種はこぼれてしまうものだから
りんごに塩をかけたらおいしかった、フリーライターのaoikaraです。
意図的ではないよ。ゆで卵を食べるためにクレイジーソルトをかけたら、隣にあったりんごにもかかっちゃって、それで食べてみたらりんごの甘い香りがふわっと鼻に抜けるように広がって、今までにない華やかな味になって、「何これ、おいしい!」と新しいおいしさを発見してテンションが上がっただけで。
ふいにこぼれて、ハプニングがやってくることってあるよね。まるで種みたいに。りんごはおいしかったからいいけど、おいしいことばかりでもなくて。
誰かが言った何気ない発言や行動が、まるで種のように芽吹いて根を張って自分の心の中に残って、良いようにも悪いようにも作用する、なんてことがある。
種をまいた人は無意識で、むしろこぼれてしまっただけで、育つ土壌も育たない土壌もあって、たまたま育ってしまう土壌にこぼれてしまったんだろう。
自分がまいた種ではないけれど、誰かの種で根を張ってしまった人に触れようとして、ひどく傷ついていると知ったときがあった。少しでも、良い芽が出てくれれば、あるいは枯れてくれたらと思うけど、結局は私の土壌じゃないから、どうにもできない。
種を取り除くわけにもいかなくて、どうしようもないよなとある意味で割り切った気持ちにもなってしまって。でも、触れるたび傷つけているみたいで、触れられなくなってしまうんじゃないか、とこわくなる。
種をこぼした人を憎々しく思ったけど、私自身が無意識に種をこぼしてしまうときだってたくさんあるよなと振り返るきっかけにもなって。私の言葉で、行動で、芽吹く種をまいてしまったかもしれない。そうだとしたら、どうしたらいいんだろう、どうすればいいんだろう、考えてしまう。
種と土壌によってどんな芽が出てくるか、どんな花が咲くかはわからない。凜々しい芽も、美しい花も、あると思うから、こぼれてしまう種全てを責めたくはない。
種と土で相性がよくなるように品種改良をしていければ、それもそれでいいのかなと思うし、そうあってくれたらいいなと思う。
偶然塩がかかったりんごみたいな、おいしいってこぼれたような幸せもある人生だと信じていたいから。
2020年11月20日(金)
No.699
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