるなと思いつつ、自分の高校時代のことを思いだした。

高校生の頃の夏休みは、甲子園に行く野球部の応援に行くため、合宿などをしながら、チアとして練習をする日々だった。

野球部が敗れるとその時点でその時の踊りは終わり、3年生は引退。そして次には文化祭に向け、2年が中心となり新しい踊りを考える。

だから、なんだかんだでほぼ毎日、夏休みの間も学校に行っていた。

高2の夏。

いつまでも夏休み気分でいるのは私と数人、それから1年生くらいで、学校は進学校だったからみんな部活よりも勉強の方に力を入れだし、野球応援終了後になると、あまり来なくなる人もいた。

文化祭に向けて曲選びや踊りを考え出すと、いつの間にか秋の気配が近づいてくる。

3年生たちが引退していった部活は人数が減ってしまって、もの寂しい気分で、野球部もあんなにたくさんいたように感じたのに人数が減っていて、グラウンドが少し、広く感じた。

おんなじ学校にいるのに、部活から人が減るというだけでなぜか、とても寂しい気分になった記憶がある。

野球部の応援では、負けた時多くの球児たちが泣く姿を見てきた。それに私たちも、もらい泣きしそうになった。

3年生が後輩たちに「お前たちは、まだ泣くな。来年があるから、泣くな。」と涙声で慰めていて、応援団長が野球部の部長と抱き合っていたのが印象的だった。

チアも応援団も、応援することしかできないが、一緒に戦ってきた戦友だ。悔しい思いを胸に、野球部はまた来年の試合に思いを馳せ、練習をする。2年生にはまだ可能性があるから、そのためにまた、来年に向け頑張る。

チアだって、同じように同じところを目指して頑張る。応援することが、力になってもらえるならば、「応援」はそのために存在意義があるからだ。

そんな夏の大仕事を終えた頃にはもう、夏休みもあと半分というところだった。8月の終わりが近づくと「ああ、夏休みも終わるなぁ」と、実感しながらなんとなく、ぼーっと学校に来ては、踊りを少し考え、休憩しては、友達や後輩としゃべったり、なんとなく、なんとなく時間が過ぎていった。

野球応援の頃には、体が溶けそうだと思うほどの太陽の日差しもずいぶんと穏やかになり、うるさいミンミンゼミの合唱ももうほとんどしなくなって、気が付けば少し涼しい風に、ツクツクボウシの鳴き声ばかりだ。そして、アキアカネが飛び始めてきた。

この鳴き声と、アキアカネを見かけると昔から「秋が来るなあ」と感じた。

夏休みがもう終わるのか。終わったらすぐテストがあった気がする。宿題は、だいたい終わった。またあの、「現実世界」のような授業ばかりの生活に戻るのか。

進学校、友達は頭のいい人たちばかりで仲間外れとか、いじめとか、そんなくだらないものはなかったけれど、女子はいつも、グループを作るから、そのどこかに所属していないとなんとなくひとりぼっちになる。

夏休みの部活の間は部内に居ればそれでいいし、しなきゃいけないのは部活に専念することだったし、よかったが、ああまた新学期が始まれば、あの面倒くさい女子の「グループ」とやらに悩まされるようになるのか、と少し憂鬱だった。

クラスで一番仲のいい友達に、友達がたくさんいたから、クラスでも巨大なグループになっていて、私はそこに居るのはとても苦痛だった。みんな良い人だった。だけど、「属する」ことが、私は苦手だった。

トイレにみんなでいく女子特有の習慣も、私は好きじゃなかった。だから勝手に一人で行くし、ついていくこともしなかった。

「男子の友情は楽そうで良いなあ」といつも思っていた。男になりたいわけではなかったが、友達関係の簡素さにいつも憧れを抱いていた。

私は色んな友達が好きだから、色んな友達と話したい。目立つグループの友達とも仲が良かったし、静かな文芸部の友達と話すのも面白かった。

だけど、目立つグループの友達と文芸部の友達は、仲良くはなれないようだった。だから私が色々な場所を行ったり来たり、そんな風に過ごしていた。

9月に入っても文化祭になるしばらくまでは、部活に行く時間が増えるだろう、私はほっとした。部活ではそういったグループという概念がない人たちばかりだったから、そこにいると自分らしくいられて、自分らしく楽しめた。

そんなことを愚痴っても、なにをしても8月31日はやってきて、そして9月1日になる。私には少し難しすぎる、淡々と話す先生の数学の授業を聴いて、もう一人の先生の数学の授業も聴いて、英語のおどけた先生の授業を聴く。

一番楽しみだったのは倫理で、先生が哲学の話を面白おかしく話すもんだから、学校でも人気の授業だった。

そして休憩時間になれば、はじまる女子グループの悩み。もう、机で寝ていようかな、と思う時もあった。でも表向きには「友達が多い」私だから、必ず「何寝てんの!」と、声をかけてきてくれる友達がいて、連れ出しに来る。

きっとこれは、幸せなことだ。

だけど、一人で自由に動き回らせてほしい。そういった思いとの、葛藤だった。

好きな友達に、好きな時に話したいんだ、グループでぞろぞろと動きたくないんだ。一時期別のクラスの友達とお昼ご飯を過ごすようにしている時期もあった。仲間外れにされたのではなく、自分から逃げるようにそこで食べた。

クラスの一番仲がいい友達が心配して、早く戻っておいでよと言っていた。本当に申し訳ないと感じた。あの空気に私は、学生が終わるまで馴染めることがなかった。

大人になった今、好きな人には好きな時に会えるし、なによりグループに属さなくてもよくなったことが、大人になって一番喜ばしかったことだった。

8月が過ぎることが少し憂鬱だった、高2のあの頃みたいな感情もない。ただ、お盆だな、とかみんなのそれぞれの休みを聴いてみたり、お盆が終わったら通常の仕事に戻るから、業務をこなす。そんな日々だ。

17歳の8月31日と違って、30代になった今の8月31日は月が替わることへの重みも、感じ方も、匂いも、日差しが穏やかになったことも、セミの鳴き声の違いもあまり気にしない。

田舎の学校と違い大人になり都会に住むようになったが、ツクツクボウシの鳴き声は聞こえてくるのだろうか。アキアカネなんて、いないだろうな。

私の中ではあれが、秋の合図だった。

憂鬱だったグループ制度から脱出でき、大人は快適になれた。今でも時々交流もあるし、仲良くしている人もいる。ただみんなで集まるんじゃなくて、その時会いたい友達数人で会う。それくらいが丁度いい。それくらいが私らしくいられる。

8月31日になると、若者に向けてたくさんの大人たちの注意喚起が随所で見られる。嫌なことを抱えている子供たちが、人生を終わらせないように。

今、私は大人で何度も何度もつらいことを経験したけれど、学生時代のうちの苦しさは、大人に話すと解決することも多い。いじめや嫌がらせをしている人は心が乏しいのだということも、大人になれば容易にわかる。

アンジェラアキの「手紙~拝啓十五の君へ」という歌が、本当にそのことを物語っている。

拝啓ありがとう 十五のあなたに伝えたいことがあるのです
自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど 明日の岸辺へと夢の船よ進め
今負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな声は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて 眠れない夜はあるけど
苦くて甘い 今を生きている
人生のすべてに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて

大人にならなければわからない答えがあった、だけど子供にしか見えないものもあった。

私があの時憂鬱だったグループの悩みも、大人の私が聞けば「なんだそんなこと、好きなように動けばいいだろう」と言っただろう。だけどそんな私だってこの間までずっと、憂鬱で苦しい答えが出ない場所にいた。

大人になったって、色々な悩みはある。だけど子供たちが抱えている悩みを、解決してあげられる術は、きっと同じ年齢の子供たちよりもはるかに持っているだろう。

苦しい思いをしている子供が、憂鬱になるという8月31日に、世界をまだ終わらせないで、もう少ししたらまだ道は拓けると、それを知っているのは同級生の友達じゃない。その時間を経験してきている、大人だ。

大人に助けを求めることが、何も恥ずかしいことじゃないんだと、わかってほしい。気づいてほしい。周りに居なくてもどこかにいる。必ずいる。

チアをしていた頃のように、それが心の「応援」になるのならば、私だってたくさん話を聴いてあげたい、そんな大人はこの世にたくさんいるよ。

大人の存在意義は、そんな悩む子供たちを応援し、守ることでもあるのだから。

チアは「応援をすることしかできなかった」けれど、もっと具体的な解決案で、苦しい現状からひょいと救い上げられることが、きっとできるかもしれない。

夏休みの終わりの日を全ての子供たちが健やかに、過ごせますよう、そしていつでも大人は頼ることができるということを、知ってほしい。

文章を楽しく書いている中で、 いただくサポートは大変励みとなっております。 いただいたサポートは今後の創作活動への活動費等として 使わせていただこうかと思っています。 皆さま本当に感謝いたします。