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【小説】いかれた僕のベイビー #35

 潮音ちゃんが落ち着きを取り戻すまでオレはずっと彼女の背中を摩っていた。
 そして二人でソファに少し間を開けて座ったまま潮音ちゃんは二度大きく息を吐き、ゆっくりと話し始めた。

「……私と昭仁あきひとさ、……向井さんとは母親同士が姉妹の従兄妹で、」

「……別に気にしなくていいよ、名前もいつも通りの呼び方で」

「……はい。……お互いの母親が珍しいくらい仲の良い姉妹で、私が生まれる前からずっと近所に住んでいるので、お互いひとりっ子の私と三歳年上の昭仁さんは兄妹のように育ちました。それこそ小さい頃は本当の兄だと思っていた位、ずっと一緒でした。小さい頃から人見知りで、人と関わるのが苦手な私とは対照的に、昭仁さんは近所でも、小学校でも明るくて人気者で、いつも周りに自然と人が集まってくる、そんな人でした。……今と、同じように」

 ひと息ついてビールを一口飲む。
 潮音ちゃんとの事を知るまでは、向井さん対してオレもずっとそんな印象を持っていた。

「子供の頃は、私にとっても本当に良いお兄ちゃんといった感じで、私の内気な性格にもめんどくさがる事なく付き合ってくれて、いつも気に掛けてくれてて、……怖い、と思うような事もまったく無かったんです。……それが、少しずつ変わってきたのが、昭仁さんが通っていた中高一貫の中学受験に、私が失敗してから……」

 潮音ちゃんの声が僅かに震え始めた。

「昭仁さんは私が不合格だった事を知ってもむしろ心配してくれて、当時は特に何も無かったんですが、私の、母親は、酷く落胆して、その頃から私に対する態度が、明らかに変わって行きました。……それで、見かねた昭仁さんが高校は絶対第一希望のところに合格出来るようにと、自ら私の勉強を見てくれるようになって、私の母親も、昭仁さんには絶大な信頼を寄せていたので喜んで、……それから私の事は昭仁さんに任せっきりになりました。とにかく昭仁さんの言う事は何でも聞きなさい、と、そうしたらもう、こんな恥ずかしい思いする事もないから、と……」

 膝の上で爪が手のひらに食い込むほど固く握られた手を取り指を絡める。少し驚いた様子だけど嫌がる素振りも無く、手を繋いだまま、潮音ちゃんは話を続けた。

「昭仁さんも高校生になって忙しいはずなのに、文句一つ言わずずっと私に付き合ってくれていて、……私も、当時は誰よりも信頼していました、勉強も、その他の日常生活も、昭仁さんの言うことを聞いていればなんとかなると、今思えば、完全に支配されていたんです。……昭仁さんの様子が変わり始めたのは、私が中学二年の頃、当時もう昭仁さんはバンドを始めていて、今のメンバーとは違うのですが、当時のメンバーと一緒にいるようになってから時々、両親や他の人の前ではいつも通りなんですが、私の前でだけ言葉や態度がきつくなる時があったり、そうかと思えばやたらとスキンシップが増えたり、……少し変だなと思いながらもあまり気にはしていませんてました。……それで、中二の夏休み、父親は仕事で、お互いの母親は一緒に出掛けていて、家には私と昭仁さん二人だけでしたが、以前からよくあった事なので特に気にする事なくそれまで通り朝から勉強を見てもらって、……少し、休憩しようと言われ、ベッドに座るよう促され、……何も疑う事なく座ったら、いきなり服を脱がされ押し倒されて、……何をされているのかはわかっても、自分がどうしてこんな事をされるのかはまったく理解出来ず、その時初めて昭仁さんが怖くなって、なんの抵抗も出来ないまま、……そのまま、最後まで……」

 なんだよそれ、……完全に、レイプだろ。

「……どうしてあんな事をしたのか、理由なんて教えてもらえるわけもなく、それどころかその後は何事も無かったかのように普通に接してきました。両親の前ではもちろん、私と二人きりの時でも。……それからしばらくは何もされなくて、ならもう忘れようと思った頃に、また……、二度目はさすがに拒否しないとと思って抵抗したら、その時もこんな風に、……縛られて……」

 そう言って痛々しい自分の手首を気にする。

「……二度目でもう悟りました。もう、逃げられないと。両親にも誰にも相談出来るわけなくて、例え両親に言ったとしても、私と昭仁さんの言うことなら、皆間違いなく昭仁さんを信用するから。……それに、高校受験を前に昭仁さんに逆らったら私は絶対また受験に失敗する、そう思い込んでいたから、いいなりになるしかなかった。……そういうの、全部わかってたんだと思います。小さい頃から昭仁さんの絶対的な支配下の元で育ったので。……それから、高校には無事受かったのですが、だからといってそれまでの事がなくなるわけもなく、その後もずっと、今でも関係は変わる事なく続いてしまっています……」

「……十代の頃はともかく、大人になってから、逃げる事は考えなかったの?」

「……恥ずかしながら、藤原さんに関係を知られるまで、そういう発想すらありませんでした。身内なので、逃げられるわけ無い、昭仁さんが私に興味を失くすまで、ずっとこのまま続くものだと、思い込んでいました」

 潮音ちゃんは本来地頭は良いし感も鋭いので仕事もそつなくこなす。それなのにそんな発想すらなかったという事は、身も心も完全に支配されていたんだな。

「……潮音ちゃん、確認しておきたいんだけど、潮音ちゃんは、……向井さんに対して、恋愛感情は無いんだよね?」


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