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頭で好きになるの、私は難しい

頭で好きになろうと頑張ったことある、フリーライターのaoikaraです。

あくまで“私は”の話で、大きな主語の話じゃなくて、小さなごく個人的なピンポイントな主語の話。


頭で人を好きになることは、できると思う。頭で好きになるというのは、要はじっくりと考えて好きになろうと努力する、好きになろうと前向きになってみるということ。LIKEもLOVEも、いろんな「好き」をね。

その人の良いところを見つけて「素敵だな」「好きだな」と繰り返していけば、好感は持てるし、愛情を抱くようにもなる。

そうやって良い人間関係を築いていくことはできるし、悪いことじゃない。むしろ、自分と人との関わりを豊かにするという意味で、頭で人を好きになる、考えて好きになるというのはすごくポジティブな行動だと思う。そこで抱いた愛情も嘘ではないと思う。


でもね、「あ、違う」と思ってしまう瞬間があるかもしれない。好きになろうとして、ドキドキすることして、ドキドキして、きっとこれがときめきで、安心するのは深い愛情で、幸せなんだって思おうとする、頭で。

きっとそれもまたときめきで、愛情で、幸せではあると思う。でも「違う」と思ってしまったら、きっとそれは「違う」んだよね。その人にとっては。

私は、もっと直感的に、感覚的に、どうしてかよくわからないのに「好き」だったり、ドキドキしたり、なぜだかよくわからないけどときめいたり、言語化できないのにどんどん好きになっちゃったり、そういう「好き」に惹かれてしまう。

いくらでも頭で考えて人を好きになれると知っているし、それもまた幸せだとわかっているのに、そうじゃなくて何も考えられなくなるほど好きになっちゃって、バカになっちゃって、うわー何やってんだろって思うくらい気持ちで揺らされちゃって、そういうので「好き」を実感してしまう。

考えて好きになれるのに、何も考えられないほど好きになるのを求めてる。そんないつの間にか、頭で考える暇もないくらいの「好き」を実感してしまうと、頭で考えに考えているときに「あ、違う」って私は思っちゃう。


ドラマ「カルテット」に、こんなセリフがある。奥さんのことを愛しているか聞かれた夫の返事。

「愛してるよ。愛してるけど、好きじゃない」

頭で好きになろう、愛そうっていうのは、なんだかこの感覚にとっても近くて。愛はある。人としても好き。だけど、恋してるわけじゃない。それに気づいたときの自分の心の虚しさってどうしようもなくて。それを言われた方が、もっともっと虚しいとは思うんだけどさ。


有名な恋愛リアリティショーで、「愛せなかった」「もっと熱烈に愛したい」とおっしゃる女性の言葉の意味を、私はすごく理解できた。いくらでも頭で「好き」にはなれるけど、そうじゃなくて、本能的に惹かれたくて、好きになりたいって思いがわかるから。

でも、「だから」と彼女の人生や恋愛を否定する言葉が並んで、「好きになってみればいい」「それもまた愛情だから受け入れてみればいい」なんて言われているのを見ると、なんだかもやもやする。

どうして自分ではない誰かに「好きになってみればいい」と言われなきゃいけないのか。「好き」って言われて「好き」になれるもんじゃないのに。どうして心まで誰かに決められなきゃいけないんだ。

いや、「好きになってみればいい」って意見もわかるんだ。熱烈な恋じゃなくたって、情熱的な愛じゃなくたって、穏やかで愛おしくて落ち着くような愛だって、むしろそれこそが幸せだし、そういう意味での「好きになってみればいい」だと理解はしている。

だけど、きっと人が求める愛の形って人それぞれ違うんだよね。その女性にとっては、愛は持っていても、自分が求める愛の形とは違ってたんだと思う。だから「違う」と言った。受け取るのはずるいと思うと言った、その気持ちも私はわかる。

それを「わがまま」とか「ずるい」とか言われるのは、なんだか悲しい。そうやって否定するのは、たぶん彼女が求めていないけど、与えられている愛の形を素晴らしいと思っていて、自分だったらその愛を受け入れる、受け入れてほしいって人なんだと思う。

私も、与えられている愛情はとても尊くて、美しくて、涙するほどだったから、否定したいわけじゃない。ただ、彼女は求めてないから、受け入れられないだけ。それこそ彼女の「私の人生だから」という主張はそういう意味だったんだと思う。

なのに、その女性の愛の形を否定されるのは、どうしてなんだろう。彼女には彼女の愛の形があると思うのに。もちろん、批判や否定されるのは、愛の違いだけじゃなくて、態度とか行動とか言葉とかにもあるのかもしれないけど、「好き」とか愛とかそのものを否定する声もあって、なんだかなと個人的には思ってしまった。


まあ私も、彼女に共感しちゃったからかばいたくなっているだけで、その本音は自分をかばいたいからなのかもしれない。いろんな意見があってもいいけど、別に相手の「好き」を否定する必要はないのかなとは、やっぱり思っちゃうけど。

いろんな「好き」があっていい。頭で好きになっても、心で好きになっても、誰を何を好きになってもいい。じゃ、ダメなのかな。

2020年11月3日(火)

No.682

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