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葉桜と北小前の鐘楼跡と河川敷と。20230402sun283

2636文字・35min

 NHKの朝ドラを見た。初回を見るのは2000(平成12)年4月3日(月)の「私の青空」以来だ。23年ぶりだ。
 当時の東京都中央卸市場、通称「築地市場」で劇団の借金を返済するためにせっせと氷作業員をしていた。時給は2000円。当時は若かったし重労働というよりもスポーツ感覚で楽しんで氷柱にノコギリを入れた。体脂肪率は6%ほどになって銭湯で会った劇団員に「うわ、その筋肉キモ」と言われた記憶がある。秋口に「ウチの準社員にならないか」とお誘いが来たが、借金に一区切りがついたので、辞退した。
 数年前、NHKの築地の氷のドキュメンタリーがあって同じ年に入った作業員が氷にノコギリを入れていたのを観た。諸せんぱいにイジられていたとっくりふとった彼だった。
 築地で体験したいろいろは、いまだぼくの脳裏に、鮮明な記憶としてのこる。茶屋と呼ばれる所では魚屋さんの冷蔵車が後ろづけされいて、砕氷や小さく切って氷を運ぶ。仕事が慣れるとターレーと呼ばれる市場特有の乗りものにのってブイブイと言わせる。青森出身のAさん。白血病だったYさん、中国残留孤児の孫だというKくん、茶屋で世話になったサーファーだったIさん(ある日、彼の愛車ハーレーでニケツさせてもらい江ノ島海岸までぶっ飛ばした)。大きな額に入れられたハスのアマチュア写真をぼくにプレゼントしてくれた事務員のおばちゃん(それはぼくが当時、歯科矯正で通ったお茶の水にある東京医科歯科大学附属病院の矯正外来の壁に飾ってあると思われる)。
 ぼくは職場が茶屋から第四売り場(倉庫から運ばれる氷柱を一時冷凍庫に入れたり氷柱を倒してノコギリで切る、砕氷機に氷柱を入れる作業)にコンバートになった。茶屋の場外市場側にある第一売り場の裏側にある売店で、毎朝ぼくはホットミルクを頼んでいた。最後のほうではぼくが「あたたかい牛乳」と言わないでも用意をして待っていてくれた中国人の少女がいた。彼女と言葉が通じぬ思いは歯がゆかった。
 職場を離れる最後の日にぼくは彼女の名前を教えてもらった。蔡碧藍(ツァイ・ピー・ラン)。ランは他の漢字だったかもしない。いまパソコンで中国の拼音で文字を打ってみると「蔡碧蓝」と人名がでたのでそれが名前だったのだろう。
「最後に、あの子の名前しか聞けなかったなあ」
 僕はいう。
「バカだなあ。築地は明日もあるんだぜ、蒼井が会いたきゃ、明日もここにくればいいじゃんか!」
 Kはぼくに言ったのを思いだす。いまでは豊洲市場になってしまったが。

部屋の奥から引っ張りだした(当時築地の事務所にあったのをもらった)

 上記は「私の青空」。
 内館牧子の脚本だった。当時の時代の流れ「シングルマザー」をモチーフにした物語だった。バブル後の「逆寝取られ妻」も「プロボクサーで煮えきらないダメンズ夫」もアッシーくんが流行ったあの時代にぴったり合っていた。
プロットは以下ウィキから、
青森県下北地方と東京都築地周辺を舞台にしている。
 物語のヒロイン「北山なずな」は、高校時代の先輩・村井健人と19歳で結婚する事になり、幸せの絶頂にいた。 しかし結婚式で婚約者の健人を別の女性に連れ去られてしまう。この騒動の後、なずなと健人の双方の家族が話し合い、2人がまだ入籍をしていなかった事もあり、 「この結婚はなかった事と思って諦めて欲しい」という事で話がおさまるはずであったが、なずなのお腹の中には健人の子供を宿している事が判明。その後、生まれた息子を「太陽(たいよう)」と名づけ、大切に育てていく。
 やがて築地で健人を見たという2人の証言から、健人の後を追い、息子をつれて上京し築地で働くことになった。

さて、朝ドラの話だ。

 事前にNHKのページを調べないで書くので不確かな情報、つまりぼくの偏った偏見のままにかく。
 八分おくれで見た。
「あ、広末涼子がでてる!」
 と思ったのが印象だった。それ以上のドラマのインパクトはなかった。
 個人的なことになるのだが、ぼくの世代(ミレニアム)のスーパーアイドルといえば広末涼子とあやや(松浦亜弥)だ。読者のなかには松田聖子の時代、ピンクレディーの時代、あるいはAKB48やモーニング娘。(原節子、吉永小百合)。など色々あるだろうが、それらは人それぞれの世代のマドンナ。ということで。

 主人公の子ども時代で、江戸末期か明治初期で男がちょんまげを結っていた。
 ぼくが書いているのは「ダメンズ男」と「排他的な農村文化」と「繁盛する料理店の慣習」が元になっている。
 テーマと重なるセリフが出たので、メモをとった。

この一話のプロット(八分以降だが)は

■広末涼子が微笑む(八分)

■主人公が道でコケる。
布団の上で寝たきり。
主人公は心臓が悪い?あるいは病弱(の設定)

■本家:酒宴にて
分家の男衆の会話
「あんな病弱で気弱な当主ではなぁ、おれらの頃はもう仕事の手伝いしとったわ」
本家妻
「ほざけ! お主ら分家が束になってかかろうが、本家の万太郎一人には叶わないのじゃ!」

■その現場を、万太郎は襖(障子)の隙間から見ている。

今回は、主人公の少年、万太郎は自分が病弱だと意識する=自分の死を直視する

☞好きに生きよう!
☞好きなこと(植物学者)に自分の人生を費やそう!

万太郎の人生の方向性を暗示させる初回だったわけだ。

 以下は、ぼくの間違った解釈かもしれないけれど、「私の青空」という脚本には内館牧子の一作家が書いた個性的な魅力を感じることができた。
 結婚式の日に、花嫁は白無垢(頭は文金高島田)姿で漁港の岬を走る。 
 当時のぼくはこれだけで、いい初回だなぁ! と唸った。

 以下「らんまん」をディスるわけではない。
 一昨日、ブラピの新作「アド・アストラ」を見て、ひさしぶりにがっかりした。海王星へ探索する宇宙SFだが筋は父との関係再起にゼンブリしている。セリフも、途中に起こるサブ事件も、複数の脚本家が出した案を「客にはこう受けるだろう」と想定された「安定感抜群のセリフ」「シーン」で固めている。観客を感動させるはずのセリフも爆発シーンも、あのブラピの演技までもが「観客さん、これで感動しますよね?!」というシーン満載で、ぼくは引いた。

 今日の朝ドラにはその「失敗系ハリウッド映画」のセリフで満載だった。

 生きている言葉、生きているシーン、生きている観客、生きる時代、それらがあって、生きている作り手がある。脚本がある。撮影陣があって、キャストがいる。税金が…。

 書きすぎか。


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