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思いは伝わらない。202303307tue258

397文字+α・30min


オーディションの合否通知がメールで届いた。

合格には至りませんでした。
という文言。目に入った瞬間ゴミ箱に。
参った。
結果がわかっていてもだ。
参ったということは希望があったということ。
これからぼくは放心状態がつづき体調を壊す。二十五年前の演劇のトラウマを克服する最初のステップのはずだった。

先の自分の状態は手に取るようにわかる。
人間は絶望の後は脳が処理できない。生理現象だ。
動揺が来て怒り、虚無、悲しみ、長い苦痛、快復(各々の時間で)へ。
癌(の宣告)も家族の被災も新人賞の落選結果も基本はみなおなじだ。
それらを再構築すれば「物語のプロット」になる。

過去と違ったことがある。
ぼくはひとりではないと感じたことだ。

となりにネコがいた。蒼井瀬名なるHNで好き勝手に書いている《ぼく》に読者がいたこと。

ぼくの本来は小説だといい放って演劇の結果を流すのは違う。すべてを水に流せるのは出世してからだ。(397文字)

α(無駄話)


と言いつつ、書くことを忘れた。笑。
タイトルの「思いは伝わらない」だ。
前回の日記に「ぼくはいつも本命に行けない」と書いた。
これは個人的な体験で人生の経験則なのだが、それよりももっと幅が広い訓話のようなケースがある。
それが「思いは伝わらない」だ。
ちょうど先日にぼくの好きなウディ・アレンが出てきた。
簡単に紹介すれば世界でおそらく五指に入る脚本家だ。
生存者ではウディ・アレンとクエンティン・タランティーノの二人。世界のどんな名優でもこの二人の脚本でオファーが来れば友情出演でも(エージェントが許せば)ギャラなしでもよろこんで出演するはずだ。彼らの映画に出演できる、それだけで名誉。そんな脚本家だ。他の三人は世界中の批評家の好き嫌いがでる。だが上記の二人は文句はあるまい。

ウディ・アレンの世界観のテーマはまさに「すれ違い」「思いは伝わらない」だ。

話は逸れるが、三谷幸喜はコメディ(喜劇)を書いているのかファルス(笑劇)を書いているのかわからないところがある。ファルス(笑劇)に注釈をつけるとすると、お笑いコント(状況の変化や偶然の事故)でドリフのコントはファルス。今の東京03はコメディだ。三谷幸喜は状況だけが変わったりするから人間の心情は置いていかれる時がある。それだとナンセンスになってしまう。サスペンス小説に例えるとアガサクリスティ作品は登場人物の心は完全に無視される。殺人トリックのみに焦点が当てられる。例えば探偵物ではハードボイルドは暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えずに客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう。ジャンル小説ということだ。
話は戻るが、ファルスのようなナンセンスにならぬように観客に感情移入をできるようにした「笑の人情劇」がコメディとなる(⚠️ぼくの素人見解です)。

以下はお蔵出しだが。
八年前。
ぼくは京都に住んでいた。
ある日、突然に娘の声が聞きたくなった。
今でもはっきり思い出す。
夜だった。
京都高島屋のスタバの脇の通路でうんこ座りして元奥さんのケータイに国際電話をかけた。彼女がどのような職業になっていてどんな場所に住んでいるのかわからない。ただ娘の声が聞きたかっただけで電話をしてしまった。
この小話を客観的に読めば、読者はお分かりだろうが、『ぼく』の気持ちは盛りあがっている(もちろん当時のぼくも感極まっていたわけだが)。
彼女のケータイが出た。ぼくの心臓は飛び出るように高鳴った。

「ヨボセヨ…」
と元妻の韓国語の声。
「…あ、ぼくだけど」
とぼく。
「ザズン…」
と元妻はいった。
「ほんとわるいね。雫(仮名)いるかな?」
とぼくは言って娘と代わってもらった。
内容は今回と関係ないので割愛する。

問題は「ヨボセヨ…」と「ザズン…」の韓国語だ。
韓国語がお分かりの方でもこれはコメディなのかファルスなのか悲劇なのか、判断が難しいと思う。訳(+小説的な時間経過の心情表現)を入れてもう一度。

「ヨボセヨ(もしもし)…」
と元妻の韓国語の声。
「…あ、ぼくだけど」
とぼく。ぼくは胸が高鳴った。まるで心臓の中で半鐘がジャンジャンと鳴り響いているようだった。
「ザズン(ウゼエ)…」
と元妻はいった。おそらく元妻はぼくに聞こえないような音量で言ったのだろう。だが、ぼくの両耳にははっきりと聞こえていた。鼓膜の奥まで彼女の「ウゼエ」が響いてきた。ぼくは全身から力が抜けていった。娘の声が聞きたいという一心が一瞬、強烈な横風でどこかへ吹きとばされてしまったような感じだった。
「ほんとわるいね。雫(仮名)いるかな?」
とぼくは日本語で言って娘と代わってもらった。娘は日本語をすっかり忘れていて、ぼくのことを「パパ」と言えないでいたようだった。あるいは恥ずかしがっていたのかもしれない。受話器の向こうで娘が韓国語で元妻に話しかけている。
「雫、パパだよ」
「……」
ぼくはうんこ座りのまま雫が大好きだったアンパンマンを歌った。スタバに出入りするカップルが横目でぼくを睨む。
「……」
「お母さんの言うことを聞くんだよ。わかった?」
「……」
「もう一度、言うよ。お母さんの言うことを聞くんだよ。雫。わかった?」
「……」
沈黙がそこにあった。
ぼくの携帯のディスプレイは汗でびっしょり濡れていた。袖で拭ってまた耳を押し当てる。
「もう、切るね。お母さんが正しいんだよ。言うことをね。聞いてね」
「……」
「もう、切るね」
受話器は変わったようだった。元妻が出た。
「イナっていうの」
「え? イナ?」
「雫をハングルにしたの」
「あ、ああ。そうかイナか」
「じゃあね」
「あ、ああ」
「ツー、ツー、ツー」
イナとは一言も話せなかった。沈黙だけが会話だった。
でも、あの沈黙はパパと話せて嬉しいという沈黙だった。
ぼくは今でもそう思っている。

途中から実話が恥ずかしくて、物語に変更しましたが。
話(論点)はズレました。
でも今回の落選を自分で回復させる行為に「物語を書く」行為があるのだと思います。

いつもぼくの記事を読んでくださる方々に厚く御礼を。
ありがとう。

スキはいつも通りにして(しないで)ください。

笑。

よし、書いて少し落ち込みが緩和された。
散歩でもして、また書こう!
みんなありがとう。




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