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【小説】いかれた僕のベイビー #39

 潮音ちゃんもそう言っていた。本当に全部わかった上でずっと受け入れ続けていたのか。

「潮音が大人しくて人見知りで引っ込み思案な性格に育ったのは全部あいつの母親と俺のせいだよ、あいつの母親が甥の俺を可愛がって褒めちぎって、それに比べて自分の娘は駄目な子供だと言う。子供心におかしいと思いつつもそれで潮音が俺を尊敬の眼差しで見て俺を頼りにしてくれるのが、自分が必要とされている事が嬉しかった。ガキの頃はそんな子供のエゴで済んでたんだよ。……それが、中高生ともなれば、そうもいかなくなる。そもそも俺はガキの頃は本当に素直な良い子のお手本みたいな子供だった。そんな自分に少しずつ違和感感じはじめて、それがピークに達したのが、中学卒業する頃。潮音が中学受験失敗して、親に見放されて俺しか頼れなくて、そんなあいつを見てると加虐心と征服欲が満たされる事に異様な快感を覚えた。高校生になっても学校でも家庭でも俺は良い生徒、良い子を求められて演じ続けて、一回ヤッただけで彼女面してくる女にもうんざりして、表には出さなかったけど、心の中は相当荒れてた。……そういう頃だよ、潮音に手、出したのは」

 事前に潮音ちゃんから聞いておいて良かった。今のところ、補足と答え合わせで済んでいるが、これを全て向井さんの口から初めて聞かされたら、殴りかかっていたかもしれない。

「俺の予想通り、潮音は誰にも言わないし俺に変な期待はしないけど忠実だし、性欲と征服欲を完璧に満たしてくれた。……最低だろ?」

 オレが何も言えずにいると、向井さんが続ける。

「まぁ、こんな話おまえは聞きたくないだろうけど、こんな事もう二度と、おまえ以外誰に話す気はないから、もうちょっとだけ我慢して聞けよ」

 そう言うと向井さんは立ち上がって冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、一本をオレに渡してくれてた。

「大人になって多少自由になってもあいつを手放さなかったのも、ずっと同じ理由だよ。誰よりも都合が良かった。他の男とも好きにヤレって言っても、あいつがそんな事するわけないってわかってて、結局俺のとこに戻って来る事に優越感もあった。おまえに牽制したのもそんな感じ」

 言ってる事も、実際に潮音ちゃんにしてきた行為も全部最低なんだけど、何だろう、何か違和感というか、言葉の端々に見え隠れする潮音ちゃんに対する思いと表情が、何か違うような気がする。

「……向井さんは、本当に潮音ちゃんに対して特別な感情は無かったんですか?」

 それを知って、今更どうにかなるわけではないが、聞かずにはいられなかった。

「……さぁな、まともに考えた事もないよ。……フジは、俺と潮音の育った環境知らないからそんな発想も出来るのかもな。俺らの親、特に母親二人はそんな事絶対に許さない。オレと潮音がずっとそんな関係だったなんて知ったら、マジで発狂するだろうな。……今だって、俺の謹慎と活動休止聞いてからずっと泣いてるし、そうかと思えば、どう考えても俺が悪いのに相手の女が悪い、会わせろってヒステリックに喚いて収拾つかないし。……けど、そうやって、全部親のせいにして、何一つ自分から変わろうとしなかったツケが一気に回って来たんだよな。……潮音の事だって、愛してもやれないのにカラダだけ求めて、そうだな、いっそあいつを好きだと思えたら、その方が楽だったかもな……」

 切なげに、潮音ちゃんと同じ事を言う。
 くだらないとわかっていても嫉妬してしまう。
 それに、二人とも全く自覚していないようだけど、オレから見てお互いに相手の事をちゃんと理解して、もっと深いところでとても大切に想い合っているように思える。
 そりゃそうだよな、二人は潮音ちゃんが生まれた時からずっと一緒にいたんだ……。

「だけど、今回の事はさすがに俺も反省しないといけないし、……潮音との関係も、もうやめる」

 そう言って新しい煙草に火をつける向井さんの表情は、どこか寂しそうだ。

「……なぁフジ、おまえ、本気で潮音の事好き?」

 オレを見る事なく唐突にそう聞いてきた。
 その質問に、オレははっきりと答える。

「はい」

「あいつ、最近表情豊かになってきたよな、って言っても普通に笑ったり怒ったりとかじゃないけど、考えてる事が顔に出やすくなった、……多分、おまえの影響だよな。俺は精神的に支配する事でしかあいつを救ってやれなかった。けど、おまえは俺とは違う。……俺にどうこう言われたくないだろうからこれ以上は言わないけど、おまえの、思うようにすればいいよ」

 遠い目をして、力無く笑うその表情は、それでもどこか慈愛に満ちていて、大切な人を思い浮かべているかのようで、胸が苦しくなる。
 愛し方を間違いさえしなければ、もっといろんな事が上手くいったのかもしれない。
 今にして思えば、オレも優菜に過剰な愛を一方的に押し付けていたような気がする。そしてそれは今なお潮音ちゃんに対しても。
 離れて見れば簡単にわかるような事でも渦中にいれば気付くことすら出来ない。
 ましてや、潮音ちゃんと向井さんはオレに関係を知られるまで、誰にも介入される事なく完全に二人だけの世界で秘密を共有し、無自覚に共依存してきた。
 それでも、この先それぞれが自分の足で立って、相手の幸せを願い、自らも幸せになりたいと願うなら、これ以上一緒にいてはいけないんだ。
 だから、……これからは、

「オレが、潮音ちゃんの側にいます、……ずっと」




 その後もう少しだけ他愛もない話をしてから向井さんがタクシーを呼んでくれ、マンションを後にするため玄関で靴を履く。

「フジ、いろいろ悪かったな。……今日来てくれて、話せて良かったよ」

 背中越しに掛けられた声に振り返ってみると、ここ最近の一連の出来事でだいぶ弱ってはいるけれど、それでもオレがずっと憧れていた優しい先輩の姿がそこにはあった。

「……いえ、オレも話が出来て良かったです。……それと、」

「ん?」

「……またいつか、オレたちと対バンしてください」

 向井さんが驚きの表情を浮かべる。

「……あぁ、次はおまえらのライブにうちのバンド呼んでくれよ……」



 その時までに、オレたちはもっと大きなバンドになって胸を張って、もう一度、憧れの人と同じステージに立つんだ……。





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