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【小説】いかれた僕のベイビー #33

 オレの問いかけに答えず潮音ちゃんは玄関へ向かおうとする。

「潮音ちゃん!待ってよ」

 腕を掴んで引き留め、壁際に追いやる。

「……離してください」

「ダメ、答えるまで離さない」

 困ったようにオレの顔を見上げる。

「……正直、自分でもよくわかりません。藤原さんの事が心配で、見た目を気にする余裕も無く家を出て来た事実は認めます。……ですが、イライラしていた理由は、自分でもほんとによくわからなくて、だから指摘されて自分でも驚いたというか……」

 今日のところは、まぁまだそんなもんだろうな。
 掴んでいた腕を離す。

「ん、ありがとう、ちゃんと答えてくれて。……帰る?駐車場まで一緒に行くよ」

「……………」

 潮音ちゃんは無言でその場に佇み、相変わらずの困り顔でじっとオレを見ている。

「なに、泊まってく?オレは大歓迎だけど」

「いえ、帰ります」

 慌ててオレに背を向け玄関で靴を履く。
 オレも靴を履いてそのまま一緒に潮音ちゃんの車が停めてある駐車場へ。

「潮音ちゃん、わざわざ来てくれてありがとね、マジで、嬉しかった」

「……いえ、私は、何も」

「じゃあ気を付けて帰って、家着いたらまた一言メッセージちょうだい。……また明日、今度こそ、おやすみ」

「はい、また明日、……おやすみなさい」

 律儀に一礼して潮音ちゃんは車を発進させた。
 車が見えなくなるまで見送ってから自分の部屋へ戻る。
 見慣れた部屋の至る所にさっきまでここにいた潮音ちゃんの痕跡をつい探してしまう。
 正直、何度かヤバかった。
 うっかり手が出そうになった。
 オレの事を好きになってくれるまで抱かないと誓ったのに。
 知ってると思うけど、オレはそんなに我慢強い男じゃないよ。

 だから、もっとオレの事意識して。
 オレの事で頭の中いっぱいにして。

 早く、オレの事、好きになってよ……。





 それからしばらくは進展もしなければ後退もなく、割と穏やかに日々が過ぎて行った。
 ありがたい事に仕事が順調なせいで潮音ちゃんとの事をあれこれ考えている余裕もあまりない。
 だけどその仕事のおかげでほぼ毎日会えるのだから特に焦りもしていなかったし気にもしていなかった。

 ……特に、気にしないで、いられたんだ、……しばらくは。



 状況がにわかに変わり始めたのはそれからまた少し時が経ってから。
 明らかに、オレじゃなくてもわかる程、潮音ちゃんの顔からますます表情が無くなり、それどころか時折疲れの色を滲ませるようになった。

「……潮音ちゃん、大丈夫?」

 今日は新曲のレコーディング。
 ギター録りをしながらブースの外に視線を向けると、いつもなら立ったまま録り終わるのを待ってくれている潮音ちゃんが、珍しく壁にもたれ掛かるようにして椅子に座っていた。
 ギター録りが終わってスタジオの外に出たところで潮音ちゃんを捕まえる。

「……あ、はい、大丈夫です」

 近くで見れば見る程顔色も悪い。

「いやどう見ても大丈夫じゃないよね?」

「すみません、……ちょっと風邪気味で、うつったら大変なので、あまり近寄らないでください」

 絶対嘘だし、そしてその嘘のつき方はズルい。

「それで潮音ちゃんが良くなるならいくらでもオレにうつしてよ」

「ボーカリストが何言ってるんですか、絶対ダメです」

 オレが一歩近付くと一歩遠ざかるので思わず手首を掴む、と、思いっきり腕を振り払われた。
 オレが悪いんだけど結構傷付く、……だけど、その時、袖から覗いた潮音ちゃんの手首に、赤いアザのようなものが一瞬見えた。

「ちょっと待って、今の何?」

 もう一度腕を掴んで袖を捲り上げる。

「ダメ!」

 潮音ちゃんは必死で抵抗するが、もう遅い。
 大人しくなった潮音ちゃんの両方の腕を確認する。
 潮音ちゃんの両手首には、どう見ても、……縛られたような痕があった。

「……向井さん?」

 沸々と怒りが込み上げてくる。

「……すみません、今は仕事中なので……」

「……もしかして、オレのせい?」

「…………」

 潮音ちゃんは何も答えない。
 オレが、あんな啖呵切ったせいか?
 彼女を救おうとして、逆に酷い目にあわせてしまったのか?それとも、ずっとこんな事され続けていたのか?
 何で今まで気付かなかったんだろう。
 ずっと、そばにいたのに……。



 その日の最終の仕事はオレ一人で深夜ラジオの生出演。出番を終えて深夜一時過ぎに局を後にする。
 レコーディングスタジオでのオレとのやりとりの後、気丈に仕事をこなし、今も車で送っていくと言って聞かない潮音ちゃんに根負けして後部座席に乗り込む。
 何か会話をした方が良いのだろうけど、どうにも言葉が出て来ない。聞きたい事はいっぱいあるのに、とてもじゃないが、今は何も話せる雰囲気ではない。
 そうこうしているうちに、オレのマンションはもうすぐそこだ、……だけど、

「潮音ちゃん!信号赤!!」

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