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【小説】いかれた僕のベイビー #34

「………!!」

 オレの叫び声にはっとして潮音ちゃんが急ブレーキを踏み車が急停止する。

「すみません!」

「大丈夫だから、落ち着いて」

 深夜なので交通量も少なく、横断歩道を渡ろうとしていた歩行者もいなかったので事なきを得た。
 それでも潮音ちゃんの震えは止まらない。

「運転代わるから」

 幸い後続車もないのでそのまま潮音ちゃんに助手席に移動してもらい、運転席に座るとオレは何事もなかったかのように車を走らせた。

 そしてオレのマンション近くのコインパーキングに車を停車させる。

「……あの、」

 助手席に座る潮音ちゃんを見るとまだ震えている。

「ちょっとうちで休んで行って」

「……いえ、大丈夫です」

「大丈夫なわけないでしょ、いいからおいで」

 オレがそう声を掛けると、潮音ちゃんの両眼から涙が溢れ落ちた。

「……ごめんなさい、危険な目にあわせてしまって、……マネージャー失格です」

「そんな事ないから」

 埒があかないな、この手は正直使いたくなかったんだけど、致し方ない。

「……潮音ちゃん」

 運転席から助手席側に身を乗り出し、泣き止まない潮音ちゃんをそっと抱き締める。

「落ち着いて、泣き止むまで離さないからね」

 震えは止まったっぽいけど、今度は完全に固まってしまっている。きっと凄い顔してるんだろうなぁ、見たけど、離したくない。

「……あの、涙、止まりました……」

「……え〜?ほんとかなぁ」

「本当です、……だから、もう離してください」

 オレの腕の中から必死で逃れようとする潮音ちゃんの顔を覗き込む。

「ん、ほんとだ。……じゃオレの部屋行こうか」

「……いえ、あの、やっぱり帰ります」

「帰らせないよ!」

 つい声を荒げてしまう。
 いつも冷静沈着な潮音ちゃんが、通常ならあり得ないようなミスを犯し、こんなにも取り乱してしまう原因はもうわかっているんだ。
 このままにしておけるわけがない。

「潮音ちゃん、前にオレに、一人でなんとかしようとしないで頼ってって、言ってくれたよね?……潮音ちゃんこそ、一人で抱え込まないで、オレを頼ってよ」



「今日、向井さんは?」

 冷蔵庫から缶ビールを取り出しながらソファに座っている潮音ちゃんに問い掛ける。

「……今日は、確か新譜のプロモーションで福岡です」

「そっか、じゃ呼び出される心配はないね」

 オレたちのマネージャーなのに向井さんの予定まで把握しているのは若干気に入らないが、今更そんな事気にしてもしょうがない。

「今日は潮音ちゃんも飲むよね?あ、先にシャワー浴びる?着替えもオレので良かったら貸すし」

「え?いえ、……あの、少し休んだら、帰ります……」

「帰らせないって言ったでしょ、潮音ちゃん一人暮らしだよね?こんな状態で一人に出来ないよ。それに明日はちょうどオフだし」

「でも、さすがに、そんな長居するわけには……」

「オレがここに居てって言ってるの。……何もしないから、言ったでしょ?オレの事好きになってくれるまで絶対手は出しません」

 両手を上げてアピールする。

「……でも、さっき……」

「さっき?」

「……車の中で、」

「あぁ、あれはしょうがないでしょ。あーでもしないと潮音ちゃん絶対泣き止まなかったし」

「……そんな事は、」

「まぁ、いいから、シャワー使いたかったら好きに使ってくれたらいいし、とりあえず飲もう。あ、潮音ちゃんはグラスで飲んでね、話終わる前にまた酔っ払って寝ちゃったら困るし」

 オレの余計な一言にちょっとムッとしている。
 また怒らせちゃったけど、それでも潮音ちゃんに少し表情が戻ってきたから良しとしよう。


 小さめのグラスにビールを注いであげて、オレはその残りを缶のまま飲む。
 ソファに座ったままテーブルに置かれたグラスに手を伸ばした時、また潮音ちゃんの手首の傷痕が目に入ってしまった。

「……その手首、手当てとかしなくて大丈夫なの?」

「あ、はい、大丈夫です。……痛みとかはそんなに無いので」

「……そう。……いつも、こんな事されてるの?」

「頻繁にという事は無かったんですが、以前から時々は、……ですが最近は、ちょっと、多くなってて……」

「……やっぱり、オレのせい?」

「……そんな事はない、と言いたいところですが、正直私にもわかりません。……多分、今いろんな事が重なってるんだと思います。……ここだけの話ですけど、バンド内でも今ちょっと揉めているようで、レーベル側からの要望も、意見が合わなかったり、プライベートの交友関係も、……そういうのの、捌け口なんです、私は、ずっと」

 なんだよ、それ。

「ずっと、って、……どのくらい?」

「………十四歳、の頃から」

 潮音ちゃんはオレの一つ年上だから今は二十五歳、十一年もの間、ずっとこんな扱いを受けていたのか。

「ごめん、嫌なこと、言わせて」

「……大丈夫、です」

 想像していた以上に、深刻だな。
 オレの手におえるのか?正直、何の力にもなれないかもしれない。
 だけど、オレが諦めたら、潮音ちゃんは一生このままかもしれないんだ。
 それだけは、絶対に阻止しないといけない。

「ねぇ潮音ちゃん、オレ前に潮音ちゃんが自分から話しても良いって思えるまで待つって言ったけど、ごめん、もうこれ以上待てない。教えてくれる?なんでこんなことになったのか、どうして、今もこんな関係続けてるのか、潮音ちゃんの事、ちゃんと知りたい。……それで、もし潮音ちゃんが変わりたいと願うなら、オレが絶対、キミの力になるから」

 静かにオレの言葉を聞いてくれていた潮音ちゃんの両眼にみるみる涙が溢れてくる。

「潮音ちゃん、やっぱり言いたくない?どうしても無理なら、仕方ないけど……」

 堪らず彼女の隣に座って背中を摩る。

「……違うんです」

 絞り出すようにそう言った。

「……私、今まで誰にも言えなくて、相談できる人なんていなくて、ずっとこのままで、一生好きな人も出来ないのかなって、……ずっと苦しくて。……初めてこんなふうに手を差し伸べて貰えた事が、嬉しくて、……だから、」

 震える手でオレのシャツの裾をギュっと握り締めてくる。

「……聞いて、貰えますか?……私の話……」


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