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バイアスが掛かった説明を鵜呑みにするな!

918文字・15min


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ぼくは戯曲の作劇のためにある映画「ファイトクラブ」を繰り返し観ている。趣味ではない。重箱の隅をつつくように観る。おなじシーンでおなじメモをしてたりする。こうなると鑑賞じゃない苦痛だ。それでも出来の良い映画の脚本は発見が多い。

noteで、その映画「ファイトクラブ」のレビューを完全に間違ってる人を見かけた。その記事は「映画大好きポンポさん」なるアニメを観て、それに影響されて記事を書いているようだ。ぼくはその記事って「映画大好きポンポさん」のコピペではと思った。調べてみると… これ以上書くと彼の批判を超えた攻撃になるので控えるが。


ぼくは原作の小説を読んでない。その上で映画脚本の考察になる。
映画「ファイトクラブ」は不眠症の主人公《僕》はラストまでせん妄状態だ。《僕》が「タイラー」という人物を作りあげる。

この映画は終始、最初から最後まで《僕》の一人称で語られる。

この映画は《僕》とふたりのシーンに口を挟む人物は登場しない。

これは《僕》は妄想である証拠だ。であればもうひとりの登場人物「マーラ」も《僕》が妄想で作りだした女性だ。もしどこかで三人称で語られたら《僕》の病気は治った証になる。だが、物語はループで終わる。《僕》は自分の喉元に銃弾を打ち込んでしまう(妄想の「タイラー」に引き金を引かれるわけだが)。可能性としてだが《僕》と二人で話す登場人物のすべてが《僕の妄想人物》という解釈も生まれる(例えば空港のセキュリティの男など…)。

=====

下記は批判になる。
僕のフォロアー以外は読まないでください。
noteで「ファイトクラブ」を検索しないようにお願いします。

noteの記事を書いた彼は《僕》は二重人格という。だがそれは違う。
《幻覚》と《二重人格》はまったく違う疾患だ。

一般論に戻すが、彼の記事はGoogle検索で上位に浮上する。
見知らぬ読者は、彼の記事を読んで映画「ファイトクラブ」はこういう映画なんだ! と信じてしまう。

それこそ、取材を碌にしない大手既成メディアが、たったひとりの大学教授の言質を取って、国民に間違った情報を垂れ流す偏向報道と構造がまったく変わらない。とぼくは思うのだが。


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