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感情は言葉で誘導できる

言葉選びは難しいと感じる、フリーライターのaoikaraです。

書く仕事をしていて、“情報”や“事実”をどう伝えるのか、日々言葉を選んでいる。読んでくれた人の心の奥にまで届く、感情を動かすような文章はなかなか書けない。心の奥底にも届くような文章を書けるようにというのは、この先もずっと課題としてあるだろう。

書き手として、「たくさん読まれてほしい」という思いから、わかりやすい表現を選んでいるつもりではある。ときにオーバーかもしれなくて、でも気持ちとしてはそのくらいだという、思いはある。嘘ではない。

言い訳っぽいな。言い訳なんだろう。文章に込めた思いは、届く人には届く。実感もしている。だから、届くと信じて誠実であらねばとは思うけど、「たくさん読まれたい」欲が勝ってしまっているときもある。


とあるニュース記事を見た。内容は、ざっくりといえば、世間からたくさんの人に批難されそうな“悪いこと”。私自身も批判的な感想を抱いていた。

でも、個人的に“意図”を感じてしまうような言葉選びがあった。嘘や過激とはいえないし、そのように受け取る人もいるから、きっと間違ってはいない。

それでも私はちょっと不安になった。実際の行為に対して、それを表現する言葉は、個人的にはキツい印象があった。どうしてそうなったのかはわからない。どういう状況だったのかもわからない。今ある情報だけでは、言葉選びは間違っていない。でも、選んだ言葉100%の意味が合っているかもわからないと個人的には思った。

この言葉選びだと、同じ出来事で怒りを抱いていた人は、もっと怒りを増幅させるだろう。書き手は、読んだ人の感情を掻き立てたいのか。そうなのかもしれない。怒りを抱いたから、その怒りを伝える文を書か、同じようにたくさんの人に怒ってもらいたいのかもしれない。

激しい感情は伝播していく。だから、広く広く伝播して、閲覧数を増やしたいのかもしれない。閲覧数が増えれば、書き手にとっては収入が増えることになる場合もあるから。そうではない場合もあると思うけど。

本当の意図はわからない。でも、私は「どうぞ、存分に叩いてください!」という意図をうっすらと感じた。個人的な感想に過ぎないけれど。


その書き手を責めたいわけではなくて、自分を省みた。悪意ではなくても、自分の気持ちひとつで、言葉選びに意図を含んでいるときはあるだろうと。自分も誠実でいるだろうかと、

私は、私自身にも、書く内容についても、誠実でありたい。言葉選び、気を付けよう、私。

2022年12月8日(木)

No.1434

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