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その人がその人でいること ―存在と経験の価値― / 「イヤシノウタ」 吉本ばななさん

吉本ばななさん「イヤシノウタ」から。
――わたしもわたしの書いたものも、誰のことをも癒すことはできない。
ただ、その人の中に埋まっている、その人だけの癒しのコードに触れて、活気づけることはできる。
自分の足で歩む力を奮い立たせることはできるかもしれない。
わたしにできるたったひとつのことは、そのことだ。――

ああ、ばななさんの言葉だ、あのまっすぐで、純粋なふくらみのある言葉たちだと、心にじんわり、懐かしい感覚がよみがえってきました。

10代、20代の頃は、吉本ばななさんの作品をよく読みました。
その後、(当初、父娘関係は知らずに)吉本隆明さんの作品と出会い強い衝撃を受けて、次第に隆明さんの方へ関心が移り、もっぱら隆明さんの作品を読むことの方が多くなっていったのですが。

とはいっても、わたしにとって吉本隆明さんの作品はとても難解!
しかし、なぜか惹かれる。ならば遅読で読み進めるしかない。根気強く、奮闘しております~(笑)。

なので、久しぶりにばななさんの作品「イヤシノウタ」を拝読。
「父・吉本隆明との対談を収録」の文字に思わず手に取った、という経緯もありますが(ごめんなさい~)、ばななさんの言葉たち、その世界観にふたたび触れて、感慨深いものを感じました。じーんと。

ばななさんのまなざしは、やさしく、あたたかく、澄んだ透明感があり、ありふれた日常生活の奇跡を発見してくれる。こうした鋭敏な感性は天賦の才なのでしょうね。

また、吉本隆明さんとの対談、隆明さんの最期についての述懐など、読み手自身の生き方、在り方を照らし返す、問い返すような内省、内観を促されました。
エッセイ「イヤシノウタ」を中心に、吉本ばななさんの作品をご紹介したいと思います。

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たましいの色 -その人がその人であること

最初に出会ったばななさんの作品は「アムリタ」。
敏感な多感期に読んだ、新しい世界に眼が開き、そこに飛び込んでいくような、鮮やかな感覚。なんでしょうね。

ばななさんの言う「自分の持って生まれた色、たましいの色」に、まだ自分で把握できず、周囲との差異的、変質的なものに戸惑い、この内なる秘めた力、エネルギーをどう扱えばいいのかわからず、持て余している状態。
その時期の、貴重な出会いだったのでしょう。

この作品で、真っ先に思い出す場面は、主人公のおじいちゃんのお話。95歳で大往生した、側にいる人をなんとなく元気にするような明るく、魅力的な人。
おじいちゃんから教わったという「人生の秘伝」、チェックポイントを主人公のお母さんが伝える場面。

この秘伝とは、とてもシンプルなもの。
わたしは、この秘伝を伝えるセリフを何度も読み返し、声に出して朗読したと思う。
物語の「セリフ」とは不思議なもので、エッセイで端的に要約された言葉よりも、感覚的に伝わっていく。
日常に浸透していく言葉たちの力。やはり、言葉は生き物――パワフルで、魔力的。

――どんな意味? アムリタって。
――神様が飲む水っていう意味なんだ。
生きていくってことは、ごくごくと水を飲むようなものだって、そう思ったんだ、なんとなく。

こういう言葉を、内容を、自然にさらっと伝えることができる関係性って、素敵だなと思いました。

結局、「自分にうそをつかない」こと。自分自身との関係に、うそがないこと。
ばななさんの、「自分のたましいの色を生きる、発揮する」という一貫した人生哲学が、ストレートに表れている作品と思います。

また、後半に登場する「きしめん」という女性がとても魅力的で、彼女のようになりたいと素直に願望を抱いたことを思い出して――なんか照れますね。。初々しくて、切ないほど素の感情は、痛々しくも、まぶしくもあり。若かった。

「若さ」とは、失って気づくものですね(笑)。わからない力が、「若さ」なので。
10代、20代の、あの特有のエネルギーに満ちている世代に、エールを送りたいです。

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このエッセイの中でも、ばななさんの生き方に通底する価値観、人生観が、ばななさん自身の言葉で語られています。

――人にとって最も大切なものは、「心の自由」
個人の「幸福」は、個人にゆだねられるものであり、それぞれの能力を活かして助け合って生きていけばいい。
この世にある精妙な流れをつかみ、自己鍛錬によって、想像力と創造力の極みを見たい。人の内面は、自己鍛錬によってしか、「幸福」を感じられないようにできている。

ばななさんの言葉、文体から伝わってくる、あの独特のテンポが好きです。

エッセイを読んでいくと、ばななさんは、その人自身のもつ自然のテンポ――ものごとがいちばん自然な形で進んでいくテンポ、リズムを、とても大切にされていることがわかります。

「白河夜船」の章で、映画監督の若木さんの、自然体の佇まい、在り方を語られています。
――彼が彼でいる。若木くんが若木くんを毎日深めていく。
それだけのことで、たくさんの人が自分の良さにも気づく。
きつい現場で、彼まできつそうにしているのを見たことはない。悪口が飛び交っていても、彼はのんびり聞いている。

その人がその人でいるだけで、世界は展開していく。じわじわと変わっていく。
みんながそうなったら、己をつきつめたら、世界はどんなところになるのだろう、と。

ばななさんの鋭敏な眼と感性が捉えた、良き人物像の語りが好きですね。
また、息子さんとの日常のなにげないエピソード――「いつだって」「このときのために」も、好きです。
こんなしあわせの種を、芽を、開花のつぼみを、うっかり見逃してしまわないように。そんな気づきを与えてくれる。

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「にごり」と「自信」

ばななさんと隆明さんとの対談で、いちばん印象に残ったのは、「自信」についての語りです。

隆明さんは、作家としての「自信」の有無は、その作品に現れる――
自信がない場合は、すっきりしない、「にごり」が生じている感じがする、そして、それは作家自身が本当はわかっていることだ、と説明をされていました。

それは、隆明さん自身が、可能な限り「にごり」を排除し、その時々の徹底した自己省察、自己批判、自分の属する世界の認識、思索・思想を深化させていく努力を惜しまなかったから、わかること、指摘されることなのだろうと思いました。
作家として、一人の個人としての生きる姿勢としても、大切なこととして。

吉本隆明さんの著書「初期ノート」。

僕は一つの基底を持つ。基底にかへらう。

すべての思想体験の経路は、どんなつまらぬものでも、捨てるものでも秘匿すべきでもない。
もし、わたしに思想の方法があるとすれば、(中略)
わたしが、それを捨てずに包括してきた、ということのなかにある。

「わたしが、とにかく無二の時代的な思想の根拠をじぶんのなかに感ずる」
――思想の根拠を、自分の生きる現実で感得する。確乎たる「現実」そのものに。

「ときどきこの世で住むのはいやだと、痛切に泣きさけぶことがある。」
こうした現実生活での自分の内奥の声も、捨てることなく包括してきた、その思想体験すべてを踏まえた上での「自信」、ということでしょうか。

この対談の最後に、隆明さんは、ばななさんに向けて
「自分自身が自慢できる家庭を持っていること、それは天下一品であり、立派なこと。文句なしである。」
「それがいかに大切で、すばらしいことかというのは、僕ぐらい歳をとればわかりますよ。一生を生きるというのは、結局、そういうこと以外に何もないんだと思います。」と語られています。
きっと相手が独身の方なら、別の表現をされたと思いますね。

その人が、唯一の固有の人生を生き切ること――それは、他者には創れないもの。
自分の生きる「現実」の中で、自分にとって揺るがない確かなものを体現していく、表現していくということ、その「勇気」「自信」を言われたのかなと。

その体現の仕方は、人それぞれでいい。立派なことだ、とエールを届けていただいたようにも感じました。

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交換不可の価値

今現在、お金を一つの判断基準として、人々の様々な営為を相対化する思考傾向が強いと感じます。

こうした「費用対効果」思考の傾向は仕方がないとしても、
主婦の仕事量を、自給に換算する、
家庭をつくり子どもをつくること、この労力を養育、教育にかかる生活全般費用に換算する、

一律の換算式で相対化して評価し、ムダなことと観念で切り捨てていいものなのか、「真価」とは何だろうか、と違和感を覚えてしまいます。。

だれか一人の人と出会い、その人を心底に好きになること、
自分の子どもを産むこと――その存在の誕生と、よろこびと苦しみの経験は、他の何ものにも交換できない、代替不可の価値です。

かけがえのない大切な人と、その生きる時間を、その出来事を共有する。
今、ここの瞬間で生まれる「よろこび」は、創造力の発点。

「スマート」さが求められる時代ですが、時には、賢くない選択も許す、認めてみるのもいいのではないでしょうか。

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最期を看取ること

エッセイの「神の声」の章で、父・隆明さんの最期の姿、死に方について、ばななさんご自身の想いを綴られていました。
この述懐を読んでいると、わたし自身の母の最期に対する想いも重ってきて、涙・涙――。

その時に、隆明さんが別の対談集で「死に方」について語られていた言葉を思い出して、自分なりに「最期」について考察もしたのですが、また長くなりますのでやめておきます。。

ばななさんのいう、「その人がその人でいること」
吉本隆明さんが、吉本隆明さんでいる――そのコミットの強さ・深さで、周囲の人々や、社会に多大な影響を与えた、偉大な方。

ばななさんの作品「アムリタ」の、おじいちゃんの秘伝。
この作品に勇気づけられていたのだと、改めて思いました。
秘伝を地道に続けて、内奥にある「うそ」「にごり」に気づく。
隆明さんがいうように、そこを誤魔化さずに、捨てることなく包括していけるように。

ありがとうございました。

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<Tarot cards>
・Light Seer's Tarot  / Chris-Anne


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