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ロードバイクのワイヤー点検にて自分の文章と今後の姿勢について思うこと。20230101sun178

午前中に散歩にでる。坂道をのぼるとチェーンからガリガリと音が聞こえて元旦から嫌な予感だ。そのまま坂を登ると上の神社から羽をもった子と母親が降りてきた。挨拶をする。

坂の途中で止まって、手でペダルをつかんでチェーンをまわし、昨年の秋に別府のサイクルショップまでいって修理してもらったワイヤーがゆるむ所を自ら点検をしながらどこが悪いかをさぐる。

応募し終えた作品を一般の読者に立って読み直してみると、物語のなかで魔王(聖)の本性はいつまでたっても規定されない。百歩譲ってそれを次回への引きと考えても筆者は物語で描かれるべき闇を隠している。書きかけの小説もそうだ。物語で書かれるべき対象は一向に登場してこない。

老人夫婦が餅を乗せた木板を持って歩いてくる。頭を下げる。

冷たく乾いた正月の風が音を立て、しゃがみこんだ背中に吹きつける。あった。ブレーキのワイヤーを調整するナットが緩んでいる。それとワイヤーを簡易的にしめるクイックリリースレバーが上がっていた。部屋の壁に立てかけたときになにかの衝撃で緩んでしまったのかもしれない。チェーンが渇いている。部屋に戻ったら油を注ごう。

書くべきは他者。見て読んで書くしかない。あと社会。長野や富山で部屋にこもって九州とおなじ生活ではいけないかもしれない。長編プロットはそれで書き、住む場所はやはり実際に社会を見て自ら入りこめる場所が良い。

自分で自分を励まして、書きつづけて、攻めていかねば。

刺激が欲しい。美術館や博物館や芝居小屋や寄席にくりだせる場所がいい。三年間も九州のそれ自体が巨大な閉鎖病棟のような鄙びた片田舎に閉じこもっていて、一気に人の多い場所に移ると曝露反応が怖いが、ここや北陸や長野ではダメかもしれない。

やはり人は怖いが、人生は一度きりだ。

ロードバイクをまたぐ。風は強い。ペダルを踏まなくとも背中が押されて前へとすすむ。寺の前で方向転換をして風上へ漕ぎ始める。
(800文字)

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