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今も昔も記憶は記録に

最近、母に昔のことを話すと、「そうだったっけ」と返されて凹んでいる、フリーライターのaoikaraです。

まだ高齢者というくくりにはならない年齢だし、老いなんて感じないほどはつらつとしているし、体も心も若々しく元気な母。だけど、昔のことは、もっといえば最近のことも、よく忘れている。

あたりまえに覚えているだろう、と思っていること、とても強烈な記憶でさえもすっぽりとなくなっている。まるで、そんなこと起きていないかのように。なんとなく思い出す、にじみ出すような記憶さえない。丸ごとない。

私の記憶違いという可能性もあるけれど、ほかの家族と共有している思い出もあるから、全てが記憶違いというわけではなさそう。


物忘れが激しいとか、日常生活に影響があるわけではないから、すぐに心配に結びつくわけではない。でも、なんというか、さびしいなと思う。

昨年祖父が亡くなったときに、私が生まれた頃から知っている人が一人いなくなってしまった、と思った。年齢の順に考えれば、同じように私が生まれた頃から知っている人は、私よりも先にいなくなってしまう。

それが、とても切なかった。みんな、いなくならないでほしいと思った。叶わない願いだとはわかっているけど、大切な人は、身近な人は、みんなずっといてくれたらいいのに。


消えてしまうのは存在だけじゃない。記憶も。大切な思い出も、忘れてしまえば、消えてしまう。たくさんの人と共有した思い出なら、誰かが忘れても、別の誰かと思いを通わせられる。

でも、たとえばたった二人の思い出は、一人が忘れてしまったら、もう一人はもう誰とも通わせられない。思い出を共有できない。自分だって忘れてしまうし、思い出がどんどん消えてしまう。

私は親しくしている人が少ない。私にとって大切な思い出は、ものすごく限られた人と育んだものばかり。そして、どんどん消えてしまう。

とても尊くて、大切に大切にしたい思い出はいつか消えてしまうのかと思ったら、とても切なくなった。


ああ、だから人は形にして残すのか、と気づいた。忘れたくない。だから書く。だから写真に撮る。記憶を記録する。

ずっと昔から書物が残っているように、写真や映像が撮られているように、絵画や彫刻などアートとして昇華されているように、思いを形にしている。

誰かの中にだけある思い出はいつか消えてしまうかもしれないけど、個人的にでも何かの形に残しておけば、自分が忘れてしまっても、思いは残る。

現代社会でいえば、たとえばスマホがあれば、いろんな形に残せる。写真や動画を撮ったり、メモに書いたり、ブログにつづったり、SNSにアップしたり。ただの便利な道具ではなくて、思い出を形にして、人生を記せるものなのかも。


忘れてしまうのは切ない。だけど誰だって忘れてしまうし、いつかは消えてしまう。思いだけでなく、思いが宿る人そのものだって消えてしまう。だから私が生きているうちは、私の大切なものを大切にできるよう、思いを残す作業をしていこう。

なんて書いていたら、母が「空がきれいだよ、ほらほら」と私を外に連れ出す。たしかにきれいな空。空を見て、きれいだなと思える人と一緒にいたいなぁと思った。

母がスマホを片手に空の写真を撮っていた。私もカメラで空を撮った。空を撮っている母も撮った。そしてただの日常に過ぎない、だけどいつか思い出として大事にしまっておくだろう出来事としてnoteに書いた。

今日も明日も、記憶を記録に。

2021年9月20日(月)

No.1001

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