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【小説】いかれた僕のベイビー #36
「はい。……幼い頃は、憧れのような感情はありましたが、異性として、特別な感情は一度も抱いた事はありません。……むしろ、そう思えた方が楽だったのかもしれませんが」
「それは、多分もっと辛かったと思うよ」
それに、そんなのオレが嫌だ。
「そうですかね、……どっちにしても、私にはやっぱり、人を好きになる気持ちや基準がいまいちよくわかりません」
「本当に一度も恋した事ないの?」
「はい、……ただ、高校生の時、一度だけ同級生の男の子に告白された経験はありまして……」
自分で聞いておきながらちょっとムッとしてしまう。オレも高校生の頃の潮音ちゃんに好きって言いたかった。
「真面目な人だったので揶揄われているといった感じでもなかったから、真剣に考えようとは思ったのですが、……考えれば考える程わからなくなって、それに、高校生とはいえ、付き合った先の事を考えると、昭仁さんとの関係を知られる事も、説明して理解してもらう事も無理だなと思ったら、もうお断りする以外の選択肢はありませんでした」
「……そっか」
大人でもカラダだけの関係に理解のある人なんてきっと一握りだ。高校生なら、尚更だよな。
「だから、その後も恋をする事を諦めてたんだね」
「……はい」
「潮音ちゃんはさ、出来るものなら、恋をしたいと思う?」
「それは、……出来るものなら。でも、先程も言ったように、昭仁さんとの事がある限りは、難しいです。今後、もし昭仁さんとの関係が解消されたとしても、あの人は身内ですから一生縁は切れないし、無かったことには出来ません。隠して付き合っていく事も、きっと私には出来ないでしょうし、何よりこんな私を受け入れて好きになってくれる人なんているわけな……、」
そう言いかけてはっとし、オレの様子を窺うように横目でチラッと見てくる。
「あ、良かった、気付いてくれた。そこスルーされたらどうしようかと思ったよ、さすがに傷付くわ」
「いや、あの……」
慌てた様子で繋いだままだった手を離そうとしたので逃すまいとオレは指に力を込める。
「ね?だからもう、……オレにしときなよ」
潮音ちゃんは相変わらず困った顔をする。
まだ、ダメか。
「……あの、どうして、そんなに思ってくれるんですか?」
「それは前に言ったと思うけど?」
「そうですけど、嫌じゃないんですか?私と昭仁さんの事……」
「嫌だよ、決まってるじゃん。だからやめさせたい。だけど、そこはオレが潮音ちゃんを好きな気持ちとは関係ないよ」
「どうして?普通嫌でしょ、こんなカラダだけの関係断ち切れない女なんて……」
「……あのさ、潮音ちゃん、出会った頃のオレの事もう忘れてる?それならそれで良いんだけど、カラダだけの関係で言えば、潮音ちゃんよりオレの方がよっぽど酷かったよ?」
本気で忘れてくれていたのか、潮音ちゃんは驚きの表情をまったく隠せていない。
「潮音ちゃんにどうこう言う資格は本当はオレには無いし、逆に理解だって少しは出来る。だからそんな理由で潮音ちゃんを嫌いになったりしないし、潮音ちゃんの事を好きになったのだって向井さんとの関係を知った後だよ?オレが潮音ちゃんのタイプかどうかは別として、潮音ちゃんが恋をするのにネックになっている部分、オレなら全部クリアしてると思うんだけどなぁ」
「……それは」
「まぁでも一番大事なのは潮音ちゃんの気持ちだから、こんな無理矢理誘導するようなやり方卑怯だよね。……オレの事好きになってくれるのはゆっくりで良いから、今はまず、本気で向井さんとの関係を解消出来るように、何か手を考えよう?」
繋いだままの手にゆっくりと力が込められる。
「………はい」
オレが間に入ったとして、今すぐどうにか出来るわけじゃない。
それどころか、オレの浅はかな言動のせいでさらに酷い目にあわせてしまった。これ以上心にも体にも傷を増やして欲しくない。
潮音ちゃんと出会って、向井さんとの関係を知ってからこれまで、何度か差し伸べた手はいつも振り払われてきた。
だけど、今日ついに彼女は自らオレの手を握り返してくれた。
潮音ちゃんが本気で現状を変えたいと思うのなら、些細なようで何より大きな一歩だ。
目の前で潮音ちゃんを連れて行かれたあの日、この手を離してしまった事をずっと後悔していた。
今度こそもう、繋いだこの手は絶対に離さない。
「……ねぇ、潮音ちゃん、前にオレの静止を振り切って向井さんの車に乗る前、あの時さ、オレに何を言おうしたの?」
眼鏡の下の目を大きく見開く。
「もう、覚えてない?」
「……いえ、むしろ、覚えていてくれたんですね」
「……うん」
あの日の事は何一つ、忘れられるわけないよ。
「……あの時言いかけた言葉は、昭仁さんの邪魔が入らなくても結局言えなかったような気がします、……でも今なら……」
潮音ちゃんはまた真っ直ぐオレを見てくれる。
「藤原さん、……私、変わりたいです」
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