見出し画像

ずっと気にかかっていた言葉を検索☞「文芸は才能を滅ぼす場所」20230326sun273

2012・25min

ぼくの手元に、第45回新潮新人賞の応募規定の紙がある。
下記の写真だ。福田和也さんのところを読んでほしい。

じつはぼくは、いまだに、この福田和也さんの伝えたい意味はわかっていない。それでさっき検索をしてみた。「文芸」「才能を滅ぼす」
すると、栗原裕一郎さんという評論家が、それについて、4:35 AM · Jan 12, 2022にツイートしていた。
内容は下記。
福田和也が新潮新人賞の募集要項に「文芸の世界は、才能を伸ばす場所ではなく、滅ぼす場所」と書いていたのはこうした事情を示唆していたのかと思ったり。理不尽を乗り越え花を咲かせてこそ文学と言われればそうかなという気もするが、おれはごめんだな。理不尽に打ち克つ自信のある皆さんはどうぞ。

これには文脈があった。ここで彼のツイートを時系列に並べ直してみた。

3:44 AM · Jan 12, 2022
高原英理さんのお話を鵜呑みにすると、新人作家の命運はつく担当編集の好悪に左右される。推さない箱に入れられてしまうと、新人賞受賞作はもとより芥川賞候補になろうが単行本にはならない。それはつまりいくら書こうが本になる見込みはないということで、なかなか地獄なシステムだと思いました。

3:50 AM · Jan 12, 2022
クソつまらないのに異様に推されてまかりまちがって芥川賞まで授賞されちゃう「新人作家」がいる一方で、そう悪くないのにまったく推されず本も出ず消えてしまう「新人作家」もいて、何が明暗を分けているのかさっぱりわからなかったんだが、担当編集者の好み次第と考えれば理不尽ながら合点はいく。

4:13 AM · Jan 12, 2022
純文小説は本にならないと市場評価≒一般読者の評価に晒されないんだよ。市場すなわち読者の評価がなければ、作者と作品は「文壇」内評価から出られないが、「文壇」内評価から出るには本として世に出る必要がある。無限というか無間ループだ。そりゃあまあ、潰れるわなという話だ。

4:35 AM · Jan 12, 2022
福田和也が新潮新人賞の募集要項に「文芸の世界は、才能を伸ばす場所ではなく、滅ぼす場所」と書いていたのはこうした事情を示唆していたのかと思ったり。理不尽を乗り越え花を咲かせてこそ文学と言われればそうかなという気もするが、おれはごめんだな。理不尽に打ち克つ自信のある皆さんはどうぞ。

5:03 AM · Jan 12, 2022
しかしさらに考えてみると、世界を震撼させる予定の君の文学が、たかだか担当編集者一人すら動かすことができなかったのだとすれば、君の文学のほうに問題があったということもできなくはなく、まったく文学の価値なんて君次第だということにもなる。

ツイートはぼくの印象と違ったものだった。

★ ★ ★


以下は、あまりにも稚拙なぼくの一意見で。この前に書いた下書きを読み返した時点で、論点がずれている。と感じて、お蔵入りにした文章だ。でも、勘違いや色々なものもぼくのわけだし、そういう間違いを読んで、指摘してもらって問題提起してもらったほうが、誰かのためになるかなと思って蔵出しをした。

ぼくの持論を書く。ぼくは書き手(小説家)だ。
だからぼくの感想は彼ら評論家の観点ではなく書き手(小説家)側からの視点だというのをわかってもらいたい。

ぼくは物語(とくに小説)を書いているとき「いま自分は生きている」と感じる。「いま自分は伸びている」とありありと感じることができる。だが、物語は書き終えた瞬間に、ぼくのばあい書いてきた実感は過去の「遺物」となってしまう。創作執筆をしてきた活力は一気に萎んでしまう。自分の作品(遺物)に、興味すらなくなる。
以下は、非常に男性的な肉体的な比喩になる。女性作家はこのぼくの意見が通用するとは思わない。だが誤解を恐れずにぼくの正直な意見をここに書く。
小説の創作過程はセックスを行う一連の作業に当てはまる。
ごく単純化させて簡潔に書く。

  1. テーマ、モチーフを探す ☞ 街に出て、どの女と寝るかを品定めをする。

  2. レジュメ集め ☞ 女をどこのホテルに、どのタイミングに誘いこむかを事前にリサーチする。

  3. プロット ☞ ホテルの部屋前。女を実際に口説く。女のどこが感じるのか、どうすれば喜ぶのか? どこをさわれば良いのか? 前戯はどれくらい必要なのか? 

  4. 執筆(ストーリー) ☞ セックスの実践だ。

  5. フィニッシュ(一気に性欲が失せる)

  6. (賢者タイム)

  7. また別の女(新たなテーマやモチーフ)を探すために街にくりだす。

筆者が行う執筆のループ作業というのは、回数(作品)を重ねれば、セックスの腕(創作技術)は高まっていく。だが、筆者の内部では、筆者の作家性にとってかけがえのないナニカが滅びている。それは恐らくセックス(創作)に対する、失ってはいけないナニカなのだ。それは女に対する、女を大事に思う、女を大事に扱うナニカだ。処女作を執筆していてもがいていた時の、絶体絶命感や、足掻きや、苦しみや、絶望や、みずみずしさや、傲慢や、謙虚さ、作品に対する正直さ、などではないかと思う。

筆者は作品を数多くこなしていけば、作家のその作品は手慣れた遺物になる。それが滅びだ。とぼく思ったのだが。

こういうのっていうのは、福田和也さん本人に聞いてみないとわからないですね。


この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,418件

よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします