見出し画像

今日も一日がんばろう

今朝は仕事をしながら、初めて朝のラジオをリアルタイムで聴いていた、フリーライターのaoikaraです。

本日、3月28日(月)の午前8時30分から、TBSラジオで新番組『パンサー向井の#ふらっと』が始まった。

私は以前から向井さんのラジオをいくつか聴いている。ラジオを聴く前の向井さんの印象は、いつもニコニコしていて笑顔で、“陽”のイメージ。でも、ラジオを聴くと、実は“陰”の部分もあって、陰と陽をどちらもうまく表現されているなぁと感じていた。

相手の話を聞く姿勢も素晴らしいなぁと思う。『向井と裏方』という、ラジオのスタッフさんから話を聞く番組も担当されている。私はラジオにくわしくないけれど、仕事をする人の姿勢というのが面白く興味深く聴けて、とても面白い。

そんな向井さんが朝の帯番組を担当されると聞いて、うれしくて聴き始めることにした。


朝のラジオの空気感というのはよくわからないけれど、独特な言葉選びをされる滝沢カレンさんとの雰囲気もよくて、私はいいなぁと思った。

ラジオを聴きながらの感想として期待感はもちろん、「芝生で寝転ぶのいじっちゃっていいのかな」とか、「相談に答えるのって難しいな」と緊張感もあった。でも、きちんと時代に合わせる感覚を持っていて(喜入アナの「立ち止まる」という表現はとても素敵だった)、言葉を大切にされているのがとても印象的だった。


個人的な話として、最近はテレビもリアルタイムで観る機会が減っていて、ほとんど見逃し配信や録画で観ている。ラジオだけでなくなんらかのメディアをリアルタイムに視聴するのは久しぶりで、もはや新鮮な気持ちさえあった。

テレビ番組は始まりと終わりがあって、その枠組みの中で、時間通りに進んで行く。〇時になったら天気予報、〇時になったら交通情報、〇時からコーナーとかタイムテーブルが決まっているから、音で時刻がわかって、耳で聞く時計みたいだなと思った。

私も自分でタイムテーブルを決めて仕事をしていて、パソコンやスマホで時刻を見て、作業を進めている。決して面倒ではないけれど、ラジオだと見て確認する必要がなく、音が時刻の目安になってくれて、なんとなく居心地がいい。ラジオが生活の一部になるってこういうことなんだろうな、と自分なりに解釈した。


もっとここ最近の私でいえば、いろいろとうだうだとだらだらでダメダメで。なんだかな、うまくいかないな、でもうまくいかないのは自分のせいだな、と落ち込んでいた。

昨日の休みは本当に何もしていなくて、ただただゲームで時間を消費していた。そうやって何もできていないような感覚が、昨日だけでなくずっと続いていた。大げさだけど絶望的な気分で。

夜に入浴しながら、「そういえば、向井さんの朝のラジオ、明日から始まるんだよな」と思い出していた。「朝のラジオって聴いたことがないけれど、聴いてみようかな。一番最初だし」とも思った。

あれ、私は今日、一日中絶望的な気持ちで過ごしていたはずなのに、明日のことを考えている。とてもさりげなく、日常的なことかもしれないけれど、でもたしかに私は「明日も生きよう」と思っていた。そんな小さな希望がまだあると気づいて、背筋がしゃんと伸びた。


向井さんが出身地の名古屋の放送局CBCラジオでやっている、『#むかいの喋り方』という番組がある。その番組の締めが、「今日も一日がんばろう!」。勢いよく締めくくる。

たしか、そもそもは吉本で芸人さんのスタンプを作るという話になったとき、持ちギャグがない向井さんは「今日も一日がんばろう!」になってしまった、という自虐ネタ的なことから。

でも、これを聞くと「今日も一日がんばろう」とたしかに思えるから不思議。昨日の夜もお風呂で、もう一日も終わりかけなのに、「今日も一日がんばろう」って思ったんだよな。


希望がひとつもなくなってしまったら、きっと本当に絶望してしまうのだろう。でも、自分でも気づいていない希望もある。「あれしたいな」「これしたいな」って気づけたら、ああまだ希望を持っているんだなと自覚できる。生きていく惰性と、ちょっとした勇気になる。

私もまだ希望があると気づけたから、踏ん張れる。がんばれる。今日も一日がんばろう。

2022年3月28日(月)

No.1179

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?