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【バーチャル旅行】縄文時代の名残〜ギリシャ調の町並み、戦国時代の城跡を楽しめる「大倉山駅」

本日のバーチャル旅行は大倉山駅に行ってみます。駅の近辺にパワースポットや歴史的な遺物がたくさん残っている素敵な駅です。

大倉山記念館

横浜の中でも上質な住宅街として知られる大倉山、昭和初期までは太尾町と呼ばれた農村地域でした。ここに図書館と研究所を作ろうとした実業家「大倉邦彦」がその大倉山という名前の由来になった人です。氏が創建した「大倉精神文化研究所」がその後横浜市に寄贈され現在「大倉山記念館」として残されています。

エルム通

大倉山記念館の前ギリシャ様式のイメージをコンセプトに、白い壁と装飾柱のデザインで商店の建物が統一されている駅前の商店街がとてもきれいな町並みを生み出しています。

ギリシャ様式のパルテノン神殿


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獅子ヶ谷城

獅子ヶ谷城は安土桃山時代から江戸時代初頭とされる日本の山城で御薗城獅子ヶ谷殿山とも呼ばれています。戦国時代後期には武田氏の家臣であった小田切光季が天正三年(1575)の長篠の戦いで戦死し、後に徳川家康の家臣となった息子の「小田切光猶」が所領していたそうです。

山城

獅子ヶ谷城は「山城」とのことでしたがWikipediaによると

高地は、軍事上、地形により敵の移動を阻害でき、また高所の利として視界を確保できるため有利である。このため山に城を築く行為は、地域や時代を問わず普遍的に行われている。例えばアクロポリスや近代の旅順要塞やマジノ要塞も山に築かれた要塞群である

という説明がありました。

獅子ヶ谷城についてはこちらに詳しく紹介されています

大曽根城(殿谷の塁蹟)

探してみると同じ地域に他の城もありました。

不明点の多い大曽根城ですが、北条早雲の頃から仕えてきた後北条氏の古参重臣の笠原氏の築城と伝わります。明確な城跡の場所は不詳ですが、大倉山公園近くの龍松院には小机城の二代目城主だった笠原能登守康勝が開基をしたとされる記念碑が設置されています

師岡熊野神社

パワースポットがありました。本殿裏手には臥龍の瀬なる庭園もあり、井戸から汲み上げたその水量は一日120トンにもなるそうです。

日本サッカー協会公認のエンブレムとマスコットを用いた「サッカー御守」を受けられるそうで、サッカーをやっている方にとっても聖地のような場所のようです。

こちらに動画がありましたのでどうぞ

いのちの池

Google Mapsを見ていると「いの池」「のの池」というものがあり、何かと思っていると↑の記事に書かれていました。「いのちの池」という事で3つの池が存在していたようです。

もともと師岡熊野神社のあるこの山は水の豊富な山だったそうです。境内には「い」の池「の」の池「ち」の池の3つの池があったのだそうですが、現在は「い」池と「の」の池の二つだけが残ります。「ち」の池は埋め立てられ、大曽根第二公園となっています

師岡貝塚

師岡熊野神社裏に師岡貝塚という場所があります。縄文時代にはこのあたりまで海があったようです。

師岡という地名

平安時代の承平(じょうへい)年間(931~938年)に成立した百科事典『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に「諸岡(もろおか)」と表記されており、諸々(もろもろ)の丘が並んでいる地形から名付けられたといわれています。この諸岡の表記は、奈良県明日香村(あすかむら)の石神(いしがみ)遺跡から発見された木簡(もっかん)に「諸岡五十戸(もろおかごじゅっこ)」の文字が記されていたことから、7世紀後半にはすでに使われていた

本日のバーチャル旅行はここで終わりにします。一つの駅を中心にGoogleマップを広げるだけでいろいろな時代を楽しむことが出来ますね。また次回は別の駅を探索してみたいと思います。

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