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【小説】いかれた僕のベイビー #26

「……何ですか」

 事務所内の人があまり来ない一室で向井さんと二人きりになる。事務所内の人があまり来ない一室なんて、オレも向井さんも恐らくはここしか知らない。
 ここは、向井さんと潮音ちゃんがセックスしていた例の場所だ。
 なんでこんなとこにまたこの人と来ないといけないんだよ。

「そんな怖い顔すんなよ、おまえちょっと前までは俺の顔見るたび尻尾振り回してついてくるかわいい後輩だったのになぁ」

「……そういうのいいですから、向井さん時間無いんでしょ?オレに用があるならさっさと……」

「せっかちだな。まぁいーけど、……フジ、おまえさぁ潮音の事好きなの?」

 やっぱり、それか。

「おまえダダ漏れなんだよ、大阪のライブの日も、この前も、ずっと潮音の事物欲しそうな目で見てたしな。まだ手ぇ出してないんだって?さっさとヤレばいいのに」

 そう言って向井さんは笑う。
 あんたが、それを言うのか?

「前も言ったけど、別に潮音はオレの物じゃないし、あいつとヤリたいならヤレばいいよ。……けどな、オレの邪魔はするな」

 向井さんから笑顔が消える。

「オレがヤリたい時に後回しにされんのはすげぇムカつくんだよ。それさえ守ってくれたら何も言わねぇよ。じゃオレの話はそれだけ」

 笑顔に戻った向井さんが部屋を出て行こうとする。
 頭の中がいろんな感情でぐちゃぐちゃだ。
 ……だけど、

『逃げたらダメなタイミングはきっと来るから、その時はちゃんと立ち向かえ……』

 杉浦の言葉を思い出す。
 今が、その時だろ。

「……オレは、」

 向井さんがドアノブに手をかける寸前、オレは絞り出すように声を出す。

「潮音ちゃんだけは、抱かない」

 向井さんが無言でオレを一瞥する。

「……今はまだ、どう考えても、潮音ちゃんの中ではオレより向井さんの存在の方が遥かにデカい。それが、どんな種類の感情であっても。……だから、そんな潮音ちゃんを抱く気はありません、…………今は、まだ」

「……今は、ね」

「正直、いろいろ迷ってました。オレが変わるか、潮音ちゃんが変わるか、……もしくは向井さんが変わるか、そんな事も、もしかしたらあるのかもと。だけどきっとあなたは変わらない。……ならオレはもう遠慮しません。向井さんの言う通り、オレは潮音ちゃんの事が好きです。……それでいつか、潮音ちゃんもオレの事を好きになってくれたら、その時は、オレは潮音ちゃんを抱く。もう向井さんには指一本触れさせない」

 向井さんの目を真っ直ぐ見据えてオレは一気に捲し立てた。そんなオレを相変わらず冷めた目で見ている。

「………やれるもんならやってみろ。……じゃあな」

 オレの言葉に眉一つ動かす事なく、余裕の表情で薄ら笑いさえ浮かべて向井さんは出て行った。

 ……やってやるよ。
 オレは、あんたを超えてみせる。



「潮音ちゃーん、お昼食べよー」

 ある日はそう言って当たり前のように潮音ちゃんの隣に座る。

「潮音ちゃんの美味しそうだね、ちょっとちょうだい」

 そして当たり前のように潮音ちゃんが食べている物を彼女の手から奪って一口食べる。

「ねー潮音ちゃん、今度の遠征先の近くに面白そうなとこあるよ、時間あったら二人で行こう」

 ある日はスマホを見ながら仕事の空き時間のデートプランを考える。

「潮音ちゃん、この店のソフトクリーム美味しいらしいよ、一緒に食べに行こう」

 ある日は潮音ちゃんの好物で釣ろうとする。

「潮音ちゃん、今日飲みに行こうよ、二人で」

 ある時はみんなの見ている前で堂々と誘う。

「……行きません」

 そしていつも当たり前のように断られる。

「……フジくん、どうしたの?」

 そんなオレをアミちゃんが呆れた顔で見ていた。

「んー?何が?」

「……何って、や、別にいいんだけど、え、いや良くもないのかな?……もうよくわかんない。……ただ、もう大丈夫なの?」

 オレの急な変わりように困惑しているアミちゃんの言葉はめちゃくちゃだったけど、言いたい事はわかる。

「どうだろうね、まだ正直わかんない。ここまで来るのに葛藤はあったし、まぁまぁ苦しい思いもしたし、この先だってどうなるかわかんないし、……でも、自分の気持ち素直に認めたら、少しは楽になったよ」

「……そう、なんだ。でもだからって急に変わり過ぎだよ。潮音ちゃんの事気になってるのかなぁとは前から思ってたけど」

「あれ、やっぱアミちゃんも気付いてた?オレってそんなわかりやすい?」

「うん。もうどう見ても完全に好きな子にちょっかいかけたい小学生男子のアレで、どうしたいのかなぁって」

 オレの恋愛スキル、他人の評価は高校生どころか小学生レベルかよ。

「でもフジくんは、昔の事もあるし、そんなに簡単にはいかないかなって、思ってたんだけど、潮音ちゃんの事好きって、ちゃんと認められたんだね」

「うん。まぁ、アミちゃんがオレの変化にいち早く気が付いて杉浦寄越してくれたおかげもあるかな。あいつにいろいろ聞いてもらってたから割と大丈夫だったのかも。……ありがとねアミちゃん」

「あたしは何もしてないよ。それに、フジくんがまた人を好きになれて、それがあたしも大好きな潮音ちゃんなのはすごく嬉しいし、……でも、事務所的には、どうなの?川西さん」

 そう言ってオレたちから少し離れたところにいたチーフマネージャーの川西さんに話を振る。

「どうだろうな。うちの事務所でも前例がないから俺もよくわからん。……けど、俺個人としては、良いと思うよ」

 川西さんもずっとオレを心配して見守ってくれていた、オレにとって本当に大きな存在だ。

「マジ?やったー、とりあえず川西さんのオッケー貰えたら一安心だな」

「けどあくまで前と比べたら今の方が良いって事だからな!あんま舐めた事してるとさすがに俺もいろいろ考えるぞ。……おまえ一人の問題じゃないんだ」

「わかってますよ。ちゃんと真剣に考えてるから……」



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